タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪ 徳 大 寺 有 恒 ≫

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 徳大寺有恒──もちろんペンネームである。ファッション関係の評論を本名の杉江博愛で書いていたが、自動車評論家に転身し、本音で辛口の評論を書くに当たって、メーカーとの摩擦をそらすため、ペンネームを使うことにしたのであろう。自分で決めたのではあるまい。徳大寺家が清華家の家格を有する公家(フリー百科事典『ウィキペディア』)で、西園寺家や三条家と兄弟筋に当たる、平安朝以来の名家であることを、杉江が知らないわけがない。この分不相応なペンネームの命名は、おそらく、草思社編集部の切れ者の仕業だろう。
 私の移動手段は、昭和40年から平成19年までの間に、自転車(丸石・イヤングホリデイ)→原動機付自転車(ホンダ・CD50)→自動二輪車(ホンダ・CD125、CB125、CB250、GL400)→自動車(ミツビシ・ギャラン1300、ニッサン・グロリアGL2000、VG2000、スズキ・キャリーAT)と変遷した。
 『間違いだらけのクルマ選び』は、CB250に乗っていたときの、最初の77年版から最終版まで一冊も欠かさず、と書きたいところだが、残念ながら、79年版一冊が欠けている。77年に続編(78年版)が出た後、これが年度ごとに発行されるとは思いもせず、買い漏らしたのである。今はもう入手不可能である。
 批評の内容は、外国車贔屓が鼻につかないでもないが、自動車を単に走行性能からだけでなく、社会的・文化的側面から総合的にとらえる斬新な視点を保持し、よい自動車に乗りたい、という一般的な社会層の支持を広く得ることに成功したのである。そのときどきの世界情勢を俯瞰しながら、日本の車社会のあり方を分析するという、確固たる執筆方針がなかったら、私はこのシリーズを揃えようなどと考えなかっただろう。もちろん、個人的な好みも大きな要素なので、気に入らない批評も少なくなかったが、全体として、自動車社会に対して徳大寺有恒の果たした役割は、高く評価してよい。

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