7月26日、早朝5時半、釧路にしては珍しく三日間続いた気温20度以上の中で、物置小屋の屋根の葺き替え作業に疲れて身体が重かったが、女房のキノコ採りに付き合い、西港臨海公園に出かけた。女房がジムニーを駐車場に入れると、私たちは愕然として声が出なかった。辺り一面ゴミが散乱しているではないか。一か月前に訪れたときはこんなではなかった。4月に釧路を離れた学生もどきが、夏休みに入って、一斉に戻ってきて傍若無人の振る舞いをしているのだろう。
港湾管理者がいくら看板を掲げて注意を促しても、阿呆を相手にして、暖簾に腕押しではないのか。もはや世も末である。鴨長明の『方丈記』に、「又、養和の頃とか、久しくなりて覚えず。二年が間、世の中飢渇して、あさましき事侍りき。・・・濁悪の世にしも生まれあひて、かかる心憂きわざをなん見侍りし」と、仏法衰滅における人心の下根下劣を憂える一節がある。私は、仏法の末世思想を信じるものではないが、「世の中飢渇して、あさましき事侍りき」どころか「世の中飽食して、あさましき事侍りき」を、濁悪の世と見るのである。下根下劣な人心・凶悪闘争の世の中!
キノコは、金網が張ってあって車が入れない、港寄りの草地で、二種類(キンチャヤマイグチ、カワリハツタケ)を適度に採取し、帰宅した。
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