タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪山子(やまご)サミットインひやま≫

P1020392 6月30日付『北海道新聞』第30面に、「山で生きる知恵を学ぼう」と題して、七月九日・十日に檜山管内江差町文化会館で開かれる「山子(やまご)サミットインひやま」の記事が掲載されている。
 私が生まれ育った聚落は、私が少年の頃木材産業が盛んで、村には製材工場が四社もあった。農家より木材関係者がはるかに多く、盛時(昭和三十年)には人口約二千四百人だったが、現在は三百人に減り高齢化が進んでいる。
 当時、□□営林署△△支所の土場(どば)には、写真上段(鶴居村支雪裡川上流の国有林で平成21年に行われた冬山造材の土場、同年3月21日撮影)のような丸太が常時山積みされていた。
P1110078_2 檜山管内とオホーツク管内とで地域差があるのか、用語に、私が記憶している語義と異なるものがあるので、若干の説明を加えたい。
■ 山子=木こりなど山で仕事をする人の総称
■ 大まかに言えば総称かもしれないが、重機が導入される以前は、山で造材の仕事をする人たちの間には、職種によって暗黙の上下関係が存在し、飯場(はんば)に上座・下座があった。
 山子(やまご)= 伐木造材手(上座)
 馬追(うまおい)= 伐採後、玉切りされた原木を土場まで藪出しをする馬子(中座)
 土方(どかた)= ガンタやトビを使って土場仕事をする人夫(下座)
■ そま師(木こり)
■ 私の村では、伐木造材手(林業労働災害防止協会の認定証には、伐木造材士と明記されている)は山子であって、そま師(木こり)とは呼ばなかった。そま師は、正しくは仙夫という。
 昭和二十年代末に、山子は伐採に大鋸ではなくチエンソーを使うようになり、三十年代以降、原木の藪出しや土場仕事に重機が用いられ、馬追は消滅した。造材用の林道が造られ、山子も重機のオペレータも車で原場に通うため、飯場も設営されなくなった。

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