五月三日、釧路市内では護憲派と改憲派の毎年恒例の行事が行われたことだろう。私は、いわゆる米国によって与えられた「平和憲法」を日本が永久不変に護持すべきだとは思っていない。時代に合わせて必要なら当然変更を加えるべきである。
ま、本日は、そのような巷の喧噪を避け、私たち夫婦が二十年前に初めてギョウジャニンニク採りを始めた思い出の場所に出かけることにした。この場所は当時、心ない採取者がいて、数年で壊滅したため、私たちは他の生育地を求めて移動した苦い思い出がある。
二十年ぶりに訪れた場所には葭や笹が生い茂り、荒れ果てた感が否めないが、各所にギョウジャニンニクが再生(写真中段)し、他者が入った形跡もないので、来年以降、多少の期待が持てるのではないかと思われる。
本日は、今年のギョウジャニンニク採りの余録(写真下段、余録にしてはよい個体を採取できた)なので、帰路は、十五㌢くらいの小さなフキを採りながら車に戻り、弁当を食べた。午後の思いがけない僥倖については、明日投稿のお楽しみ。
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