<企業城下町>という言葉に対する反論は、これで三度目になる。
上の写真は、釧路新道から撮影した大楽毛西地区の住宅街である。昭和40年代末まで、この西2丁目一帯は茫々とした原野で、国道240号線の東側(西1丁目)に<まりも団地>ができていたが、阿寒川を跨ぐ大楽毛橋を渡ってすぐ、大楽毛分岐から、国道の西側の奥に釧路工業高等専門学校の校舎を眺めることができた。
西2丁目に市営住宅大楽毛団地が造成され、公務員宿舎や一般住宅が建設されたのは昭和50年代になってからで、当時の本州製紙釧路工場とは何の関係もない。麻岡光久記者(2月6日に強制猥褻致傷容疑で逮捕、なんちゅう記者だ!)がどのような根拠で<企業城下町>という言葉を用いたか、三年間大楽毛に住んだ私には解せない。 釧路地方は、明治34年に軍馬補充部釧路支部が白糠村に開設されて以来、軍馬の生産地として有名となり、明治44年に大楽毛家畜市場が開設され、大楽毛は<馬産王国>といわれた。
戦後は軍馬の需要がなくなり、農業も徐々に機械化が進んだため、大楽毛の街は昔日の賑わいを失った。昭和34年の本州製紙工場の操業開始が街に活気をもたらしたことは事実だろう。しかし、工場の敷地内は、街と隔絶された別世界で、大楽毛駅周辺の中心街でさえ、製紙工場の<企業城下町>とはいえなかった。
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