タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪美しいものと美しくないもの(11年)≫

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 どのような事象・事物であれ、宇宙の森羅万象に関する美意識は、個人及び時代の美的感覚に大きく依存する相対的なもので、絶対美なるものは存在しないと私は思っている。見る人や時代によって変わるものである。
P1200537 写真上段(6月12日付『釧路新聞』第12面から転写)は、釧新杯釧根陸上競技大会(6月11日、釧路市民陸上競技場)における中学女子100㍍ハードル決勝。美しいものの例としてブログ記事のトップに掲げた。私は、最近の女性アスリートの臍出しブルマなるものを毛嫌いする今風でない質(たち)だが、世の嘆かわしい趨勢は、遠からず女子中学生アスリートにも臍を出させるだろう。
 写真下段(6月12日付『北海道新聞』第22面から転写)は、陸上日本選手権大会(6月11日、埼玉県熊谷スポーツ文化公園陸上競技場)における女子100㍍決勝。美しくないものの例として載せた。女性アスリートの臍丸出しの腹部は醜悪きわまりない。こうまでしなければ記録が伸ばせないのなら、公然猥褻容疑にならない程度に布子を当てて出走したらどうか。
 既に亡くなったコラムニストの山本夏彦氏は、『毒言独語』(中公文庫)の中で、明治時代の大和撫子に「白昼ひと前で太ももを出せ、尻をまくれ、へそを出せ、と言ったらどうだろう」と記している。なに、明治も平成も同じ大和撫子に変わりない。明治で恥じたことが、平成では当たり前になっている。大和撫子は大勢がすれば平気で何でもする。それを美しいと感じるかどうかは個人の美的感覚によるが、個人の多くは時代の趨勢から逃れられない。つむじ曲がりが存在する所以である。

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