タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪この惨状と「ごみ拾い4500㌔の旅」の意義≫

P1070444 写真上段は釧路町別保の街を過ぎ、国道44号(根釧国道)から国道272号(釧標国道)が左に分岐する手前にある駐車帯脇に捨てられたゴミの山で、昨年十一月十五日に撮影した。この場所は年に数回清掃が行われたが、一か月もすると元の木阿弥。ゴミは放置されたまま越冬、今年の春以降も清掃後、相変わらずの惨状(写真下段)を呈している。
 国あるいは地方自治体が委託する業者の作業員であれ、善意のボランティアであれ、同じ個所のゴミ拾いを毎日できはしない。日本人はいつから道路脇にゴミを捨てるような公徳心のない民族に変わったのか。日本という国家全体が精神的に箍(たが)が緩み国民の心根は腐っているとしか思えない。
P1120838 たまたま『讀賣新聞』に「ごみひろい4500㌔の旅」と題する記事(ゴールに達した上村氏=写真中段は、9月11日付・第30面から転写)が掲載された。NPO法人「青年協議会」(熊本県宇土市)代表理事の上村 剛氏が、「環境問題を背中で語ろう」(同新聞)と、平成二十年八月にリヤカーを引いて宇土市を出発。今回、東京を六月に出発、太平洋側を歩いて九月十日にゴールの札幌市役所前に到達したという。美談である。
 私は上村氏の発想と行為を否定はしないが、何度清掃しても次から次とゴミが不法に捨てられる現実を考えると、問題の解決にどれほど効果があるか、疑問に思わざるを得ない。
P1120831P1120836 写真下段は、昨年撮影したのと全く同じ場所を九月十六日に撮影。清掃作業をあざ笑うかのごとく、ゴミが捨てられている。一度緩んだ精神的箍(たが)を旧に戻すことは不可能だ。暖衣飽食の果てに日本は国運の衰微を免れないだろう。美談で国は救えない。

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