私が曲がりなりにも新聞を手にするようになったのは、昭和三十年代の初め、中学生の頃で、田舎家では『北海タイムス』を購読していた。分からない漢字を飛ばし、連載の時代小説を読んだ記憶がある。
その後、高校を卒業する頃、購読紙は『讀賣新聞』に替わっていた。以来、半世紀近く、父母も、結婚して所帯を持った私も『讀賣新聞』を読み続けてきた。日本社会党が消滅し、飛ぶ鳥を落とす朝日の威光も薄れた。インテリが作りヤクザが売るといわれる読売は・・・記事を圧縮し、紙面を減らしたらどうか。
『北海道新聞』は、私の思想信条と合わなかったが、道東のニュースを知る必要があって、昭和六十二年に家を新築したのを契機に購読を始めた。
『釧路新聞』は、女房が拡販の老人の話に同情して平成十年に契約したが、いっとき、元大学教授の「番茶の味」の内容が気に入らず中断し、しばらくしてまた復活した。釧路管内の小さな出来事を知るには便利だが、政治・経済・国際記事は読売の提供だから読むには及ばない。ま、付き合いも必要ということ。
今回は、たまたま11月24日付・第12面の<釧新郷土文芸>欄に掲載された、荻山勝之氏の釧路新聞社社屋のスケッチが気に入って転写した。私の写真(五月十三日撮影)よりはるかに実際の雰囲気が出ている。
これまでの人生で、新聞拡販員について、面白い挿話が二つ存在する。第一は、正真正銘の○○党員で私の大学時代の学友が、ノルマ達成とかで泣きついてきたこと。困っているときは相身互いというわけで、五年間付き合った。新聞は読む気にならなず、即座に古紙の束行き。第二は、泣く子も黙る天下の朝日、トラブルの元はちっぽけな<釣り情報欄>。相手はよほどの短気者らしく、荒々しくドアを閉め二度と姿を現さなかった。女房に言わせると、どっちもどっちだったらしい。
最近の「学芸文化」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事