タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪『釧路新聞』<巷論> (09年1月9日) ≫

P1010069 一月九日付『釧路新聞』の<巷論>には、「『陽はまた昇る』の希望」というタイトルが付けられている。執筆者の主張に異論を差しはさむつもりはないが、昨今は、<陽はまた昇る> = <希望>の等式が安易に通用しているようなので、<陽はまた昇る>の原義にいささか触れてみたい。
 <陽はまた昇る>は、米国の小説家、アーネスト・ヘミングウェイ(1899ー1961)のThe Sun Also Rises『日はまた昇る』(1926)に由来する。
 ヘミングウェイは、この小説のモットーとして、ガートルード・スタインの語った『あなたがたはみなうしなわれた世代の人たちです』と、『旧約聖書』(「伝導の書」)の「世は去り世は来る 地は永久に長存なり 日は出で日は入り またその出でし所に喘ぎゆくなり 風は南に行き又転りて北に向い 旋転に旋りて行き 風復その旋転る所にかえる 河はみな海に流れ入る 海は盈ること無し 河はその出できたる処に復還りゆくなり」とを掲げている。
 二つのモットーは、無限に続く宇宙の無為の輪廻と、第一次世界大戦後のヨーロッパの虚無的な精神的風土とを暗示している。つまり、無為の世界のままでは、美しいサンセットは、ときめきのサンライズを約束しないのである。少なくとも「伝導の書」の文言から、希望を期待することはできない。
 しかし、ヘミングウェイが、「宇宙の無為の輪廻」にスタインの「うしなわれた世代」を併置したことには、人間はいつの世でも、退廃した虚無の世界から努力によって抜け出し、躍動する新しい世界を創出してきたという肯定的認識が内包されている。釧路のサンライズを希望に満ちあふれたものにするためには、美しいサンセットとの間に、絶えることのない緊張関係を持続する努力がなくてはならない。釧路の活性化を図る人たちに負わされた課題である。 ■『日はまた昇る』のモットーは、大久保康雄 訳『武器よさらば・日はまた昇る』世界文学全集31(新潮社)から引用 ■

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