元厚生事務次官宅襲撃事件で、逮捕後一週間、小泉容疑者の供述は、「『飼い犬のあだ討ちだった』と一貫し、警察当局は三十四年前の飼い犬の死が直接の動機になったとほぼ断定した」(11月30日付、『北海道新聞』第31面〈第1社会〉)が、捜査幹部の一人は、「三十四年前の犬への思いがずっと持続するのか」(同新聞)納得しかねている。三十四年など指呼の間にすぎないのに・・・
それは、心の奥深くに傷を負ったことのない幸せな人間が抱く不審であって、内奥の傷は、時の経過が傷口を癒し、忘却の彼方に忘れ去られることが多いにしても、場合によっては、三十年も五十年も持続し、あるいは、忘れ去られても、何らかの契機で蘇ったりするのだ。人の心を軽々に一つの論理で割り切ることができない所以である。しかし、だからといって、卑劣な行為が許されるわけではないが。
凶行の対象がなぜ元厚生事務次官宅だったのか、凶行に及ぶ契機は何だったのか。おそらく他者には解明できないだろう。専門家なる者たちは「妄想型の人格障害」「アダルトチャイルド」「英雄行動としての自己愛」などと判断するが、たとえ精神鑑定をやっても、分からないものは分からない。
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