タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪食用菊「もってのほか」栽培(09年)≫

P1060487 私の両親は、昭和十四年に結婚し田舎家の聚落に所帯を持った。父は当時の網走郡網走町字音根内の本家から分家、母は中川郡西足寄村字上利別で生まれ育ち嫁いだ。
 田舎家の宅地のほかに、畑地十四町歩を購入し営農を始めたが、火山灰土の痩せ地のうえ、気候も冷涼な地域で、馬鈴薯もろくに実らなかったという。
 父は二年で営農に見切りをつけ、地目を変更後カラマツを植樹し、伐木手に転身した。聚落一帯は、原木輸送の鉄道が敷設されたほど森林資源が豊富で、製材業が盛んだったので、仕事がなくて生活が困窮することはなかった。
 戦後、私が小学生の頃、花好きの母は、三百九十坪の敷地で野菜を栽培し、広い花畑に多くの花を咲かせていた。最近、新聞で食用菊「もってのほか」の写真(10月6日付『讀賣新聞』第1面から転写)を見、母が育てていた黄色の食用菊を思い出した。菊の香りが残る天麩羅の味を今でも記憶している。
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 食用菊「もってのほか」は、昨年、女房が園芸店から赤紫・白・黄の三色を購入し、庭の南西端に植わっているが、今年は白がピンクに色変わりした。
 改良品種によく生じる現象で、白の品種は確実に固定していないのだろう。ピンクの中から白に近い色の薄いものを選び出し、挿し芽で増殖を重ねて作出しても、ピンク系の遺伝子が残っていれば先祖返りがあって不思議ではない。来年、また白に変わるかもしれないので、しばらく様子を観察したい。

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