<アレクサンドル・デュマ『モンテクリスト伯』山内義雄 訳 (新潮社)>
いずれも大学入学直後の昭和36年4月に古書店で買った思い出の本なので、蔵書大処分の際に雑紙入りを免れ書庫に残った。『ABC殺人事件』は、ただの読み物だから原作で読む気は起きなかったが、『モンテクリスト伯』は、昭和28年頃のカバヤ文庫『モンテクリストの復讐』以来の愛読書で、50歳代初めに原書(今は所在不明)を購入しフランス語に挑戦したが、残念ながら職務多忙により頓挫。堀田訳も山内訳も、不自然な翻訳日本語には辟易したが、こんなものかと我慢した。
<堀田 訳『ABC殺人事件』>
「あの娘は昨夜何をしてすごすというようなことをあなたにいいませんでしたか?」
「いいえ」ミス・メリオンが強調するようにいった。
「私たちはそういう間柄ではありませんでした」
「だれも彼女を呼びに来ませんでしたか? 何かそれに類したことはありませんでしたか」
「いいえ」
<否定の問いかけに対する返答の "No"「はい」>
Didn't anybody go for her last night?
No, nobody.(ええ、どなたも)
<山内 訳『モンテクリスト伯』>
あちらこちら、大きな砂埃の湖を思わせる付近一帯の原のなかには、わずかばかりの小麦の茎が生えている。それは土地の百姓が物好きな気持から育ててみたものにちがいなく、その茎の一つ一つは、こうした無人の境に路を失った旅人たちの跡を追って鋭い、単調な歌を響かせている蝉にとって、まさに棲り木の役をつとめるところのものだった。
<指示代名詞の ce を先行詞とする関係代名詞 quoi> 英語の what に
相当する。
C'est ce à quoi je pense.
それが私の考えていることです。
原文に忠実、という出来もしない主義主張を掲げ、関係代名詞 quoi を「~するところのもの」と翻訳するのは、いわゆる岩波文化人の得意とするところのものであり、その用例は岩波文庫において多数見い出される。当の翻訳者たちは、それを日本語の破壊と認識していないから質が悪い。