私は昭和33年4月に高等学校に入学し、小一時間の列車通学を三年続けた。六時三十分発の朝の一番列車に乗るためには、遅くとも六時起床、大急ぎで朝食を済ませ、駅まで駆けてかろうじて乗車、という毎日だった。高等学校のある町に住む学友は八時起床で始業時間に間に合うのだから、受験勉強の時間に関しては、大きなハンデを負っていたことになる。夕方六時着の列車で帰宅、夕食後十二時まで勉強し、睡眠六時間の生活はかなりきつかった。
当時の国立大学は、一期校(旧七帝大)と二期校に分かれ、試験実施時期が異なっていたので、二大学を受験することができた。入試科目と配点は、英語・数学・国語がそれぞれ120点、社会・理科は、それぞれ四科目から二科目選択、60点×2=120点で、五教科600点満点だった。
私は歴史が好きだったので、社会科は世界史と日本史を選択した。世界史は内容が広範にわたるため敬遠され、地理を選択する受験生が圧倒的に多かったが、世界史を選択したことは、私のものの考え方を豊かにすることに資するところ大だったと思う。
世界史は、高等学校の二年次の必修科目で、教科書とともに写真の『新版世界史地図』と『新訂版世界史年表』を併用した。いずれも亀井高孝・三上次男編、吉川弘文館、1959年発行。定価は、地図が百円、年表が六十円、と奥付に記されている。当時、週刊誌が三十円だった。以来半世紀、未だに有効に利用している。
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