父は月曜日に天国へと旅立っていきました。
その時は突然にきてしまったような気がします。
日曜日の夕方、母から父の具合が悪いのですぐに来てほしいと電話があった。
タクシーに乗り病院へと向かった。
病室に入ると呼吸困難に陥り苦しんでいる父の姿があった。
母と二人で必死に父の手を握り背中をさすり「じいちゃん、大丈夫だから、もうすぐ薬が効くから」と
何度も言い、そのたびに父がうなずいてくれた。
少し落ち着いたころ、お医者さんに呼ばれた。
母を父のそばに残し、私はひとりでお医者さんの話を聞いた。
これが父の病気のことでの最期の選択。
薬の量を増やすことで呼吸を楽にする。
しかし、それはもう明日の命がないということだった。
私はいつも父が望むことを選んできたつもりだった。
これ以上、父に苦しい思いは耐えられないだろう。
そう思って同意書にサインをした。
最期の選択は本当に重く辛いものだった。
ほどなく父は寝息をたてて眠りについた。
私は家に帰り、孫たちを寝かせた娘を連れて病院に戻った。
明け方までの数時間を父のそばで母と娘と4人で過ごした。
今まで何度も普通に繰り返された日常の時のように眠っている父の傍でおしゃべりをした。
そして明け方になり娘を家に送り私は再び病院に戻った。
薬の効果がきれたのか意識が朦朧とする中を苦しそうにしはじめた父。
再び薬が投入され、父がまた眠りにつく。
早朝に病院に来た叔母と母が話をしている間、私は父を見つめていた。
そのうちに呼吸が止まった。
「じいちゃん」
ひとつ呼吸をしてまた止まった。
「じいちゃん」
再びひとつ呼吸をして止まる。
「じいちゃん」
3度目は戻ってこなかった。
父は旅立っていった・・・
慌ててお医者さんをよんだらまだ微弱に脈があるらしい。
緩和ケアだから延命治療は行わない。
母も私も了承している。
だから機械をつけていないので心臓が止まったことはわからない。
そうしているうちに静岡から兄の家族がかけつけた。
みんなで「じいちゃん、じいちゃん」と叫んでいるのを少し離れて見ていた。
娘が孫を連れてきた。
家族に囲まれ最期の診察が終わり父の命の灯が消えたことを知らされ父を連れて苫小牧に帰った。
帰り道の高速道路を走ると途中に父が植えたオンコの木々が見える。
ここを通るたび、このオンコを植えた話を何度もしていた父を思い出す。
その時、隣で眠っている父からもう2度とこの話を聞くことはないんだと思った。
覚悟はしていたけれど、私たちは緩和ケアでもう一度ご飯が食べられたり
車いすに乗って動けることを期待していたのにこんなにも早く父が亡くなるとは思わなかった。
最初の説明通りの寿命だったかもしれない。
私はもう一度生まれ変わってもきっと両親を探しあななたちの娘として生まれてきたいと思う。
今まで父の大きな愛情に包まれていたことに心から感謝しています。
その時は突然にきてしまったような気がします。
日曜日の夕方、母から父の具合が悪いのですぐに来てほしいと電話があった。
タクシーに乗り病院へと向かった。
病室に入ると呼吸困難に陥り苦しんでいる父の姿があった。
母と二人で必死に父の手を握り背中をさすり「じいちゃん、大丈夫だから、もうすぐ薬が効くから」と
何度も言い、そのたびに父がうなずいてくれた。
少し落ち着いたころ、お医者さんに呼ばれた。
母を父のそばに残し、私はひとりでお医者さんの話を聞いた。
これが父の病気のことでの最期の選択。
薬の量を増やすことで呼吸を楽にする。
しかし、それはもう明日の命がないということだった。
私はいつも父が望むことを選んできたつもりだった。
これ以上、父に苦しい思いは耐えられないだろう。
そう思って同意書にサインをした。
最期の選択は本当に重く辛いものだった。
ほどなく父は寝息をたてて眠りについた。
私は家に帰り、孫たちを寝かせた娘を連れて病院に戻った。
明け方までの数時間を父のそばで母と娘と4人で過ごした。
今まで何度も普通に繰り返された日常の時のように眠っている父の傍でおしゃべりをした。
そして明け方になり娘を家に送り私は再び病院に戻った。
薬の効果がきれたのか意識が朦朧とする中を苦しそうにしはじめた父。
再び薬が投入され、父がまた眠りにつく。
早朝に病院に来た叔母と母が話をしている間、私は父を見つめていた。
そのうちに呼吸が止まった。
「じいちゃん」
ひとつ呼吸をしてまた止まった。
「じいちゃん」
再びひとつ呼吸をして止まる。
「じいちゃん」
3度目は戻ってこなかった。
父は旅立っていった・・・
慌ててお医者さんをよんだらまだ微弱に脈があるらしい。
緩和ケアだから延命治療は行わない。
母も私も了承している。
だから機械をつけていないので心臓が止まったことはわからない。
そうしているうちに静岡から兄の家族がかけつけた。
みんなで「じいちゃん、じいちゃん」と叫んでいるのを少し離れて見ていた。
娘が孫を連れてきた。
家族に囲まれ最期の診察が終わり父の命の灯が消えたことを知らされ父を連れて苫小牧に帰った。
帰り道の高速道路を走ると途中に父が植えたオンコの木々が見える。
ここを通るたび、このオンコを植えた話を何度もしていた父を思い出す。
その時、隣で眠っている父からもう2度とこの話を聞くことはないんだと思った。
覚悟はしていたけれど、私たちは緩和ケアでもう一度ご飯が食べられたり
車いすに乗って動けることを期待していたのにこんなにも早く父が亡くなるとは思わなかった。
最初の説明通りの寿命だったかもしれない。
私はもう一度生まれ変わってもきっと両親を探しあななたちの娘として生まれてきたいと思う。
今まで父の大きな愛情に包まれていたことに心から感謝しています。
良き人生を全うされたお父様のご冥福を心からお祈り申し上げます。
てってさん、お疲れさまでした。
本当はまだまだ生きられるはずだと思っていたんです。
その時というのは突然にやってくるものだということがわかりました。
確かに幸せだったと思いたいですね
結果は急な最期だったけれど
少しずつ時間をかけて覚悟をしていました。
だから静かに見送ることができたのかもしれません。
まだ父と話したいことがあったのに・・・
そう思うこともあるのですが。今は目の前にある行事をこなしていくことで精一杯です。