ニコチャンマネーメイク

株式売買などのマネーメイク日記。

洗車したらブログに書くの意味

2023-10-29 12:47:00 | 洗車&コーティング

大学生が洗車でもしたら、それはスマホで撮影してブログ記事にでも書いておくと将来役立つ。 という意味がよくわからないという人がいました。

 

まず、私三之橋の場合は18歳の大学生1年生になった時に、もう周りの人が免許も持っていて、普通車サイズの中古車などを実家でお父さん名義でローンで買ったりして、それを大学に持ち込んでいる人がほとんどでした。

 

車の免許を取って、車の運転をした最初にしんどさを感じたのは、洗車でした。

 

テレビドラマとかで主人公の人が運転して乗っているシーンが出てきて、いつも綺麗だったりするのを見ていた。

 

でも、自分が乗るようになると、「昨日も雨に遭ってしまって汚れているなあ」 と洗車しないといけなくなるじゃないですか。

 

いつも1人ボッチという人なら洗車しなくても良いのかもしれない。

 

でも、私三之橋の場合は、いつも一緒の子に誘われてしまいバディシステムを組む事になってしまった。

 

今日私三之橋の車で友達を迎えに行き、そこで乗せると帰りも私三之橋の車で送って行く。

 

翌日には友達の家に行き、そこで車を置いて、友達の車を友達が運転して私三之橋を乗せて大学に行き、その車で帰って来る。

 

友達の車と、私三之橋の車を交互に出して、それぞれ自分の車を運転する。

 

それはまあ保険の問題とかもあるし、「俺の車を友達に運転させている」 という話を聞くと友達のお父さんやお母さんでも事故に遭うと巻き込まれるのでそれぞれの車を自分で運転するとしていた。

 

後は運転免許取得1年生という素人なので、いつも同じような道を走り、それを同じ素人の1年生の友達がおかしな運転をしていると気づけば教えてあげる事ができる。

 

昨日自分が運転して走って、今日は助手席でその同じ道を運転する友達の運転を真横で見てしまうと、「あっ、俺とはここがちょっと違う」 みたいに自分で気づける事にもなる。

 

そんな感じで、集合場所は、友達のお父さんの経営する会社の敷地の中の奥で合流し、そこに私三之橋の車を駐車して友達の車に乗せてもらい1日保管してもらうとかする感じ。

 

バディシステムを組むと、相棒が素人すぎると何も気づかないとかあるので、友達も私三之橋もバイクとかに乗っていた事でさすがにそこまで気づけないという事はない。

 

という相棒も素人ではあるけれど標識とか見てすでにバイクとかで走っていたという点でそろえてあった。

 

バランスが悪いとダメじゃないですか。

 

片方が運転はぐんぐん上達し、でも下手くそな方がそのままとなるのかもしれない。

 

でも、さすがに友達のお父さんの会社とかに車を乗り入れると、汚れまくりの車で行くと、そこで働く社員の人も、「何だあの汚い車は、社長のバカ息子の車とその友達の車らしいよ」 と思うじゃないですか。

 

私も詳しく聞いた事がないのですが、当時は友達のお母さんが心配するからと思った。

 

息子から友達と1日おきに交代してそれぞれの車で行くとか聞くとずっと1日どこかで車を駐車する相乗りとなり、それはよくスーパーとかのお客様駐車場に1日中駐車したままにしたりして、お店の人の迷惑になる。

 

後はそこに放置していると車に傷が付くとかあるので、「だったらうちの会社の敷地に置けば?」 となったのではないか

 

そういう風に自分の管理下に置いてしまえば、お母さんとかは心配事が減る。

 

「息子はきちんと大学に行ったかなあ」 とか、そういうのはイチイチ訊かなくても会社に何かの用事で行った時に社員の1人にあらかじめ言っておけば、「最近はどうかしら?」 と訊けば答えてくれる。

 

大学生になったら、責任の連鎖とかも理解できていないといけない。

 

例えば、中学生が原チャリを盗んで、友達と2人乗りして事故を起こして被害者が死亡してしまった。

 

そのような場合、運転していた子がすべての責任を負うという事になり、未成年に限っては損害費用等は保護者に請求して良いという事になっているので、運転していた子の父親が、「責任を取らせていただきます」 と首を吊って死んでしまい、保険金で弁償したりしたとかよく新聞に書いてあったりするじゃないですか。

 

さすがに大学生18歳の1年生とかになって、車の運転免許を取得し、運転をし出した時には、もうその車が事故が起こせば所有者のお父さんとかに責任が連鎖するという、そのくらいは理解できていない年齢とされていた。

 

今では18歳は成人となりましたが、昔は大学生1年生18歳は未成年でした。

 

例えば、大学生1年生になった時に、そこで仲良くなった友達のA君がお父さんに高級車とかスポーツカーの新車をポンと買ってもらったとします。

 

『俺は友達なので貸してもらいそれにタダで乗れば、わざわざローンを組んで中古車を買って支払いに苦労せずに済む』

 

そんな風に考える人はいたりします。

 

お兄さんの車を貸してもらえば、とか、お父さんの車を貸してもらえばとか。

 

でも、A君は自分の車のキーを友達に渡して、「乗って良いよ」 と言った時点でその友達のB君がやらかした事の責任を無限代理行為で追認するという意味になり、連帯責任を負う事になる。

 

仮にA君が、自分のお父さんに、「大学で知り合ったB君が車も持っていないので時々貸して運転させてやっている」 と言えば、『お前18歳にもなってバカなのか~。 そのB君が事故を起こせば俺が全部責任追うようなものなんだぞ~』 と怒ったり、あきれたりする。

 

目に見えないような、責任がどうなるとかのお話になるので、理解できない人には理解できない話でもある。

 

大学生1年生の18歳とかになると、同じ大学のC君が見た時に、『俺は、AもBも何もわからない人に見えるので関わらないようにしている』 みたいに周りが離れていくか、距離を取ろうとする。

 

あと、自動車学校を卒業したら、全員平等に横並びで、素人としてスタートする。

 

その時に、『もしも誰かの車に擦ったりするとお父さんに怒られそうなので、広い道を選んで走っている』 みたいな意味のない事を繰り返す人とかいるじゃないですか。

 

恥ずかしいとか、そういう思いをしたくないとか。

 

でも、車の運転をするようになったら1日目とかにはもう家の近所の狭い住宅街の狭い路地を走るとかして、自分がどう失敗するのか? を確認しようとする人がいる。

 

住宅街の車1台しか通れないような路地に左折し、また左折し、また左折し、また左折すると元の戻れるような感じ。

 

もしも、アルミホイールでもガリっとやれば、その失敗で、『俺はイケると思ったのに、たしかにあそこではこういう感覚だった』 とか振り返って、失敗した感覚がどうだったとかがわかる。

 

擦ったりするのは、俯瞰視ができていないという事なので、見え方にズレがどうあったとわかるだけで軽く数百万円とか得できると考える。

 

もしも、自分の見え方にズレが発生していれば、それは22歳の社会人1年生になるまでに直しておかないとずっとズレていると取り戻せないくらいの結果となるじゃないかと考える。

 

自分が、『攻めているね~』 みたいな道を走ると、どうしても手洗い洗車して拭き上げる時に擦っていないか? みたいに目視チェックする事になるので、素人程洗車する頻度が高くなるのです。

 

友達のお父さんやお母さんが、会社に三之橋の車を置いても良いよ~ と言ったりするのは、何か評価されているからだと思うのです。

 

大学入学式の日に、国産某高級セダンの新車に乗って来ている子がいて、お父さんの車かなあ~ と訊いてしまった。

 

「俺はさ~、4年後に大学を卒業してどこかの企業で営業車にでも乗りつもりなんだ。 その時に困らないように今こういう風に自分でアルバイトして買った車を運転しているだけで、そんな事もわからないで生きているのか?」 と言われた。

 

結構言い方としてキツかった感じですが、翌日からはもう免許持っていて、車も持っていたりするの? とクラスの子にヒアリング調査していった。

 

そういうのをたぶん友達が見ていて、「俺と一緒に自動車学校に行かないか」 と誘われた。

 

自動車学校では鬼教官を指名し、怒られまくりだったのも見ている。

 

卒業後に車で大学に行き、講義に出ずにカフェで大学ノートに、「今日現場に出てみて自分が運転しながらそこにある法則性をみつけた。 こんな残念な運転をしているおじさんやおばさんがいたと書いておけば、さすがに自分でそんな運転ができなくなるので、ぱっと見他人が見て、”アイツは運転下手くそだなあ~” と感じる忌み嫌いものをしなくなり、運転は上手く見えるようになるはず。 運転中はメモが書けないので忘れないうちに書いておくので、プライオリティの問題で講義より価値が高いので今日も大学まで車で来たけれど講義に出られなかった」 と友達に説明した。

 

その結果、「俺と一緒に大学まで車で一緒に行かないか」 と誘われたのだと思う。

 

私三之橋の大学生時代の研究テーマは、大学の入学式で出会った高級車に乗ってきている子に訊いてみたら、それがその後の人生を左右するファクターという事を言っていて、運転の技術で会社員生活が楽しいものになるかどうか分かれると言っていたので、伸びしろの上限まで最短で到達する必要がある・・・」 というモノだったりする。

 

MT車に乗ってそれを変幻自在に運転するという三之橋の車の助手席で、その友達が見て、「たしかに運転は上手いなあ」 と思ったりする。

 

友達は、MT車が苦手でAT車に乗っていた。

 

中型のバイクに乗り、MTで足でシフトチェンジして、左手でクラッチを操作するという事ができるのに、車の場合は左足でクラッチペダルを踏み、右足でアクセルペダルとブレーキペダルを操作するので、なぜかそれが苦手でという人が意外と存在している。

 

でも、私三之橋の場合は、それができている。

 

「会社員になった時に、良く知らないOL姉さんの先輩と会話ができないと自分が辛くなりそうな気がするので、ワンデー彼氏に応募してきた」 みたいに私三之橋は言ったりする。

 

車の運転で周りの車であったり人を良く見て運転できないと事故に遭うとかあるので、俗にそれは、”俯瞰(ふかん)視ができるかどうか” というものだったりする。

 

「私彼氏がいないのですが、今度の日曜日に1日だけ彼氏になって、ドライブに連れて行ってくれる人を募集しています~」 というのをほんとに応募していた。

 

全然何の人間関係もない女子高校生とかとドライブに行く話になり、いざドライブに行ったら車内という狭い空間で会話が噛み合わないと、「ちょっと用事を思い出したので」 と言ってそこで中断となると考えられる。

 

同じ大学に通う女子大生がいた場合、一緒にドライブに行く事になった時に、「三之橋はつまらなすぎ、でもここで中断するとその後大学で顔を合わせるのが決まづくなると思うので今日は最後まで我慢しよう」 とか考えると思う。

 

まったく何の人間関係もないと朝10時とかに待ち合わせして、ドライブして、お昼にランチを一緒に食べたりする。

 

その場合、三之橋のおごりだったりするわけですが、一緒に食事した時に、「この三之橋という人はご飯の食べ方が汚いなあ」 とか、「この三之橋という人は一緒にご飯食べた時に会話がちょっと重たい」 とか感じれば、「お昼からは用事があるので」 と言いそうじゃないですか。

 

でも、1日ずっといて夕食も一緒に食べたりすると、何かそれは合格かなあ~ となるゲーム。

 

「僕は大学生だけど、〇〇さんは仕事何しているの?」 みたいな自己PRとか会話が始まるじゃないですか。

 

ことわざのようなものに、「人生は自己PRの連続」 といわれていたりするので、場数を多く体験しておけば、少なくとも会社員となった最初のOL姉さんとの会話の自己PRとかのやり取りの掴みがハズす事はないかなあ~ と考える。

 

心霊動画とかを観た時に、結婚式の予約までしていたカップルが別れたという人が出てくるシーンがあり、彼女が元彼の事を「あの人こんな癖があって」 とか、「彼は元々オカルトとかに興味持っていて付き合っている時からそれはちょっとと感じていた」 とか話すシーンがあり、「彼氏に合わせていたので大変だった」 とか言うじゃないですか。

 

大学生が社会人となり、会社員となり、OL姉さんが一緒にランチ食べない? と言ったりする。

 

その人と食べたいとかではなくて、1人だと入りづらいお店とかオフィス街に多いからだと思う。

 

でも、1回一緒にランチを食べて、「さすがにあの三之橋と食事するのは、会話も変だった」 となれば、そのOL姉さんは2度誘わないようにして、あとは同僚とかにも、「あの三之橋君と一緒にランチ行ったら失敗だったわ」 とその日のうちに社内に伝播するじゃないですか。

 

新型コロナウィルスの時でも、結婚までしているのでリモートで仕事をするようになったご主人と一緒に過ごす事になった時に、奥さんが、「もう一緒に暮らすのは無理」 と判断して離婚が急増しているじゃないですか。

 

誰かと共生した時に、相手の人がその人と一緒に同じ空間で過ごして、特に忌み嫌うものを感じるか? 感じないのか? という判断でそういう結果が分かれると考えられるのです。

 

ワンデー彼氏も1回やってみて成功だと思っても、それはその人がたまたま相性が良かっただけなのかもしれない。

 

でも、軒並み数多く繰り返していけば、場数の経験則から何かを学ぶとかありそうじゃないですか。

 

会社員になった時に、「あの三之橋と一緒に仕事をすると」 みたいな忌み嫌うものがあれば、それは遠くの人がいない倉庫に飛ばされるとかありそうじゃないですか。

 

そんな考え方を友達と大学に行く車内で話したりする。

 

そうすると友達のお母さんが、「今度家に連れてきて」 と言ったりする。

 

呼ばれたから仕方なく行くしかないのですが、「たしかにあの三之橋はしゃべるのが上手いわ」 と言ったりするらしい。

 

その結果、私三之橋が車で友達のお父さんが社長の会社に行き、友達の車に乗せてもらい大学まで行って夜とか帰るまで会社で車を預かってくれたりするのだと思うのです。

 

私三之橋の父は、木造注文建築業をしていた。 祖父はゼネコンだったりする。

 

でも、いわゆる”身内” となる人は、三之橋の運転練習での話では出てこない。

 

例えば、「父の会社の社員となる人に運転を教えてもらえました」 とかのエピソードは出てこない。

 

全部出て来るのは、何の血縁関係もない、赤の他人ばかりというストーリーなのです。

 

例えば、「父が会社を経営していて、お抱え運転手がいましたので、その人に運転を教えてもらえました」 と言うと、それって生まれた家がお金持ちであったから、その運転ができたんだと感じる人が多いと思うのです。

 

俗に言う、”親ガチャ” みたいなストーリーは、人が忌み嫌う傾向にある。

 

『お父さんが、スポーツカーをポンと買ってくれ、お抱え運転手が教えてくれたので』

 

みたいに言われると、その人に車を運転してもらうと、何か自分もそのお父さんにぶら下がっているようにも見えなくはない。

 

でも、身内の話が出て来ないとそうは思わない。

 

友達のお父さんの会社に車を預けて、でも、賃借料は請求来ないので支払った事もない。

 

希薄な人間関係に過ぎないと思うので、「あの三之橋のやり方ではダメだ」 とお父さんやお母さんが感じれば、それは長くは続かないと思う。

 

お父さんは会った事はないというか、数回どこかで見かけたくらいだと思うので良く知らないのですが、友達のお兄さんとかは大学名聞いて驚くものがあったので、頭の悪い家族ではないと思う。

 

何の検証もせずにそのまま新社会人になって会社員1年生で自分のやり方を持ち込むと失敗しそうなので、赤の他人の会社で試していた感じ。

 

私三之橋が大学生になると、もう周りの子はみんな免許を持っていて、普通車サイズの中古車に乗り、「男性は一生車の運転が付きまとうので、できない程自分が困るだけとなる。 彼氏が彼女を乗せてドライブに行っても、ご主人が奥さんや子供を乗せて温泉旅行に行っても、運転が下手くそだと感じれば奥さんや子供も一緒に出掛けなくなるだけ」 みたいに言っていました。

 

普通に考えると、大学を卒業して新社会人デビューして会社員になっても、上司が、「俺はこういう風に運転の練習したけれど、三之橋はどういう風にやった?」 と運転しながら訊きそうじゃないですか?

 

でも、その上司の人がたまたま貧乏な家に生まれていたり、お父さんやお母さんを事故で無くして1人でその運転をマスターしたという人なのかもしれない。

 

そうするとね、キャスティングボードからお父さんやお母さんは最初に外しておく方が良いと思うのです。

 

「僕のお父さんは会社経営していて、お金もそこそこもっていたので新車を買ってもらいました~」 とか言えば、ずっとその会社に居る間虐められそうじゃないですか。

 

どこかの会社に入り、そこでOL姉さんが働いていて、伝票を入力する時に、「三之橋君は運転できるの?」 と訊かれた時に、「ワンデー彼氏に応募していた」 と話せば、田舎から出てきた女性がいて彼氏がいないという事でご飯も奢っていたのか~ と聞けば、ちょっと良い人に見えるじゃないですか。

 

女性の場合、隣に座る男性社員が電車で痴漢でもしていそうな、誰か女性でもだましていそうに見えるとその距離感で一緒に仕事をすると落ち着かない。

 

でも、ワンデー彼氏に応募してガソリン代も食事代も出していた~ と聞けば、隣にいても緊張しない人に感じるじゃないですか。

 

政治家の人がお金を使って自分の印象を押しあげているのと同じ手法を採用している。

 

昔映画で売れまくったスターが、「映画が売れるのにはどんな要素が必要なのか?」 と質問され、「1に、ストーリー、2にロケーション、3にキャスティング」 と言っていた。

 

ストーリーがダメであればどんなに良い俳優でも売れないし、ロケーションというのは、映画がイギリスのサスペンスドラマであれば、そのストーリーは特に面白くなくても、「私はイギリスの町なみが好きで」 と観る人はいたりする。

 

わざわざ話の途中で、森をドローンが上空を飛ぶ映像を挟んだり、刑事の主人公の車がアクションカメラを地面に置いたものに向かい走るような映像を入れたりしている。

 

「素人だったか、こんな映像は撮れないよね~」 みたいなスペシャル感のある映像を入れていたりする。

 

そういう法則で、「ストーリー性が重要」 というのも採用している。

 

私三之橋が車の運転を習得するという話を聞かれた時に、「こういう論理性でこういう事をやっていました~」 と話すと、「なるほど、それは良いアイデアだね」 とか何か共感でもしてもらえそうなストーリーになっている感じ。

 

何か行動をする時に、報告をする事を前提にやるのと、誰にも報告をしないというのでは、結果が違ってくると思うのです。

 

「さあ、免許も取ったので車の運転技術を高める結果を目指すぞ~」 みたいになった時に、何も考えずに近所のスーパーに行くとか、買い物だけを繰り返してもあまり結果は良くならないかなあ~ と考える。

 

やはり人を乗せて走ってなんぼではないか?

 

乗ってくれる人が、「あの三之橋とずっと一緒だと疲れるので一緒に車で行かなくなった」 みたいな結果になれば、それは修正した方が良い点がある事になる。

 

どうせやるのであれば、それは論理的にそのやり方で良いのかを考え、同時に誰かにやり方を話すという前提に、自分でストーリーを考えてみてからやる方が結果は良くなる気がする。

 

そういう感じでやっただけなのです。

 

そのストーリー的にいえば、車の洗車というのは、「とにかく汚れたと感じたら洗車をするかな。 特にどのような頻度でやるとかは想定していない」 という回答が1番多いのです。

 

アンケート結果で1番多いというのは、たぶんそのやり方をすればするほど、どこか貧しい人生になってしまいそうな気がする。

 

メチャ汚れた時に洗車すると、1回あたりの洗車時間とかが長くなるだけかなあ~ と想像する。

 

そうするとね、1つの事に時間を掛け過ぎるような癖となり、会社とかに入った時に、「あの新人の三之橋って仕事が遅いよね~」 みたいになり、最初の段階で撥ねられてしまうかなあ~ と思ったのです。

 

例えば今大学1年生の人がいて、自動車学校を卒業したばかりで、「これから横並びでスタートとなるわけでどういう風に自分で練習しようかな?」 と考えているとします。

 

その場合は、「大学4年生を卒業し、新社会人デビューして、会社員1年生になった時に最初に上司に与えられる仕事は、上司の息子さんに運転を教える事だ」 みたいな想定で、考えると良いと思うのです。

 

私三之橋の場合は、会社員となり上司が仕事で出かけるので一緒に行こうと誘われ、ドライブのように走っていると、上司が都内にある某大学生時代に、半年に1度中古車を乗り換えていたと話していた。 1台の車に乗り続け、それが自動車のすべてだと思い込みを防いでいたような話をしていました。

 

『三之橋君は、何台くらい乗った事があるの?』 と訊かれた。

 

「公道を走るのに、周りの車がどういう加速をするとかがわからないと、飛ばすとか危険なだけなので、バイクとか、軽トラとかトラックとか、軽自動車、コンパクトカー、友達の新車で買ったBMWの1番高い7シリーズの外車とか、基本は公道で見かける乗り物は全部の種類を乗った気がします。 後は、福岡の人とか雪道を走れないとバカにされるとか聞いたので札幌まで飛行機で飛んでレンタカーでチェーンを装着したライトバンとか借りて札幌市内をただ走るとかして、夜は食事を1人で外でしたくないのでルームサービスでいつもお寿司セットを食べて寝て、翌朝飛行機で帰ったりした・・・ 全部で何種類になるのか覚えていません」 と言ったら運転していた上司が楽しそうに笑っていました。

 

そんな感じで、上司とかが、「俺はこのくらいやったけれど」 と話して訊く感じ。

 

役員面接で、「三之橋さんは、車の運転はどうですか? 自信ありますか?」 と訊かれた時に、「車の運転は自動車学校に行き、やはりお金を出す以上は講師のような人ではない先生のような人に教わらないと意味がないと鬼教官に怒鳴られまくりでしたので最初は凹みまくりのスタートでした。 それで自分で伸びしろの上限まで最短で到達する方法を考えましたところ、ある日警察署長のところに連れていかれ、”お前逮捕しても良いんだぞ” と叱られてしまいました。 でも、ご安心ください、逮捕された事も収監された事もありません。 修羅場の1つや2つくぐらないと上達できないものもあるわけで、その経験が貴社できっとお役に立てそうな気がします。 飛行機に乗った時にアナウンスで、”本日の機長は〇〇〇です。 飛行時間2万時間を超えるベテランですので御安心ください” とか言うので、不慣れさは時間でなんとかできると場数は増やして年間5万km、4年でざっと20万km程走っておきました。 上司の人を想像した時に40歳くらいで、もう20万kmくらいは走っていると考え、横並びでスタートできるようにまで調整しておきました」 と説明したら、役員の席に座っていた人達が楽しそうに笑っていました。

 

そんな感じでほんとに質問されるとかあるのです。

 

例えば、どこかの有名な国立大学に合格して、その大学生時代に軽自動車に乗って近所のスーパーに買い物に行っていたとします。

 

面接で、「車の運転はどうですか?」 と訊かれたら、「はい、大丈夫です」 とか答えたりするじゃないですか。

 

悪気はないと思うのですが、その人の「車の運転」 という認識のイメージでは仕事でもスーパーに行くのと同じでしょ? みたいな感じだったりする。

 

お父さんが車を持っていなくて、タクシーにでも乗った時のイメージとなる人もいたりします。

 

私三之橋の場合は、スピードスターという感じで、警察署長には叱られてしまいました~ と言う感じですが、意外と喜ばれるのです。

 

なぜか?

 

例えば、どこかの会社の御曹司みたいな感じで生まれた人というのは、「とにかく良い大学に行かないとすべてが台無しになるのよ」 みたいに、お坊ちゃま学校にお抱え運転手の車で通ったりして、家庭教師がいたりして、とりあえず1流の有名な大学に合格したりする。

 

たぶん、18歳の大学1年生でその潮目が変わるのだと思うのです。

 

自動車学校に通い運転免許証を取得する。

 

車の運転をしてみて、MT車の運転で左足でクラッチペダルを操作し、左手でシフトレバー操作し、右足でブレーキペダルとアクセルペダルを操作し、右手でステアリングを操作する・・・ みたいにそれぞれの手足で操作すると、「うわっ、これはちょっと俺にはできないぞ」 となる人がいる。

 

昔、車の運転免許は自動車学校に行ったりした時に教習車は普通車サイズのMT車しかありませんでした。

 

右足で少しアクセルを踏みながら、左手でクラッチを滑らせる感じでつなぐ。

 

そう説明されても、それは実践を繰り返してその感覚を覚えていくしかない。

 

私三之橋の大学に一緒に行く友達も、中型バイクとかでは乗れるのに、普通車とかの運転でMT車は苦手という感じで、AT車の中古を買って乗っていました。

 

車の発進時に交差点で自分が先頭になっていて、左足で踏んでいるクラッチペダルをサッと滑る位置で接続して発進する。

 

というシュチューエーションで、上手くできずにエンストでもすれば恥ずかしいとなるし、何度もそういうのが続くと「車の運転は難しい」 と感じてしまう。

 

AT車に乗り、「右足だけで操作する」 という方法にすれば脳の負担も減る事になり、「それはできた~」 みたいな人がいる感じ。

 

小学生くらいのチビッ子時代から参考書でも読んで理解し記憶して、学校のテストでは90点とかで安定していた~ というのは、どちらかといえば記憶力というもので生きてきただけかなあ~ となります。

 

でも、車の運転を実践してみた時に、「うわっ、俺の運転手ができているのでもっと簡単だと思っていたのに、こんなに難しいのかあ」 と感じたりする。

 

普通に考えた場合、偏桃体の発達に問題でも起きているのかなあ~ と考えると思うので、「大学卒業後はどこかの企業で働くのは危険」 と判断されて、就職した事がないという人が実在している。

 

「あの福岡では有名な会社の〇〇〇〇の社長の息子は、俺の同級生で同じ会社で働いた事があるけれど、ほんとに仕事できない人でした~」 とかそういう人が出ると、会社の評判が落ちるという損失しかない。

 

ある会社で、社長の子供が男の子5人とかいた時に、5人全員有名な大学まで行ったけれど、就職した事がないとかほんとにあるのです。

 

とりあえず子会社の方で修行させて、運転手をつけて運転させずに、みたいに失敗をしない事が成功という感じでやっているパターンが存在する。

 

仮にもしも、その人が面接する時に、「車と車の間をすり抜けて走っています」 みたいな人がいると、たぶん、『こいつは神っているなあ』 と見えるかなあ~ と思うのです。

 

会社の面接とかって、社長が自分から見て真逆な人間とかを採用したりするじゃないですか。

 

自分と同じタイプとか社内にたくさんいたりするので、わざわざ欲しい人材でもない。

 

例えば、生命保険のセールスのおばちゃんみたいな仕事を想像してみてください。

 

私三之橋の家の前に、デカい屋根付き月極駐車場があるのですが、A社という生命保険会社の管理職の人が会いたいと言って自宅にやってきた。

 

家の前の駐車場に無段駐車でもされるとマズイので、「今日はお車で来られたのですか? ちなみにどこに駐車されましたか?」 と訊くと自宅前の道路の幅員がデカいので駐車禁止となっている公道に駐車しハザードを点けたまま1時間とか話していました。

 

別の生命保険会社のBさんという営業所所長が会いたいと言われ自宅にやってきました。

 

同じように、「今日はお車で来られたと思うのですが、どこに駐車されましたか?」 と訊くと近所のお店のお客様駐車場に駐車して2人で歩いて来たと言われていました。

 

生命保険でも、火災保険でも、できればその人の自宅に伺ってという会い方を好まれる傾向にあるので自宅に電話もして来られるのですが、私三之橋の調査では、自宅前のデカい屋根付き月極駐車場に無断駐車した事例は1件もありませんでした。

 

でも、どこに駐車するのか? というのは十人十色のようにかならバラバラの結果でした。

 

例えば、大学生時代に中古で軽自動車でも買い、スーパーの買い物に行っていたとします。

 

たまに、彼女とデートでドライブに行く事はあったとします。

 

それって、駐車する時に全部お店とかが用意したお客様駐車場に駐車しただけの経験ではないかなあ~ と思うのです。

 

社会人になり、どこかの会社で会社員1年生となった時に社有車に1人で乗って仕事に出かけた時、その取引先にはお客様駐車場がないとかあったりします。

 

「ここは、公道のあそこに路上駐車して、短時間で引き上げるか」 とか、「少し離れたところにコインパーキングがあるのでそこに駐車して歩いていくか」 とか、そういう判断をしないといけなくなる。

 

そういうのも、できない人にはどういう風に判断して良いのかがわからないとかあると思うのです。

 

新社会人デビューして、新入社員となった時に、上司の仕事に同行するOJTとかで、上司の車を運転させられる。 「道は俺が教えるので」 と言われ、「そこは左ね」 とか言われる。

 

目的の取引先の会社に到着した時に、上司が「駐車場がいっぱいだなあ」 と言ったりして、「じゃあ、あそこに駐車しましょうか」 と新入社員が言って、「そうだね」 と上司が言う。

 

普通は会話でそういう風に噛み合わないといけない。

 

でも、そうならない人も珍しくはない。

 

例えば実際にあった事例として都内で上司が、「運転できるよね?」 と言ってキーを渡して、「俺が道を教えるから」 と運転させ、「そこ首都高に入って」 と言った。

 

でも、合流する際に車が多すぎて驚き急ブレーキを踏んで止まってしまった。

 

「ねえ、〇〇君、こんなところで止まったらどうやってこの先抜け出すとか考えないでブレーキを踏んじゃったのかなあ~。 後ろの車は俺たちのせいで大渋滞して迷惑になっているって気づかないかなあ~」 となってしまった。

 

車を運転する上司は、大学を卒業して入社し、20年とか運転し続けているじゃないですか。

 

あくまでもその人の感覚で、「車の運転はできるよね?」 と軽く訊いてからキーを渡している。

 

まさか車が多すぎてぶつかると判断して急ブレーキを踏まれるとかは予想していない。

 

どこかの上場企業で内勤職として働いている人がいて、運転免許証も持っていて、ある日得意先の会社に何か商品とかを届けないといけない事態が起きたとします。

 

『ちょっと俺は仕事もあるので行けないし、運転もできないのでお前行ってきて』 と後輩に押し付ける人がいる。

 

なぜか?

 

行った事もない会社の物流倉庫とかに初めて行くと、ぱっと見どこからどういう風に入れば良いのかとかわからないとかあったりする。

 

行って恥をかきたくはない。

 

あるいは都市部のオフィス街で得意先の会社に来客用駐車場がないと、どこに駐車すれば良いのかわからないので、行って恥をかくと、あとで社内で笑われるのが絶対に嫌という理由で行かない人がいる。

 

1流大学を卒業し、免許も持っているのに、入社してもう10年在籍しているのに、1度も社有車に乗っていないという社員が実際に居る感じ。

 

乗らなければ失敗しないという理屈でしょうか。

 

私三之橋の場合は、会社員になり、役員に「ちょっと午後から行きたいところがあるので運転してくれないかなあ」 と言われ、「わかりました」 と言っていました。

 

黒塗りのピッカピッカな新車を倉庫の方に行って借りてくるのですが、専属の運転手がいるのに、借りに行く。

 

行きたい場所のゼンリンの地図ページをコピーしてもっていくのですが、ドライブルートとか自分で組み立てないといけない。

 

住宅街の中にある1軒の一戸建ての家に向かう。

 

どこかの企業の役員でどこかのパーティーで知り合ったような友達の家という感じで、来客用駐車場がないとかの家は別に珍しくもない。

 

「どこに停めて待機しようか」 とかも初めて行った現地でサッと空気を読んで決めないといけない。

 

10月27日の金曜日午後15時くらいに出掛けようと思い、車1台しか通れない路地に入って歩くと、そこに軽自動車が入ってきて、とある家の前で停まった。

 

「うわっ、そこに停められると月極駐車場から出られないじゃん」 と思いました。

 

月極駐車場に行き、「まあ、わざわざそんな路地に停めるくらいなので5分くらいの荷物を下ろすとかですぐに出るだろうし」 と思ってブログ用に撮影したりしていた。

 

「うわっ、まだ玄関先で立ち話している」 という感じだったので、『すみませ~ん、車が通れないので移動してもらっませんか~』 と言ったら、聞こえないみたいでもう1度言うと、「わかりました~」 と言われ移動してくれた。

 

月極駐車場に歩いて戻り30プリウスで出かけようとしたらその前に停まり、『〇〇さんの家はこちらですよね?』 と言われてその家の先で停まった。

 

ぱっと見住人ではなくて、何か福祉の会社の人が認知症の家に廻っているように見えました。

 

普通は、どこか広い邪魔にならない場所に路上駐車して、数軒の家を歩いて廻れば済む話に見える。

 

俗に言う、”作業員の運転” といわれるやつかなあ~ と思いました。

 

ドイツでは、自動車学校に通うと最初に運転哲学として、「車の運転は常に俯瞰(ふかん)視で周りの車や人を良く見て事故に遭わないように気を付けて、誰かの迷惑にならない事」 と教えて、公道で実践練習させている。

 

それは日本でも同じで、どこかの会社に所属する人が社有車とかで仕事に出かけた場合、帰ってくるまでに誰かの迷惑にならない事ができないといけない事だとされている。

 

でも、現実としては、出先でどこに車を駐車するのが適切か、という判断を1人でできない人がいて、手っ取り早く目的地の家の前で停まり、そこでそばに車を置いたまま立ち話をして、という巡回をしている人がいる。

 

近所に住む高齢者の認知症に見える人が立ち話をしている時にクラクションを鳴らすというのも違和感はあると思うので、その人にいちいち、「車が通れないので移動してもらえませんか~」 と言いに行くのが面倒な感じ。

 

自宅前にある広い幅員の道路に面しているデカい屋根付き月極駐車場に保管している時には、いちいち路地を通らなくて済んだのですが、屋根なし月極駐車場に移動してから路地に障害物があるような事が結構多くて面倒に感じる。

 

そんな事がありました。

 

例えば、黒塗りのデカい高級車を運転してどこかの高級住宅街に役員を乗せて行き、そこで待機するというシュチューエーションでも、やはり110番緊急通報され、「不審車が停まっている」 と言われクラウンパトカーがやってくるとかもあると思う。

 

110番緊急通報する人は、「これはちょっと不信かな」 と110番緊急通報する時と、「これは法人車の運転手さんが待機しているだけかな」 みたいに判断されていると思うのです。

 

『ここは南東の角地か、だったらそこで停まると曲がる車等の邪魔になるな』 とかそういうのは自分で判断しないといけない。

 

デカい車は、待機中はパトカーと同じでエンジンとかずっとかけっぱなしとなるので、「この距離では前の家の住人に迷惑にならないかな」 とかは現地で判断しないといけない。

 

クラウンのパトカーでも呼ばれてしまえば、それはちょっと洒落にならないと思う。

 

お金持ちの人の感覚というのは、恥ずかしい人とは一緒に出掛けないと思うのです。

 

逆に言えば、役員が一緒に出掛けて恥もかかないというくらいに調整してあれば、彼女のお母さんとかでも、「娘の彼氏の三之橋と一緒に2人で出かけても恥ずかしくない」 と思ってもらえたりしてお小遣いをもらえるとかあると思うのです。

 

大学生が大学を4年で卒業したら、普通は会社員デビューする人が多いかなあ~ と思う。

 

その場合、役員であったり、上司であったり、先輩となる人がいて、「あの三之橋と一緒に出掛けるかあ、恥ずかしくはない奴だし」 みたいに思われるのを目指すくらいがちょうど良いと思うのです。

 

今高校生であったり、大学生であったり、何かの専門学校生という学生の人だと、会社の世界はどんなものかというのは想像できないと思う。

 

とある先輩がデカい有名な企業に就職しているとそれだけで凄い人という風に感じてしまうかもしれない。

 

でも、現実はデカい有名な企業で正社員のOL姉さんでも、座敷牢の主人みたいな感じで仕事で外に出るとかできない人は意外と多く存在しているのです。

 

「あの人はお客様の前に出しても良い人なの?」

 

みたいに何か表のフロントに立たせられるような人なのか? というもう1段上のような審査がある感じ。

 

例えば、私三之橋の場合は、大学を卒業して最初にもらえた仕事は、上司が忙しくていけないので銀行廻りをしてくるという事で上司の高級車に乗って1人で大金を運んだりしていました。

 

『そんな仕事は、小学生のガキでもできるでしょ?』

 

と思われるかもしれませんが、会社を代表して銀行に行く感じになるので、「社員の誰にも行かせられる」 とは上司とか役員は考えない。

 

例えば、今有名な大学生であったり、一流大学とかの大学生だと、「へっへっへっ、俺様は勝ち組の人なんだぜ~」 みたいに思ったりすると思う。

 

それは小学生のチビッ子時代から、テストで100点でも取れば勝者みたいな感じだったりするから。

 

でも、大学生を卒業すると新社会人デビューして、会社員1年生になったりすると、潮目が大きく変わる。

 

どこかの上場企業があり、そこに10人の新入社員が入ったとします。 仮にという話ですのであまり人数は関係ないと考えてください。

 

10人の新入社員が入社したという場合、大学生の視点だと、それは有名大学を出た人の順番で何か配属されるところが良い場所に当たるみたいに考えてしまうと思うのです。

 

新卒採用で入社し、同期入社の人をどう見ているのか? 「あの〇〇さんという人は国立のあの大学らしい」 とかそういう区別をしているのか? という点では、たぶん何も思っていないと思うのです。

 

上司の〇〇部長は、「へえ~、あの人はあの大学なんだ」 とか普段意識しているとかもたぶんない。 

 

部下ができて、「へえ~、あの短大卒なんだ」 とかも普段意識していない。

 

海外のテレビドラマで凄いお金持ちの人がいて、デカい豪華な一戸建ての家に住んでいて、飾っている絵が無名な人のもので、「〇〇さんの教えてもらったように、見た目が派手なのに限って中身がない」 と言ったりするじゃないですか。

 

「あの人は有名なあの大学なのできっと出世しまくるような気がする」 と考えても、実際はそういうものでもなかったりする感じなので、あまり大学の名称とかは特に気にしていない。

 

強いていえば、上司が大学が都内だったりするとか、部下が地元の短大だったりするとか、そういうのは意識している。

 

上司と車に乗り2人でドライブのように走るシュチューエーションで、「〇〇部長は、都内の大学だと聞いたのですが、どこに住んでいたのですか?」 とかそういう話ができる。

 

部下が、地元の短大だとわかれば、それは親と同居している人なので、「1人暮らしはどう?」 みたいな変な事を言わずに済む。

 

会話はその人のプロファイリングから構成させるだけなので、上司が都内で4年間過ごしたとか、部下はずっとお父さんやお母さんと一緒に過ごしているとか家族を大事にしているとかがわかる感じ。

 

部下が実家に住んでいれば、「じゃあ、僕と同じで一緒に仕事するに当たって似たもの同士で良かったね」 と言えば良いじゃないですか。

 

例えば、「もう19歳で大人なので1人暮らしをした方が良いよ」 とか言ってしまう人がいると思うのですが、友達でもない人に言われると、「何で友達でもない人にそんな事を言われないといけないのかなあ」 と思ったりして、苦手感みたいなものを感じて距離を取ろうとなる人もいる。

 

自分が体験して良いなあ~ というのは、周りの人はそうではない事もある。

 

大学生とかになり、生まれて初めて家を出て、どこか県外とかの土地勘のない所に引っ越して、1人暮らしをする。

 

1人になってみて、お母さんがご飯を作ってくれたとかが無くなった事で感じる何かがある。

 

私三之橋の場合は、大学生1年生でいつもその人のマンションに入り浸っていたという友達がいて、夏休み明けには1つの袋に8種類の薬が入っていて、お昼にコンビニで弁当を買って来て食べたら、薬を飲んで、「もう一生治らないと大学病院で宣告された」 と言っていた。

 

1人暮らしをして、何を食べようかとなった時に好きなものしか食べない事で病気になったと話して、その人は1人になった事でお母さんと一緒でないとダメな人だと病気になった事で分かったのだと思う。

 

大学生の18歳とかで1人になるという事で何かがわかるのだと思う。

 

18歳になった時にやるべき事としては、1人になった時に何が得意で何が苦手なのかを認識する事かなあ~ と思う。

 

彼女とかガールフレンドがいて、「ねえ、今度の休みは新しくできたあのテーマパークに行こうよ」 と言ったりして、日曜日に朝早く起きて1人で洗車し、彼女の家に迎えに行き、どこに駐車するとかも考え、サッと1人で地図本を出してドライブルートを組み立てて、その進捗具合を管理して、時には道に迷い畑仕事をしているおじいさんに道を尋ねたりして修正し、目的地に到着して、ご飯も食べて最後に彼女の家まで送っていかないといけない。

 

彼女が車の運転もしない免許もない人だと、それらは全部私三之橋が1人でやらないといけないじゃないですか。

 

1人で1人ボッチで県外にドライブの練習に行くのと違い、彼女を乗せて遊ぶという目的が上手くいくように1人で頑張らないといけないわけで、何が得意とか、何が苦手とかがわかる。

 

大学で男友達がいて、4人で誰かの車やレンタカーに乗って「あそこにみんなで行ってみようぜ」 みたいなものだと、道がわからなくても助手席の人が教えてくれるとかで、大勢だと楽ちんだったりする。

 

でも、1人で頑張るというシュチューエーションでは、1人ボッチではなくて、彼女とかの行きたいところに運転して頑張るというのが1番しんどいというか、負荷がかかる。

 

1人であれば、「もう帰ろうか」 という選択肢がある。 「ここで休憩するか」 とかも自分のペースでとなる。

 

彼女とか、ガールフレンドがいて、どこか行きたいところに遊びに車で行く。 朝から晩まで一緒に過ごせば、「ちょっと三之橋は一緒にいてもつまらないのでもう次回はないな」 とかそういう結果は目に見えやすい形になると思う。

 

もしも1回ドライブとかに行って次回はないという結果であれば、何かそれだけの続かない理由があったと考えられるので、それは大学生であるうちに修正しておかないと会社員になって自分に跳ね返ってくるという事になりそうな気がする。

 

何を重要視しているのか? と訊かれた場合、人間関係の構築みたいなものかなあ~ と思うのです。

 

そんな感じなので、人生初の女性部下ができた時に、親と一緒に住んでいます~ と言われても1人になってわかるという経験が少ないだけにしか見えない感じで特に気にならない。

 

家族のお父さんやお母さんと仲が良いという人だと、1度構築できた人間関係は自ら壊さないような人と考えられるので、最初の掴みで失敗しない限りは部下としては楽な人だと思う感じ。

 

後はちょっと入るのも難しそうな短大だったりしたので、説明したら理解できる人なんだと最初にプロファイリングでそう感じたくらい。

 

高校卒が悪いというのもないと思う。 部下が高卒だったりすれば、「例えば大学生の時にこういうのがあるじゃない?」 みたいなたとえ話をしてしまうと、「すみません私は大学に行ったことなくて」 と言われるじゃないですか。

 

その人の見た事のない景色をわざわざ説明する時に使わないとかした方が良いくらいの判断材料でしかないと思う。

 

例えば、昭和の時代に新卒で入社し、コンピュータの波みたいなものに乗る事ができず、『俺は絶対にコンピュータとかそんなものはやらんぞ』 という人が役員になり、モバイルPCを支給された時に、「俺は三之橋に教えてもらう」 と言ったりする。

 

その結果モバイルPCをいつも触ってメールしたりするように変わる。

 

人間ってそんなものですよ。

 

人は教えてくれる人がいれば、変われる。

 

ライザップとかでもそうじゃないですか。

 

でも、多くは教えてくれる人がいない。

 

誰も教えてくれない世界では、俯瞰(ふかん)視ができるかどうか? みたいなもので運命が分かれている感じに見える。

 

私が大学を卒業して、会社員となった後で現場で見て来たラインに乗っかれた人みたいな印象は、車の運転とかスイスイ走れるような人が多かった。

 

逆に、凄い大学を卒業できたみたいな人で、上手く乗れないように見えた人は、みんな車の運転が苦手に見えた。

 

私三之橋が大学生となった入学式の日には、もう国産の某高級セダンの新車を買って乗ってきていた子がいて、気になって訊いてみたら、もう同じクラスの子はみんな自動車運転免許証も、普通車サイズの中古車を持って乗っているという事で驚き、それはその後の人生を左右するからという理由だった。

 

私三之橋は大学生になるチョイ前は、同じ高校でいつも一緒という友達に、「お前とは一生付き合っても良い奴だと考えているので、これからはコンピュータの時代だと思うので一緒に専門学校に行かないか」 と誘われ、小ズルい作戦ではあるのですが、キーボードのキーの位置がランダムになっているのを見て難しいと判断し、デスクトップPCを買ってきた。

 

中学生くらいに引きこもりになった子の家に遊びに行くと100万円とかのデスクトップPCがあり、親が買ってくれたという感じでコンピュータゲームのソフトがズラ~っと本棚に並んでいたりしたので、「とりあえずこのくらいかなあ」 と控え目に買ったら30万円超えでした。

 

でも、その後に大学生になる事になり、入学式で、「えっ、大学卒業した後の会社員生活の為に300万円もする車を買っちゃったんですか~」 と驚いてしまった。

 

その子の話では、15歳でもうスタートしてアルバイトしてお金を貯めて、大学には自力でテストに合格しているという努力した感じが伝わり、グ~たらな私三之橋は受験勉強さえしていない感じで推薦されていたので、気まずいものもあった。

 

根がグ~たらな人というのは、もう周りの子が先行してやっているのを見てしまうと、「どうやればその人達を全部まとめて抜く事ができるだろうか?」 とかそういうところにフォーカスしてしまい、ちょっと考えてしまう。

 

ヒアリング調査した結果から、手っ取り早く自分で自分用に何か設計した方が確実ではないかなあ~ とオリジナルでやり方を考えてしまった感じ。

 

時々繁華街とかで見かけるじゃないですか。 仕立ての良いスーツを着て、襟にやくざチックな襟章を着けていて、若いおね~さんともいるような集団で飲んでいるようなゲーマーのような主人公みたいな人達。

 

大学生になった時に、周りの子が目指していたのはあんな世界かなあ~ 、と思い、自分も目指してしまう。

 

高校生の頃の職業適性検査で、精神病の医者になれば大成功間違いありません~ と書いてあったりしたのですが、何かクリニックの院長のイメージというのは、頭の壊れた人だけがやってくる世界で、一生そんな仕事をしていると自分も精神やられそうじゃないですか。

 

楽して金儲けという世界よりも、もっと綺麗な壊れていないOL姉さんとかいっぱい溢れている会社で働く方がイメージは良いじゃないですか。

 

「会社員って仕事も難しいでしょ?」 と訊かれる人とかもいらっしゃるのですが、難易度とかよりも、綺麗なOL姉さんがいないような残念な環境だと自分が可哀想な気がするだけですよ。

 

テレビでお父さんがプロ野球中継を観ていて、そのテレビを一緒に観てしまい、そこに額から汗を流しまくりで投げているピッチャーの姿を見て、「僕もあんな人になりたいなあ」 と思うチビッ子がいる。

 

でも、チビッ子によっては、ある日プロ野球の試合を観に行った時に、綺麗なお姉さんにサインとか頼まれているピッチャーを見て、「あんな人生が良いかな」 とそれでプロ野球選手を目指す人もいる。

 

私三之橋の場合は、中学生くらいになるとなぜか学校に行かない友達がいたりして、高校とかにも行っていない感じだった。

 

家に凄く高そうなデスクトップのPCがあり、コンピュータゲームをする為のものが100万円とかするような感じで、よく「それで遊んでも良いよ」 と言われたのですがずっとやらず仕舞いという感じでした。

 

その人にとっては、きっと宝物のようなものだと思うので、触るのもどうかなあ~ みたいな感じで、パソコンとかを触るのもアレルギーみたいな感じがあった。

 

でも、自分が大学生になった時には、最終ステージのような感じになるので、「何かイケそうな気がする」 みたいに攻略して会社員になれそうな気がした。

 

「もしも失敗して」 コンテンパンにやられてしまったら、それは映画で戦闘機に乗っている人が敵に追われまくった時に、イジェクトボタンを押して何億円もする戦闘機を捨ててしまい、”生きている人が勝ち” みたいに言ったりするように失敗はどこで自分で判断すると決めていた感じ。

 

コンピュータを習ったりする人は、if then プログラムのように、「もし、〇〇であったら、XXする」 みたいな考え方、機械的な考え方をしている感じがあると思う。

 

後は、コテンパンにやられた時に、みっともない顔をして家にいれば、それはお父さんとかが見たくもない顔だったりすると思うので、「その時には引きこもりになったあの子の家でゲームしながら、リブート方法を模索するか~」 と思ったりする感じ。

 

引きこもりになった人というのは、家の中にいれば、それ以上傷つかないで済むという考え方をしていると思うので、そういう人が身近にいれば教師のようにするので、「自分だったら家にはいないかな」 みたいな考え方をしている。

 

小学生くらいのチビッ子時代に、塾とかに行ったりすると、プレッシャーとかでダツラクしていく子が少なくないので、自分がダツラクしない限り、引きこもりになった友達とかが鼠算式に増えていく感じがある。

 

大学の入学式の日に、「車の運転がその後の人生を左右するファクターだ」 みたいに教えてくれた人がいたので、「なんだ、それを攻略すれば次のステージの会社員1年生で困らないのか」 とやっていただけかなあ~ と思う。

 

チョイスに迷う事があれば、「引きこもりをやっているあの子だと右に行くと思うので、ここは左がアタリかな」 とチョイスるような真逆を選択するだけみたいなシンプルな発想をしている。

 

有名な大学とかに行った人が、新社会人デビューして、会社員になった時に上手くいかないとかあったりするのは、たぶん潮目が変わるというスジヨミの部分、見通しが甘いからではないかと思う。

 

大人になるまで、人生が順風万端であった人は自分のその人生がずっとそのまま続くという風に見える錯視があると思うので、沼にハマると抜け出せない。

 

子供は本を読む事で言葉を覚えるといわれ、推理小説とかを大学生時代に読むとかするじゃないですか。

 

でも、頭の中の記憶領域にある言葉は、それを使ってなんぼですので、ブログとかを書いていた利する方がまだしゃべれると思うのです。

 

男性に多い特徴って、誰かにメール送る場合でも短文が多くて、長文のメールとかまともに読まないじゃないですか。

 

最近iPhone13imini用のスマホケースを買ったのですが、何だか届かない。 それで普通郵便での発送で未着の為に受け取りボタンを押せないとやり取りで金曜日に送りました。

 

そうすると、その出品者の女性からそこそこ長文のメッセージが届き、現在出産の為に入院していて、家族に普通郵便で発送を頼んだら料金不足で戻ってきて、再度送った為に時間かかっているという説明でした。

 

発送でミスったのであれば、問い合わせされる前に自ら知らせるのが社会人かなあ~ とは思ったりしますが、ご主人が内緒にしていたのかもしれないですね。

 

でも、女性の方が説明はできる傾向にあるかなあ~ と思ったりします。

 

男性の場合ですと、メールとかでメッセージを送るような部分で文節が短い感じになる事が多いのは、普段メールを送らないとかで文字入力に時間かかるからだったりします。

 

そんな感じだと会社員になった時に、報告書を書けないという感じになり、その結果仕事も廻ってこないとかになる。

 

会社の報告書というのは、「未曽有の緊急事態が起きました。 三之橋さん出動してください」 と急に仕事が回ってきてしまい、やるしかない。

 

その日の朝出勤してから言われるので、当日の予定をすべてキャンセルしたりして出かける。 仕事は現場で組み立ててやるわけで終わったら終わったで、報告書を書かないといけない。

 

例えば、どこかの上場企業であれば社長とかに報告書を書く。 

 

報告書とは、送り先が誰でどういう正確でどういう報告書を好むとか考えて構成し、自分の言葉で書かないといけない。

 

夕方とか会社に戻った時に、そこで一気にボールペンで殴り書きしますので、下書きとかはない。

 

本社にファックスしておけば、社長は早く自宅に帰っていたりするので、社長の家にファックスされ、それはお手伝いさんが整理してファイルに閉じたりする。

 

手書きしたものでないと絶対に読めないで捨てる人とか実在しています。 文字の脱字とか補正してくれるとかあるので、機械に頼らないと手紙も書けないバカと思われる感じ。

 

読んだ時に、『これどういう意味なのだろうか?』 と思えば、総務とかに翌日に訊くことになるわけで、面倒じゃないですか。

 

『この三之橋ってやつはほんとに気が利かない奴だなあ』 と思って、たぶん2度と仕事が回ってこなくなる。

 

 

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