今回は、自宅郵便受けに変な郵便が届いたお話になります。
上記が実際に届いた郵便物で、裏面には住所とかも社名なども一切なくて、個人名だけ書いてありました。
「何だこれ、気持ち悪いなあ」 と思いながら手に取り、家族に、「こんなもの届いたんだけど、この人知っている?」 と訊くと「知らない」 と言う。
仕方ないので開けて見ると、書類や名刺が入っていて、「イエステーション○○店 株式会社コムハウス 〇〇 〇」 みたいな書面が入っていました。
内容はたまたま車でお宅の前を通ったら、「この家は高く売れる」 と判断し、登記簿謄本を調べてお手紙を書いてみました~」 みたいな内容でした。
会社の業務でされているのでしょうから、気持ち悪いというのもお知らせしておこうと考え、ウェブサイトから、「社会人だと思うので社名や住所も書かずに個人名で郵便送られると気持ち悪いのでやめさせてほしい」 と送っておきました。
警察署にも変な郵便送ってくる人がいて迷惑していると送っておきました。
例えば、どこかに出かけ、その家とか建物であったり、土地を見て、「これは所有者を調べてみよう」と不動産会社であれば不動産の登記簿とかネットで見られるようになっているので、その所有者に連絡を取ってみるとかはあると思う。
何か土地でも持っていれば、「お隣さんの土地に家が建つ事になりまして、境界線の確認をお願いしたいのですが」 みたいな感じで調査する会社の人が連絡してくるとかあると思う。
でも、こんな郵便物が郵便受けに入っていれば、気持ち悪いじゃないですか。
普通郵便に限らず、送った相手が受け取り拒否した時の為とか、発送人が返送まで考慮して住所とか普通書いてあると思うのです。
「高く売れる自信あり」 とかそんな事が書いてあっても、本社に「もっと当たり前の人にして」 みたいに言いたくなる人の方が多くて損するだけではないかなあ~ と思います。
あまりにも気持ち悪いので、連絡はしてこないようにして欲しいと拒絶でお願いしますと送っておきました。
法人が郵便を送る時には、郵便料金計器を使うとか、切手を貼るとかあるのですが、左上に料金後納郵便って書いてあったので、会社として出してあるのだと思います。
それなのに社名も書いていないのは変かなと感じたので、一応警察にも届けておきました。
郵便とか手紙とかって、よくわからないという人もいると思います。
世の中にはいろいろな人がいて、例えば、何か悪い事をやらかしてしまい、警察署の留置場に居る人や、拘置所に居る人、どこかの刑務所に居る人でも、誰かに手紙を送る場合には、現在いる施設の住所や名称とかを発送人の欄に書いて出していると思う。
それは、中身を読みたくない人が察して、受け取り拒否で返送できるようにしてあるような配慮もしてあると思うのです。
ひょっとしたら、どこかの不動産会社に大学を卒業したが新入社員として入社して、先輩とかに、「こんな風に送れば絶対に開封される裏技がある」 みたいに言われてやっただけなのかもしれないのですが、普通は受け取った人がその日のうちに警察署とか、国会議員とかに「頭のおかしな人から変なモノが送られてきた」 と連絡されると思うので、自分で自分の首を絞めるだけではないかなあ~ と思ったりします。
世の中には自宅の電話とかが鳴り、出てみたらセールスの電話だったという事で、「セールスの電話は嫌だなあ」 と思う人がいたりすると思いますが、電話の場合は、そこに電話する人の自由がある為に、拒絶したいと伝えても掛けてくる電話は、デジタル交換機でブロックできそうな気がしますが、原則できないらしい。
電話が掛かって来て嫌であればそこで切るだろうし、会話が成立しないという考え方だったりしている。
でも、郵便とか、宅配便とか、電報はブロックできたりする点が違っていたりします。
今大学生の人とかの場合、将来何かのセールスみたいな営業系のお仕事をされる人もいるかと思いますが、何かを知らな人に送る時は、よく考えて投函した方が良いと思います。
面倒くさいのは、法人格の会社に所属している人が何かをやらかしたという場合、善管注意義務に基づき、「ひょっとしたらその会社の上司であったり、社長とかは知らないのかもしれないなあ」 というのがあるので、すでに警察に通知したとかも含めお知らせした方が良いという部分になります。
こういうのが難しいと思う事例を書いておきますと、自宅前のデカい屋根付き月極駐車場にとある大手の宅配便の軽ワゴン車が勝手に入り休憩したりするという事があり、直接ドライバーに注意した。
でも、しばらくするとまた繰り返すようになっていたので、注意しようと近づくとあきらかに逃げたりしたので、本社に迷惑を受けているとお知らせしました。
謝罪とかは不要なのでやめさせてほしいと伝えたのですが、責任者が訪ねてきましたので、現地で説明して謝罪もされて帰られました。
その後は、もちろんそのような事は起きなくなりました。
どこかの会社に苦情を入れる。 それは周りの人から見れば謝罪に来て欲しいとかそういう風に見えるのかもしれないと思うのですが、本人に直接言った時に是正されないとか意外とあるのです。
今回の場合でも、ウェブサイトのお問い合わせフォームから送信しましたが、cgiメールフォームというのは、送信する際にIPアドレスとかぶっこ抜きますので、少しだけプログラムの知識のある人が社内にいれば、それがどこから送信されたとか位置情報もわかりますし、信ぴょう性などもわかりやすくなるので、そのようにお知らせたしただけになります。
今回のケースでも、別の社員の方から連絡したメールアドレス宛てで当日夜にはメールをいただきまして、郵便物停止や、連絡しないとか、後は本人にも伝えますという内容と謝罪のお言葉を頂戴しました。
人それぞれ考え方は違っていたりもするかと思いますが、手紙とかで突然知らない人が送って来たりする。 それはその手紙をいただいた人にとってはありがたいチャンスになる事もあると思いますが、不要だったり、ちょっと迷惑な部分があれば、それはそれでやはりお返事をしておく方が良いと考えます。
世の中には、どこかの会社に苦情を言うのは苦手という人もいたりする。
1つは、何の人間関係もない相手に何か否定するような事を言えば、言い方によっては激しい喧嘩になるとかもあるからだと思う。
でもね、今大学生の人がいたとして、将来会社員でも目指すという人の場合ですと、上司に注意するとか、他社に意見を言うとか、そういうのが出来て普通かなあ~ という感じだったりすると思う。
「このままだと喧嘩になるかもしれないね」 というのを放置せずに火消に動くという事も重要だったりする感じ。
もちろんウェブサイトのメールフォームだと文字数制限とかもあるのでそれを原稿なしでアドリブで入力して画像コピーしてサッと送信する。
その後メールで相手の会社から返事が来たのを画像コピーして、「今回発生した問題に関してはこのような落としどころとなりました」 と報告したりする感じ。
人が暮らしている限り、問題というのは起こってしまう。
でも、その起きた問題は「こう解決しました」 とその日にそこまでいく感じ。
■2022年12月20日追記■
スマホに着信があり、警察署からでした。 内容は前日に福岡県警本部に連絡のあった件に関して管轄の警察署に通知がいき、担当者から、「その後はどうなりましたでしょうか?」 というお話でした。
県警本部に送った後に、法人でしたので、会社のウェブサイトから直接クレームを伝えたところ、上司の方かなあ~ みたいな人から郵便送付しないとか、こちらから連絡しないように本人伝えますと内容、謝罪の内容のメールを頂戴しましたので、もう終わったかなあ~ と感じています~ とお伝えしました。
それは良かったですね~ 心配していました~ みたいに言われましたので、こちらこそお心づかいをいただきありがとうございます~ とお礼を言って終りました。
福岡は世界住みやすい街ランキングにいつも入っていたりする。 住みたい街ランキングとか、住んでみて良かった街ランキングとかにも入っているとかよくテレビで言っていたりするのですが、私は福岡県警の働きの結果ではないかなあ~ と思っています。
ブログに、警察に通報した話とかも書いたりしていますが、人はある日何等かのトラブルに遭ったりして、それにどう対処して良いのかがわからずに悩むというケースもあると思う。
警察に相談しようと思っても、なかなか行動ができないという人もいらっしゃたりする。
そんな感じですので、1つの事例として、「こんな事があり、その問題はこういう風に解決できました」 とネットの日記に書いているだけです。
人は1人では生きていけないと思う。
何かに困った時には、援軍を呼ぶという事もあったりすると思う。
例えば、プライドの高い人だと、「これを相談するのは恥ずかしいかな」 とか考えてしまい、なかなかできなかったりする。
世の中にはいろいろな人がいて、何かの宗教の献金しても献金しても、「こんなに神様はお金を必要なのか?」 みたいに苦しむ人であったり、ドメスティックバイオレンスのように旦那に殴られまくりの日々を送る奥さんがいたりする。
そんな長い地獄を運よく抜け出せた~ なんて時に、「私がこんなに長く地獄を見続けたのは、変な話、プライドのようなものがあって、それをどうしても認めたくない事で自分で自分の首を絞め続けたのです」 とか言ったりするじゃないですか。
でも、会社員みたいな人だとそんな要素は持っていなかったりするじゃないですか。
例えば、「誠意を見せてほしい」 とか変なクレーム言ってくる人がいたら、「反社な人かもしれないので警察に行っとくか」 みたいにすぐに相談に行ってしまう。
後で大変な事になってから警察に行くと、「何で今頃くるの?」 とか言われちゃうので、それは避けたい。
昔ネットでよくどこの企業にクレームを入れた~ とか自慢しているような人がいたと思いますが、あんなのも本人が知らない間に相手が警察署に相談に行ったりしているので、自分で自分の首を絞めたりしているだけだと思う。
たぶん、相談する事によって、何かの被害者という立場でグリッドラインを表示して、それ以上傷口が広がらないようにしているのだと思うのです。
自分から相談する。 そうすると、「その後どうなりましたか?」 と訊かれるじゃないですか。
その時に、「自分ができる範囲の事でこういう行動をとりまして」 と言う事になるじゃないですか。
その話を聞いて、「あっ、それはやっちゃダメでアウトですよ~」 とか教えてもらえるじゃないですか。
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怒りの感情であったり、不安な感情であったり、何か平常と違う精神状態だと、俯瞰視ができなくなっている事もあるのかもしれない。
第2のメリットとして、報告する事を前提にしますと、「あっ、これは後で報告する時に自分が言いにくいな」 とか頭によぎるので、結果が良くなる確率が上がると思う。
どこかの大企業とか、有名メーカーとかにクレームを言って、ちょっとしたおじさんみたいな人がお菓子を差し出して「申し訳ございませんでした~」 と差し出して、「こんなもの要らね~よ。 誠意を見せろ~」 とか怒鳴られて渡した茶菓子を投げつけらて、それを拾いハンカチで拭いて、また「これで勘弁してください」 とまた茶菓子を差し出して、また怒鳴られて投げつけらるとか繰り返す人がいるじゃないですか。
「あれって何だろう?」 と思う事あると思います。
たぶん、警察に相談していると、「後で警察に報告するので、やられ役として徹するか」 みたいに役にハマりこんでしまったりして、1度持参したお菓子を渡して怒鳴れて投げつけらたりすると、「やった~、罠にかかった」 みたいに思い、「この調子でやられるぞ」 とどこか誘導しているのだと思うのです。
会社員の中でも意外と出世するような人に、”演者” みたいな人がいて、報告する時に自分が綺麗だったり良い人に見えるような角度で演じて、相手の印象がさらに悪くなるようにしている感じの人はいると思う。
人は、長い、長い人生を生きていく過程で、「これはこの会社にクレーム入れようかなあ」 と思う事はある。
でも、一瞬そこで立ち止まり、「まったく何の人間関係もない人達になるわけで、ちょっとした言い方などでもめるとかあると思うし」 と考えたりする。
その感覚というのは、人として適切な判断でもあると思う。
ただ、立ち止まるのはそれはそれで正解なのかもしれないけれど、立ち止まると手続き記憶となり、そこから先前に進めなく習慣になるのかもしれません。
じゃあ、前に進む人っていうのは、どうしているの?
という話をするならば、同じように何の人間関係もないような警察に相談するという窓口を開いて、1つのスキームとして、報告する事を前提に行動するのが良いのではないか? みたいに行動しているのだと思う。
大きな会社であったり、有名な会社であったりする程に、たぶんクレーム対応に慣れているような人がいたりするので、演者とか出て来ることも想定内と考えている。
”クレーム” とかって普通に考えた場合に、怒りの感情みたいなもので動いているという風に考えるので、プロであれば、一気にそこを煽られるとかになってしまい、自分で自分の首を絞めるという事も想定内となる感じ。
1歩間違えば、「言った・言わない」 と言う水かけ論もあるわけで、テキストで記録化しておけるという方がトラブルが少ないかなあ~ と思う。
ターゲットとなる会社のウェブサイトを開き、自宅のノートPCから、1番下とかにスクロールして、問い合わせなどのメールフォームとかを開いて、必須項目を入力していき、言いたい事を内容欄に入力している。
例えば、「まったく何の人間関係もない人達になるわけで、その伝えたい事は何度も何度も読み返しては作り直して、作った原稿をメモ帳などからコピー&ペーストで貼り付けて送信するのですか?」 と訊かれれば、アドリブで一気に入力しているだけなので、誤字脱字とかはあると思う。
言葉を選びに選び、作っては読み返し、また修正をして、みたいな感じではない。
入力した確認ボタンを押してみて、内容を画像コピーして記録化して、送信ボタンを押しているだけ。
強いて言えば、社会人として不適切な言葉、乱暴な言葉などは気をつけた方が良いと思う。
電話をかける場合でも、たまたま電話に出てしまったというOL姉さんに、「ビビらせてやろう」 とか考えて、暴力的な言葉を使うとか、怒号を響かせるとかした場合、昔からビジネスフォンって自動通話録音されていたりする企業が多いので、後でそれが自分に跳ね返ってきてしまうという事は意識していた方が良いと思う。
時間をかけて、「一晩考えて、明日行動する」 というのもアリだと思いますが、時間が長引く程疲弊するという問題もあると思う。
自分が言いやすい、 という理由だけで友達であったり、恋人であったり、家族とかに相談するというのもアリかナシかでいえば、アリだと思う。
でも、解決しない問題を相談し続けられる人というのも、疲弊するのは時間の問題だったりするというのはあると思う。
どういったやり方が正解というのもないと思う。
メールフォームには企業によって文字数制限とかはあるので、サッとこのくらいかと瞬時で組み立てた言葉の羅列に過ぎないので、たたき台みたいなものかと思う。
翌日にスマホに警察署から引き継ぎされたという警察官から、「あれからどうなりましたか?」 と訊かれ、まったく何の人間関係もない人にその場で組み立てた報告を伝える感じ。
人である限り、何かミスする事や思い込みするという事はゼロではないと思うので、「そのやり方は問題あります」 みたいな指摘があれば、修正プランを組み立てるだけと思いますし、「良かったですね」 と言われれば、一旦それでその問題は終わりかなあ~ と考える。
会社員の世界での普段の会話に、「子供が生まれた時には、習い事はピアノが良い」 とか、「結婚する時のお見合いとかで迷ったら、子供の頃にピアノやっていた女性を選ぶと良い」 とか言ったりするじゃないですか。
一説によると、譜面を目で追い、指を使い、耳で聴いて強弱とかリズムとかを確認しているような、複数の視覚・聴覚などを同時に使うという事で、脳の情報処理能力が高くなるので、大人になった時に頭が悪いとか言われる事がないらしい。
でも、大人は子供じゃないので、ピアノとかやらないじゃないですか。
たぶんね、車の運転だと思う。 動きがあって、同じシーンを繰り返す事がないわけで、視界は360度というものになる。
例えば、朝自宅前にあるデカい月極駐車場に行き、自分の車のドアを開けてエンジンを掛けて、コールドスタートのエンジン音とか聞いたりするところがスタートになる。
乗り込んで、「さあ、行きますか~」 と私有地から公道に出る際は最徐行義務があり、視界が悪いのに目の前の行動を飛ばしてくる車があるので、窓を少し開けて音を確認してから公道に出る。 そんな風に聴覚を使う。
朝、自宅前の月極駐車場に行って、自分の車を見た時に、「あれれ、昨日までは何ともなかったのに、パンクしている」 とか乗り込む前に視覚を使うとかあるじゃないですか。
スピード狂の人は、あんな速さで事故に遭わないように考えて走っていて、それもエンジンとか壊れないような計算までしてやっている感じなので、情報処理の速さも要求されるじゃないですか。
たぶんね、18歳の大学1年生でみんなが一斉に自動車運転免許証を取得して、中古で普通車をローンで買ったりして初心者マークを貼って運転しているのは、車の運転をするという情報処理能力をそれまでの人生に比べると1段ギアを上げるみたいな事をしているので、大人になって会社員になった時に、「うわっ、想像した以上にテンポ早いなあ」 と感じるけれど、ついていけないという事はないとなるのかなあ~ と思う。
もしもこの記事を今大学生の人が読んでいたりして、「今私は何をやれば会社員で役立ちますか?」 とか、もう大人なのに、クレームを言うとかが苦手だったりする人がいて、「私は何をやれば、向上できますか?」 と訊かれたら、「ピアノを習いに行けば良いのではないの」 と言うと思う。
詳しくは知らないのですが、音楽をやるとリズムとかテンポとか何かズレていると先生が、「ここがこうなっているので、こうしないと」 とか教えてくれそうな気がする。
テンポが遅いとか、早いとかって、大人になった時に会話でのスピードでも噛み合わないとかになりそうじゃないですか。
自分が誰かとしゃべる時に、相手のしゃべる声と自分のしゃべる声をきちんと聞いていないと、自分でも何を言っているのかよくわからなくなりそうじゃないですか。
例えば、よく知らない人と話す時に緊張したりすると早口になる人とかいるじゃないですか。
たぶん、脳の情報処理能力がセーフモードのように処理が追い付かなくなるからあんな風になると思うので、同時処理能力を鍛えた方が良いと思うのです。
こんな話をしますと、「じゃあ、三之橋さんは子供の頃からピアノを習っていたんですね?」 と訊かれたりするのですが、家にピアノはあるのですが、1度も習った事とかないですよ~ と正直に答えている感じ。
私の場合は、小学生の頃に鼓笛隊でトランペットの演奏している感じでした。
何かのイベントがある時によくちびっこ音楽隊みたいな人達が、男の子はトランペットで、女の子は鼓笛とかで、行進しながら演奏しているじゃないですか。
例えるならば、日本体育大学の集団行動のような感じで、プロ野球の試合が行われていた平和台球場とかで、「〇〇小学校の演奏です~」 とか紹介されると足並みを揃えながら行進し、同時に演奏して入場していく感じ。
演奏はしないといけない。 でも、行進する時に先頭の人がズレると後ろも全部ズレて見た目で、「やらかしたな」 と素人でもわかってしまうので、上空の鳥が下を見るかのように俯瞰視で気をつけないといけない。
現地入りして、リハーサルの割り当て時間がきてやると、先生がコロコロフォーメーションの変更をするので、ズレているとみんな太鼓を叩くバチで叩かれて、「お前らバカなの~」 と叱られる。
でも、なぜか本番では上手く出来てしまったりするというミステリー。
テレビの取材で、音楽が好きでやっています~とか、将来は音楽家を目指しています~ とか適当にしゃべったらオンエアされてしまう。
学校に行ったらよく知らない女の子から手紙をもらう。
「三之橋くんは、いつもひょうきんでみんなを笑わせてくれて、でも運動している時には真剣な顔をしていて、家でテレビを観ていたらトランペットを演奏している姿や音楽家を目指しているとかもういくつの顔があるのか驚いてしまいました。 草場の陰から応援しているので頑張ってね」 とか書いてある。
「人の頑張れとか言う前に自分が頑張れ」 と返事を出しておく。
あるイベントの時にテレビ局の人が、「〇〇さん、ちょっと取材で子供2人出して欲しいのですが」 と先生に言ったら、「じゃあ、お前ら2人言ってこい」 とそこに居ただけで指名されたりする。
台本とかがなくて、音楽のイベントなので、その雰囲気から音楽が好きでたまらないとか、そんな風にしか言えない。
でも、なぜかちびっ子達がたくさんいたのに、「こんなの適当にしゃべっておけばどうせカットされる」 ともう1人が言うので、音楽家を目指していると言ったシーンが放送されてしまったりする。
そうすると、音楽家を目指していたとか意外です~ とか言われてしまう。
そういう経験から、大人になっても女性から「これ読んでね」 とか手紙を渡されると苦手だったりする。
知らない人から見ると、少し華やかな世界に見えたりするのかもしれない。
でも、小学生のガキにとっては、演奏をして、集団行動のようなものもやらないといけないというのは少し難しくて、先頭を歩く子は頭も使う。
日曜日とかにテレビを点けたら競馬場の中継があっていて、全力疾走した馬がハアハア言っているのを見たりして、自分の姿とオーバーラップしてしまい、ついていくだけで精一杯な感じだと思ったりする。
幼稚園生の頃に音楽会があって、先生に友達と同じカスタネットの係がやりたいと言ったら、「そんなのはダメよ」 と言われてしまい大太鼓の係になった。
幼稚園生の頃に劇をやる事があって、先生に台詞のない景色の木の係がやりたいと言ったら、「そんなのはダメよ」 と言われてしまい、1番台詞の多い主人公の役になった。
根がグ~たらなせいか? 1番楽なものが良いなあ~ と思ってしまい、先生に言うのですが、聞いてはもらえない。
そんな感じだったので、小学生になった時にたまに「頑張ってください」 とか手紙をもらったりすると、「この人もわかってないなあ」 と思ってしまう。
小学生の頃に、今度の運動会でリレーで走る順番を決めよう~ という時間があって、先生の話では、幼稚園生のガキじゃないので、自分でどの順番が良いというのを自分で言わないとダメだぞ~ と言った。
そのルール説明があったらすぐに手を挙げた子がいて、「1番のスタートランナーは、三之橋君が良いと思います」 と言った。
根がグ~たらな私からみれば、「何だお前、頭おかしいんじゃないのか。 人にやれとか言う前に自分がやれよ~」 と思ってしまう。
でも、自分が意見を言う前にほぼ秒殺という感じで全会一致で決まってしまった。
ちびっ子時代というのは、たぶん多くの人は自分がやりたい事をやれたりしていると思う。
でも、私の場合はある日学校に行くと、「三之橋くん、これをやって」 みたいに言われてしまい、別にやりたくない事でも、やったことのない事でも、全部自分で攻略方を考えてやらないといけなくなるので、もう頭を使いまくりだった感じ。
幼稚園で一緒だった子が小学校で同じクラスだったりする。 「あいつ幼稚園生の頃から先生にカスタネットの係をやりたいです~ と言ったりして先生に断られて大太鼓をさせられたりしている」 とか見てきている。
小学生になった時に運動会でリレーの走る順番を決めようと先生が言ったら、1番スタートを走る人がビリになるともうそれって最初に結果が見えてしまい大変な事になる。 しくじった人が卒業するまで責任を感じたりする。
でも、三之橋君だと、しくじったりしても誰も文句言わないと思うのでそれがベストエフォートではないか? みたいな意見で決まってしまったりする。
幼稚園の頃から一緒だった子が、その時に見て、大笑いしたりする。
でも、音楽で何かの楽器を演奏するというのは、脳の情報処理能力を高くするというのは、同じようにやっていた子が賢い人が多かったので、たしかにそんな感じはあると思うのです。
大学生の人が、4年生で就職活動するじゃないですか。
ピアノとかをやったりしたという経験と、後は、車の運転が得意とか、そういう組合わせの人というのは、内定が出やすいとかある感じもある。
それはなぜか?
自分のお父さんがどこかの会社経営者だったりしたという人は、子供の頃に音楽を習いに行っていたりする確率が高いとか、周りにそういう子が多いとかある。
それに加え、自分も運転するとかある。
そんな感じなので、大学生1年生とかでピアノを習いに行き、自動車学校にも行って免許取って、「なぜ大人になってピアノを習いに行ったの?」 と訊かれた時に、「複数の事を同時にやるピアノは、脳の情報能力を高めると聞いたので、”なるほど” と思い習いに行きました。 そこで得た経験をフィードバックして運転を練習しておきました」 と言えば大丈夫だと思います。
よく女の子が家にピアノとかあったりして、音楽教室みたいなところに習いに行ったりするじゃないですか。
そうするとね、「お金持の子かな」 みたいな道楽でやらせているように思う人がいると思うのですが、たぶん、どんなに美人であったとしても、頭の悪い子だと将来結婚できないのかもしれないと考えるので、それで子供の頃に脳の情報処理速度が上がるようにしているだけだと思うのです。
そんな感じなので、子育てに迷ったりしたら、ピアノとか習いに行かせておけば良いのではないかと思います。
会社員になって部下を採用する面接とかに立ちあう場合とかでは、ピアノでもやっていた人を採用すれば、自分の仕事が減るかと思います。
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