「大学生からはスタンドアローンでやる」 という部分を知らないと言う人がいたので、そのお話を書いておこうと思います。
私三之橋の場合は、高校生時代は友達が天才という感じだったんで、一緒にいて楽ちんでした。
例えば、休みの日に全国大会のスポーツ大会の観戦に行くというシュチュエーションでは、「俺が地元からこの電車に乗ってくるので、お前は地元駅の〇時〇〇分のこの電車に乗れば、〇両目に俺が乗っているので合流できる」 と電話で指示された通りに乗ると、友達が「お前の分」 とチケットとか渡す。
家はかなり裕福な子だと思うのですが、「親がお金持の子というのは世間知らずで何もできないバカ扱いされるので、お得な方法で移動できないと将来困るぞ」 と言って飛行機でドンという移動はせずに、「えっ、鉄道マニアなの?」 と疑ってしまうくらい時刻表を見たり、路線の乗り換えとかに詳しい感じでした。
天才といると楽ちんで、「あの店が美味いはず」 みたいな統計確率論を駆使する感じで何か食べる事でも困らない。
まあ、学生時代というのは、みなさんそんな感じだったと思う。
多少ディティールは違うと思うのですが、幼稚園生になる前から近所に住んでいる年下の子の家とかに遊びに行き、いつも誰かと一緒に遊んだりしていた。
それが、学生時代の最大の特徴かなあ~ と思う。
「はい、それでは今日から大学生です~」 みたいになるとどこが変わると思いますか?
私三之橋の場合は、入学式に電車で行ったら、某国産高級車の4ドアセダン、それも発売されたばかりの後期型に乗っているというので新車だとわかる車に乗ってきている子がいた。
学生用駐車場の方から大学に入って行くので、見てしまった。
どう見ても自分と同じ18歳に見えて、ダブっているようにも見えない同じ男子の子が、目立つ車に乗っていた。
当時で300万円はするというエグゼクティブカーなるものに乗っていた。
それでクラスに行ったらその子がいて同じクラスだったので、つい訊いてしまった。
「俺はさ~、4年後にはどこかの企業で働いて営業車の普通車に乗っているつもりなので、その時に困らないようにこうやって今普通車の新車に乗って公道を実践練習しているだけ」 みたいに言っていた。
それは私三之橋にとって衝撃的だった。
ざっくり言えば、高校生時代の15歳にはもうアルバイト作戦が始まり、18歳になり受験を終えるとすぐに自動車学校に通い普通自動車運転免許証を取得し、もう新車で高級車を300万円とか出して買って乗っていた。
「とりあえず大学生になったので、バリ島にでも行ってサーフィン三昧の人生でも送るのかなあ」 と考えていた私とはまった違っていて、受験終わったばかりなのにもう4年後に向かって進んでいたのである。
それで翌日とかに大学に行った時とかに同じクラスの子に、「ねえ、あそこにいる子が国産の新車に乗っていたんだけど、知っている?」 と訊くとみんな知っていた。
まあ、そのくらい目立っていたのですが、「ねえ、あなたももう免許とか持っていたり、普通車の中古車とか買って乗っていたりするの?」 と訊いたら、みんな免許も車も持っていて、驚いてしまった。
私三之橋は男性なのですが、「男性は車の運転は一生付きまとう。 会社員とかになって1人で運転もできないような人を雇うわけないじゃん。 後は彼女とかいても将来結婚した時とかに、奥さんとか子供を乗せて運転するのは男性で、運転が下手くそだと子供でも嫌がって一緒に旅行なんか行かないよね?」 みたいにみんなが同じことを言って、同じように運転していたりしていた。
なぜかはよくわからないのですが、そういう発想がなかった。
それまで一緒だった天才の友達とはぐれてしまったりしたとかで、あまり考える余裕がなかったのだと思う。
とりあえず、大学というところに行き、まずは誰かと知り合いにならないとずっと1人ぼっちで4年間苦しみそうなイメージみたいなものはあったと思う。
それでカフェテリアとかのざっくり言えば学食のレストランみたいなところで同じクラスの子としゃべったりしたら、自分だけで遅れていた感じだったのです。
元々大学生を目指したという感じもなかったので、大学生がいまいちよくわからないスタートだった。
誰かと知り合いになっていかないといけないというのはわかったものの、もうみんな免許持っていて、普通車をローンで買ったりして乗っていた。
「参ったなあ」 という感じ。
私三之橋の場合は、高校を卒業する前にいつも一緒だった友達に、「これからはコンピュータの時代だと思う。 俺も行くからお前もコンピュータの専門学校に一緒に行こうぜ。 お前は一生付き合っても良いと考えている」 と言われ衝撃を受けた。
コンピュータとかやりたくもないのに友達がコンピュータの専門学校に一緒に行こうぜと誘うで、それを断るのもどうかなあ~ と考え、デスクトップPCを買ってしまい、軽く30万円超えてしまった。
でも大学には推薦とかで行けたので、その子と別れてしまった。
そして大学に行ってみたら、なんと同じクラスの子が、300万円とかを使ってもう新車に乗っていた。
周りの子に訊いてもみんなもう免許とかも持っていて、車も乗っていた。
自分なりにヒアリング調査をした結果、それは追従した方が良さそうな気がするのですが、車1台300万円買って、予定が変わるとかあるのかもしれないで戸惑ってしまった。
それまで一緒にいた友達が天才過ぎて、「コンピュータの方向に進めば当たりだ」と言っていたのでデスクトップPCを買うのは躊躇う事はなかったのですが、さすがに天才が言っていなかった車の運転はその後の人生を左右するというのは言ってなかったので、「ほんとだろうか?」 と疑ってしまった。
「スタンドアローン」 というのは、下記のような内容です。
彼女とか、ガールフレンドがいたとして、「ねえ、今度の日曜日に新しくできたテーマパークの〇〇〇〇〇に行こうよ」 と言われた時に正直な感想として、免許取ったばかりで土地勘のないところとか走りたくもない。普段大学とかに友達と車を運転して、しんどいと感じているので、日曜日は昼間で寝ていて、家で寝転んでボ~っとテレビでも観て過ごしたい。
でも、日曜日の朝に早く起きて、サッと洗車して彼女の家とかに迎えに行く。
後ろの席とかから地図本を出して、「えっと、ここからだと県道〇〇号線を走って、〇〇〇〇〇の交差点で国道〇〇号線に入って、往きは時短で高速に乗らないと到着が遅くなるので、あそこでご飯を食べて」 みたいにサッとドライブルートをチャチャッと組み立てないといけない。
サッと組み立てて、「じゃあ行こうか」 と出発する。
走っていると助手席で彼女が、「昨日こんなことあったの」 とかご機嫌で話すので、「へえ、そう」 と相槌を打ちながら、「もうすぐ曲がる交差点の〇〇〇〇〇があるのでそこから右折か」 と進捗具合も管理しないといけない。
それで高速道路を走っていると、「参ったなあ~、今100km/hで巡行しているけれど、ここは巻いて120km/hとかにしないと到着時刻は〇時になりそう」 とか修正しないといけない。
高速道路を降りて土地勘のない場所を走って田舎道を走っていると道に迷う。「これは誰かに尋ねた方が確実なのでちょっと訊いてくるね」 と邪魔にならない場所に車を寄せてエンジンかけたままエアコンをかけたまま、畑仕事をしているおじいさんとかおばあさんに道を尋ねるが、訛っていて、何と言っているのかを真剣に聞かないと意味がわからない。
そんな感じでテーマパークに到着し、遊んで、どこかが夕飯を食べて帰る夜に、助手席で遊び疲れた子供のように寝ている彼女の顔を見て、「あと何時間走れば家に着くかなあ、やれやれだぜ」 と思い、ヘッドライトに照らされた道を深夜運転している・・・
まず、彼女があそこに行きたいの~ とお題を出す。
それに対して地図本を見て、自分がどう走ればよいのか? というドライブルートをチャチャッと組み立てないといけないじゃないですか?
地図を見られない人というのは、”空間認識機能” というのが低いことを意味すると思うので、読めないのであれば大学を卒業するまでにできるようになるしかないじゃないですか。
ドライブルートを自分で組み立てる事ができないとそれも大学生のうちにできるようにした方が良いじゃないですか。
車でドライブするというのは、自分がドライブの計画の進捗具合も管理しないといけないので、それも大学生時代にできるようになった方が良いじゃないですか。
ドライブルートを組み立てる事ができたところで、土地勘のない道路だとそれを修正しないといけないという事も起きるじゃないですか。
道に迷い困ったという時に、助けを求めるとかできない人であれば、それも大学生の時代にできるようになった方が良いじゃないですか。
問題が起こると自分で解決できない人のままだと将来ずっと困り続けるだけ損すると思う。
道がわからないと仕事をしているおじいさんとかに尋ねてもその人が車の運転をしないとかもあったりするし、説明がわからないとかもある。
後は、田舎だと現地に住む人の言葉がよくわからないというのもざらにある。
「もう大人の人にしか見えない年齢に見えるのに、なぜ他人に説明するのに方言で説明するのかなあ」 みたいなものもあるのですが、説明するスキルに問題を感じる田舎の人って少なくない。
そんな感じで朝早くから1人で何役もこなさないといけない。
もしも、どこかで、「これは自分にとってできない苦手な項目だなあ」 というのがあればバカでもその日に自分ができていないとか気づくじゃないですか。
彼女とか、ガールフレンドが運転免許も持っていないと、全部自分でそれをやらないといけなくなるという必然性となるので、自分にとってドライブルートなどの予定を組み立てるのが下手くそであると感じたら残された4年間で修正するしかないじゃないですか。
そこが重要なのです。
学生時代というのは、いつも誰か友達と一緒に、チームで行動したりしている。
その為ほんとは自分ができない事があっても、困らないので自分ではそれを苦手だと気づかないケースは多々あると思う。
でも、1人で車の運転でもやれば、うまくいかないことがあれば、全部自分のせいだと気づけたりするじゃないですか。
あと、男性の場合、彼女がいたりガールフレンドがいた時に会話がかみ合っているように感じても、それは彼女が彼氏に合わせているだけというのはよくある。
そうするとね、
「私は彼氏はいませんが、今度の日曜にに1日だけ彼氏になってくれてドライブに連れて行ってくれる人を募集しています~」 というワンデー彼氏という、何の人間関係もない女性と一緒にドライブとかに行けば、会話がかみ合わない人だと気づけるかなあ~ と思うのです。
その名前も本名じゃないかなあ~ という、どこでどういう仕事をしているのかもわからない女性が、お気に入りのドライブコースであれば、道を教えてもらいそれに合わせて運転する。
車の運転をしていると、2つ以上の事を同時にできない人だと彼女との会話もダメだったりする。
全然知らないその日に初めて会った子とドライブして会話がかみ合わないと「ちょっと用事を思い出した」 と女性が言えば打ち切りとなるじゃないですか。
「人生がうまくいかない人というのは、たぶんしゃべれないことが原因だと思う」
と思うのです。
会話という、顔と顔を突き合わせての会話というのは苦手な人もいたりすると思うのですが、瞬時に会話を組み立てる必要性があると思う。
車の運転をしていて、それでその日初めて会った名前もうそっぽい女性がいて、その子のお気に入りのドライブコース、1回行ったことがあるような道を教えてもらい、女性の視点では、「どこに連れていかれるのか」 みたいな先行き不透明なドライブにならないようにアドバンテージを与え、不安のような状態でしゃべってもらう。
そうすると男性側に負荷がかかりまくるという感じになるので、瞬時に会話を組み立てるという部分でうまくできないと考えられるじゃないですか。
何の人間関係もない異性というシュチュエーションで、狭い車内でとか、恋人でもないのに1日だけ恋人を装ってレストランで食事するとかのシュチュエーションでの会話だと、「今の話題は避けたい顔に見えたな」 とか瞬時に変えないといけないじゃないですか。
全然知らないその日に初めて会った子と1日だけの恋人みたいな感じで最後まで到達できて、「じゃあ、またね」 と言って別れた時とかにうまくいった感じとかあるじゃないですか。
「全然知らない、何の人間関係もない若い女性がいて、その女性に食事をおごってあげたり、ガソリン代も使ったりしてバカじゃないの?」 と思う人もいらっしゃるかもしれません。
でも、自分が女性と会話をして、かみ合っているような気がして、でも実際はできていなかったりして、そのことに気づかないと悲劇はずっと続くと思うのです。
私三之橋の場合は、タバコを吸う。
それで、「私はタバコのにおいだけは絶対にダメな人なのでタバコを吸う人は絶対に応募しないでください」 という女性がいたら交渉して、「タバコ吸う男子ですが、タバコの苦手な女性の意見を知りたい」 と言って挑戦しました。
タバコのにおいは絶対にダメというマニアックな女性に、自分の車の助手席に座ってもらい、オゾン脱臭機の効果とかを検証しました。
後はレストランで食事して、喫煙コーナーでタバコを吸って、車内で匂うのか? とか、映画館に行ってカップルで座った時にどうなのか?
大学生でタバコを吸う男子が、卒業して会社員になってタバコのにおいが嫌いだというOL姉さんの隣のデスクとかになった時に虐められるとかあると考え、検証もしておきました。
マニアックな人というのは、何の人間関係もないと、オゾン脱臭機でも効果ないとキレるとかその辺は正直だったりするので検証にはもってこいだと考えました。
例えば、男性がいて彼女がいた時に、「ねえ、俺の車ってタバコ臭くないかな?」 と訊いて、「大丈夫だよ」 と言われても信用できないじゃないですか。
感覚的なものというのは、騒音でも、彼女が彼氏の車にスポーツマフラーを装着していても、それは彼氏の車だと認識して、うるさくはない。 という風に思い込んでいても、同じ音量のスポーツマフラーを装着したまったく知らない男性がアパートの前に居たら、うるさいと感じたりするじゃないですか。
でも、最初から何の人間関係もない、名前も良く知らないような女性がいて、「私はタバコのにおいが全くダメな人なので仕事を探す時でも面接でその辺は質問しまくる」 みたいな超苦手な人だと、その人の臭くないとかは信ぴょう性があると考えられる。
重要なのは、”検証” などでも、知りあいに訊くと思い込みとか発生すると思うのでそこに気を付ける感じ。
車の運転に話を戻しますと、
彼女やガールフレンドがいて、「ねえ、今度の日曜日は新しくできたあのテーマパークの〇〇〇〇〇に行こうよ」 と言われ、お題を出されてそれに対処するという形でやっていけば、「あっ、俺って気づいたんだけど、彼女に行きたい場所を言われた時にドライブルートを組み立てるのは苦手だなあ」 とわかるのかもしれない。
サッと行動する為のプランニングが苦手という事で修正できない場合、それは会社員とかをあきらめてさっさと電気工事士でもやれば良さそうな気がする。
作業員であれば、指定された通りにやれば良いわけだし。
「自分にとって何が苦手なのか? という洗い出しをするというのが良い」 と考える。
それはなぜか?
例えば、職場に発達障害のある人にしか見えない人がいたとします。 まあ職場でなくても同じマンションとか近所に住んでいたとします。
その場合、本人に直接オブラートに包んだかのように丁寧な言い方をして直接訊いてみれば、本人が怒ったりして全面否定したりすると思うのです。
平成29年の東名高速道路夫婦死亡事故の裁判でも、煽り運転をして刑務所に収監された人は、自分が異常性のある行動をしていると思わないか? みたいに訊かれ、自分はとにかく普通の人で異常者なんかじゃないと否定していたと思うのです。
ザックリ言えば、問題の多い残念な人というのは、自分の苦手なことなどは自覚できないと思うのです。
逆に言えば、自分が何がどう苦手なんだと向き合うような事ができれば、それ以上人生悪化しないと思うのです。
18歳とかの年齢でもう自分が何が得意だとか、それを将来もっと伸ばす方法とか考えてもあまり意味がない気がする。
小学生のガキの頃から野球が好きで好きでどうしょうもなかった人でも18歳とかになればそこで諦めるとか、何か現実に目を向けると思う。
私三之橋の場合は、大人になればなるほど、サイレントワールドみたいに人は本音とかをイチイチ言わなくなると思うので、思い込みの激しい人ほど言われなくなることで、自分が成功しているかのような錯視が起きると思うのです。
逆に言えば、人に言われなくても自分は何がどう苦手であるのか? みたいな部分を洗い出しておけば自覚もできて、そのことが人生の足を引っ張らないと思うのです。
人は幼稚園生くらいのガキの頃から、いつも学校とかが終われば一緒に遊んだりして、どこかチームを組んでいるような面がある。
でも、大学4年生になった時には、1人で企業を廻って、就職活動をしたり、1人での単独行動に変わっていく。
大学を卒業して、新社会人デビューした時に、その会社で新入社員として働き、上司に「俺の高級車に乗って銀行廻りをしてきて」 とキーを渡され、細かいやり方とか何も教えてもらっていない気がするのに、やれと言われる。
車の運転が苦手な人であれば、オフィス街にある銀行の本店とかってお客様駐車場が狭かったりするので、上司の高級車をバック駐車する際に、「あれれれ、俺ってもっと車の運転は上手いと思っていたのに」 と思ったりするのかもしれない。
あるいは銀行に大金をもって行った時とかに、「これはどういう風に言えば良いのかなあ」 とか悩むのかもしれない。
誰かとペアになったりしていると本人が錯視するとか、思い込みをするとかあるので、たぶん、「1人で行ってきて」 みたいに全部を1人でやらないといけない。
仕事は、OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング) と呼んだりしますが、先輩が仕事に同行させて、「じゃあ、俺のやり方をそばでじっと見ていてね」 と見本を見せたりする。
仮にもしも1年それを続けても、いざ1人になって現場に出た時に、「あれれれ、ここはどういう風にするんだっけ?」 となったりするじゃないですか。
研修っていうのはあまり意味が無かったりすると思う。
新入社員だから丁寧に教えてあげようと時間をかけたところで全員が独り立ちできるというものでもない。
「じゃあ、三之橋君、ちょっと現場に出てみようか、ただし1人でね」 と高級車のキーを渡される。 上司の使っているバッグを渡される。
1人で行ってまったく使い物にならないレベルであれば、別の課にでも行ってもらうか~ みたいな感じ。
これが会社員ゲームの怖いところだと思う。
上司が3カ月とか同行させても、その人がほんとに仕事できるという保証はない。
いつも誰かとチームで働いていれば、1人ボッチでやる時と違って助けてもらえるとかあるので、いつまで経っても成長できないという結果を招く。
1人で行かせれば、「ここがちょっと今一つわかりませんでした」 と自覚して質問したりするかなあ~ みたいな感じで突き放す。
お客様のところに行って、自分で思っていた程しゃべれないとか、自覚させないと前に進まないようなところがあると思うので、あまり厳しい会社に入るとほんとにつぶれる人もいる。
そういうのは、想定内かなあ~ と思う。
たぶんそれで、彼女とかに「あそこに行こうよ」 というお題を出してもらい、そのお題に対してサッとそれがどうすればうまくいくのかなあ~ みたいに想像をしてドライブルートを組み立てたりしていたのだと思う。
もしも、車の運転の練習だけをしようと自分1人で練習するコースでも決める事ができれば、人間である限り、「あそこはちょっと苦手なので後回しにしよう」 みたいに偏りが生じたと思う。
でも、彼女が免許もない運転もしないような人だと、運転者の苦労とか考えないので、ランダムに選ぶ。
そうすると、「うわっ、これはポツンと一軒家に出てくるような崖じゃないか」 みたいな道を走るとか、秘境に温泉宿に行こうとして遭難するとか、「これは当たるかも」 みたいな田舎道の狭い道路で離合するとかそういう事が連発する。
自分だけしか運転できないと、「ちょっとこれは代わって」 とも言えないわけで自分でなんとかするしかない。
大学生になった時に、周りの子がみんな先行して、もう免許も持っていて、車も持っていたりして、将来の人生左右するので真剣に取り組んでいると言っていたので、偏りが生じないように考えた感じ。
例えば、運転が苦手でまだ俺は素人だし、みたいに考えて雪道は走った事がないとか、都内を走るのはちょっと、みたいな人は少なくないと思う。
でも、私三之橋の場合は、そういう偏りがないので雪道も走っていたりする。
あと、私三之橋の場合は、大学にはいつも同じ男友達と車で行ったりしていた。
ことわざのようなものに、いつも同じ人と過ごす時間の長い人というのは、人のえり好みが激しいと言ったりするじゃないですか。
例えば、大学生まではそれで良くても、いざ会社員となり、デスクが隣になったOL姉さんがいて、その子が今までタイプでもないとかで話したことのない苦手な子だったりして、人間関係の構築がうまくできないとかあると考えた。
”ワンデー彼氏募集しています~” みたいな女性とのドライブとかに行ったりしたというのも、それまでタイプ出ないとかの理由で話すこともない子とかが多かったと考えたので、えり好みし過ぎで会社に入った時に会話とかできないのかなあ~ と考えた感じ。
ザックリいえば、高校生までは自分の思った通りに行動していたと思うので、そういう感覚的なものでなくて、未来の自分から見た視点で論理的に、「学生最後の4年間で行動パターンを思い切って反転させた感じ」 と言えば良いのかもしれない。
私の場合は、高校生を卒業するちょっと前に友達に、「これからはコンピュータの時代だと思うので、一緒にやろうぜ」 と言われ、自分ではやりたくもないのに、誘われてそこで嫌だと言えばその友達との関係も終わるのかなあ~ みたいに失うのが怖かったのかもしれないのですが、デスクトップPCを買ってしまった。
でも、大学生になった入学式の日には、「車の運転が重要になる」 みたいに言っていたので、それもやっておくかとやってしまった感じ。
何かそれまでの人生の中の得意な事でもなくて、好きな事でもないような事に挑戦していった感じでした。
アイドルグループで人気のあった人達が、グループを解散する事になった。
その時に何人もの人が音楽業界にも残れずに、ある人はトラックの運転手となって死んでいたりした。
そんな感じの事がよくあったりするじゃないですか。
20歳とかの年齢の時に、いつものメンバーみたいな人と過ごして、たまたま運が良く人気が出たりした時というのは、それは楽しい世界だったりすると思うのですが、そのグループが解散すると、ある日自分が1人ぼっちと感じるような取り残された感を感じる人はいると思う。
グループの中に居れば、自分のダメなところとかも見えないと思うのですが、そのグループはいつか解散したりしてしまうじゃないですか。
それで、楽なイメージで言えばグループに入った方が良いと思うのですが、「スタンドアローン作戦」 をやっていた感じ。
アイドルの音楽グループだと、自分の担当さえできればそれで良いじゃないですか。
でも、そういうグループに入っていない人だと、会社員とかだと、「はい、三之橋君、それでは俺の高級車を運転して銀行廻りに行ってきて」 とか言われても、運転もできないといけないし、銀行で挨拶等もできないといけないし、1人で何役もこなさないといけないじゃないですか。
社会人のスタートという部分では、グループ所属みたいな方が絶対的に楽だと思うのですが、「それって何十年も続くの?」 みたいなものがあると思うので、”単体でのスタートに対応” していた感じ。
イメージのような説明するのであれば、下記のようなものとなる。
大学生時代に5人とか、10人でYOUTUBEでもやってバズッったりしたら、大学を卒業する時に自分1人だけ抜けるというのは難しいと思う。
そのまま続けると、その時点で大学を卒業して、新卒入社というチャンスを失うので、莫大な損失かなあ~ と思う。
次に大学を卒業して3年とか、5年とか経つと、多分もうその時点でそのグループから抜けるというのは怖さがあると思う。
例えば将来どこかの会社で働いた時に、「えっ、〇〇さんって何もわからない人なの?」 とか言われそうじゃないですか。
10代の頃とかに知り合いずっと一緒に音楽でもやって、それが売れたりしたというグループでも、死ぬまでみんな一緒だったというグループってあまりないと思います。
少しでも延命するかのように、「気に入られないような台詞は言わないようにしよう」 とか気を遣うとかもあるらしい。
そのグループのメンバーが好きで好きで堪らないというより、離れたら自分の人生が詰んでしまう~ みたいな感じ。
裕福な家に生まれた女性が、モテそうな人なのでなかなか結婚しないとかあるじゃないですか。
「結婚して相手の旦那の家に嫁いだら、贅沢な今の暮らしを失う~ とか頭にあったりするらしい。
結婚していなければ、パパに車を買ってもらえたりする。
家が商売でもやっていると、結婚したらサラリーマンの嫁となった事で軽く見積もっても、”うつ病” みたいに精神を病んでいくので右肩下がりの人生だったりする。
そんな感じで、”金目の問題” とかもあると思う。
私三之橋の場合は、小学生の頃に塾に通い、そこで夏休みの合宿とかに参加していた。
そんな子って大人になった時に、意外と出世できない人だったりする。
ニュースで飛んでもない殺人事件をやらかした人が、取材すると、「子供の頃は学校でも人気があり、うちの娘もあこがれていた先輩だった」 とかそんな感じだったりするじゃないですか。
学校の中で、同じ年齢の子の集団の中では1番とかになれた人でも、大人になり、さまざまな年齢のおじいちゃんみたいな人までいる会社の中では、まったく人気がないという人生だったりするじゃないですか。
大学を卒業するまでは、22歳とかの同じ年齢層の人とだけ付き合えれば良かっただけなのに、それが、自分のお父さんのような年齢の上司とかたくさんいたりするので、うまく人間関係を構築できずに、「どうしょう?」 と考えている間にタイムアウトエラーになってしまう人もいたりする
何か、潮目が変わるというのはわかるので、いっそのこと18歳でオールリセットしてしまい、やり方を全部変えてしまうというのが良い気がした。
デスクトップPCを1台30万円超えとかで買ってもインターネットに接続されていないと、”スタンドアローン” と呼んだりするじゃないですか。
ただの機械の箱に過ぎない。
自分でお金を出してソフトを買ってきて、それを使ったりする。
テープレコーダーのようなものにソフトを入れて、ロードで読み込みさせてゲームができたりする。
「そのデスクトップPCでできるゲームって何?」 と友達にでも訊かれたら、自分がお金を出して買ったソフトだけなので、わかりやすいシンプルさがあるじゃないですか。
それと一緒ですよ。
私三之橋の場合は、大学生になり、周りの子が車の運転技術はその後の人生を左右する程重要なのでもう免許も取っているし、車も普通車をローンで買って乗ったりしていると言っていた。
そのヒアリング調査をした時に、「なるほどスタンドアローンか」 みたいなイメージで捉えた。
でも、すぐに一緒に大学に行く友達が、男友達ができてしまい、自動車学校も一緒に通い、同じ時期に免許を取って、一緒に大学に行く事になった。
その子の家は会社経営で、裕福な感じで、頭の回転も良くあまり勉強とかしない割には、テストで良い点を取り、「アルバイトしないと親が付いているのでとか言われちゃう」 とアルバイトもよくしていた。
何というか、高校生の時に天才の子といつも一緒にいて、はぐれてしまい、1人ボッチで大学の入学式とかに行ったのですが、また同じような友達ができてしまった。
それで思ってしまったのです。
「高校時代に天才の子といて楽ちんと感じで、大学生になると1人ボッチを感じたのでやり方を変えようと思ったのにまた似たような子と友達になってしまった。 これってどうなんだろう? 大学を卒業して会社員になった時にまたそこでも同じような友達ができるのか? それともさすがにそこではそんな友達ができずに、1人ボッチとなり、躓き辞めるのかなあ~」 とわからなくなっていた。
そんな時に、彼女とかガールフレンドとかに、「ねえ、今度の日曜日に新しくできたテーマパークの〇〇〇〇〇に行こうよ」 と言われて、「えっ~~~~行きたくないなあ」 と思ってしまった。
朝早く起きて洗車して彼女の家に行くと、その日1日が異常に長く感じて、根がグ~たらな私から見ても彼女のグ~たらさに嫌気がさす感じだった。
そんな時にテストだったか、レポートを出すようなものがあり、いつも入り浸っていた子の家で見せてもらったまま転記して出してしまった。
それには、生まれた家が裕福で甘やかされて育った子は大人になった時に伸びない。 でも、貧しい家に生まれて、弟が発達障害で世話をしてあげないといけないと立場だと、脳に負荷がかかるので発達するので大人になって活躍する・・・
みたいな環境と人の育ちのような内容だった。
ボールペンで転記して、それで頭に記憶してしまった。
それまでの人生では、車の運転もしない女性ってバカにしか思えなかった。
でも、彼女と県外まで走って、その日1日もう何役も1人でこなさないといけないしんどさを感じたので、その彼女があそこに行きたいと言われて運転するのは、自分にとってはチャンスではないかと考えた。
「私は彼氏いないのですが、今度の日曜日に1日だけ彼氏になってくれて、ドライブに連れて行ってくれるワンデー彼氏募集しています~」 という女性がいた。
それまでの人生だと、「自分の事は自分でやれよ。 車とか買って自分で運転していけよ」 と思ってしまった。
でも、友達のレポートに、その子が自分で、「私は家が裕福で甘やかされてしまった環境で育った事が良くなかった」 みたいな反省文のように書いてあり、それを転記して提出しまったので、考え方が大きく変わってしまった。
そんな1日だけ彼氏に応募したらどんな事が待ち受けているのだろうか?
と変わって行き、そもそも大学に行った時に、自分の事も自分でできないとか、車の運転もできない女性とかって見た事ないじゃないですか。
自分はまだ大学生、でも自分よりチョイ年下のその女性は会社で働いているので、ある意味先輩ともいえるので、会社の事とか少し聞けるのかもしれない。
よく高校を卒業して、あるいは大学を卒業して、新社会人デビューをして会社員となったりした人が、教育係の人がいて、あ~してとか、こ~してとか指導されるとイライラして、まるで自分が虐めに遭っているかのように感じて、教えてgooとかでも4月とか5月に、「私は会社を辞めようと思う」 系の相談が書いてあったりするじゃないですか。
あれってたぶん自分ではできているように見えて、それで注意されるという現実が受け入れられずにそうなったりしていると思うので、自分ではもっと仕事ができる人間に見えてしまっていると思うのです。
でも、人間行動分析学みたいな専門とかになる私三之橋の場合は、初めからそのような誤差とかが起きないように、オールリセットをして大学生としてやっていたりするので、新社会人デビューした時にそうならない感じ。
人は自分でそう思い込んでいる程、人生は悪化していく傾向にあると思うので、思い込むとかがないように、ガラス張りのようなオープンキッチンスタイルのように、”見える化” という感じにしている。
車の運転でも、”車の運転は常に、俯瞰(ふかん)視で周りの車や人を見て、事故などに遭わないように気を付け、周りの誰かの迷惑にならないこと」 とドイツでも運転哲学を最初に教えた後に公道で実践練習させているじゃないですか。
俯瞰視というのは、要は見えているのか? 見えていないのか? がハッキリすれば良いだけなので、最初に運転するようになった時には大学から帰る時に、「この道路は狭いので離合するのが普通車だと難しい」 という近所で有名な道路を走っていた。
よく人に、「えっ、家族の車を持ち出してそんなに狭い道路を走って離合したの?」 とか驚かれるのですが、そもそも自分が見えていないのに見えている気になっていて、それに気づかないと人生悲劇しか生まれないと思う。
だったら、自分でまずそんな狭い道を毎日走って、ガリっと家の壁とか、対向車に擦ったら、それは誰がどういう見方をしても、それは私三之橋の責任にしか見えないと思うので、新しい車を買って家族にプレゼントすれば良いのかなあ~ と考えた。
自分が1回やらかして、その結果300万円とか弁償することになれば、頭がバカな人でも、自分が見えているつもりで見えていない事で300万円も損したんだ~ くらいは理解できると思うので、300万円かかってもそれがわかっただけでも良いじゃないですか。
ちなみにかぜ帰りにしかその道を通らないのか?
と訊かれると、その道路に入るとまったく前に進まなくなることがあり、自分の車の前の車を運転している40歳のおじさんが対向車のドライバーに怒鳴られて、「もっと左に寄せられるだろう~、何で運転もできない人なのにこんな狭い道を運転したりするんだ~」 と激高されまくる。
怒号が響き渡るその現場で、前の運転をしているおじさんには左の壁の景気はもう限界に見えているのはあの景色なんだと後ろの車の運転席でじっと見ていた。
反面教師として、運転ができていない人がどうできていないのかを見ると、それは有意義だったりする。
後は大学から帰ってきて、渋滞とかもあるので、その狭い道路で前のおじさんが怒鳴られているのを見て、「マズイなあ、おしっこに行きたいのにこれじゃドアも開けられないし、ほんといい加減にしてほしい」 と感じたりするじゃないですか。
ちなみに私三之橋の場合は、18歳の大学生1年生で普通自動車運転免許証を取得して運転するようになり、最初の頃とかは毎日その狭い、狭い怒号の響く道路を走っていたのですが、1度もこすった事がありません。
彼女とかが、「ねえ、今度の日曜日に新しくできたテーマパークの〇〇〇〇〇に行こうよ」 と言ったりして、そこに向かって走り、田舎道の狭い道での離合とか、ポツンと一軒家に出てくるような狭い道で崖という誰も走っていないような道路、例えば心霊動画をAmazonのプライムビデオとかで見た時に、その幽霊の出るという物件に行くまでに誰も他の車が走っていない道路が出てきたりするじゃないですか。
そういう道路を走っても、雪が降りまくるホワイトアウトの真っ白にしか見えない山道とかも走ったのですが、離合で擦ったこともなければ、崖から転落した事もない感じ。
同じ大学の同級生とかに訊くと、「講義とかもあるし、ローンで買った中古車の返済でバイトもしないといけないし、年間5,000kmくらいは走っておくつもり」 と賢そうな子がみんな言っていた。
でも、言われた通りにやってそれで残念な結果になると嫌じゃないですか。
それで、「人の10倍やっておけば漏れとかないかな」 と年間5万kmペースで走っている。
後は、根がグ~たらな人というのは、自分で自分の事をそう思っていたりするので、自分が行き先を考えると自分の苦手な道路は走らないと考えるので、”彼女ガチャ” みたいなものにしている。
いくら彼女がノープランな人であっても、その人にも好みとかあると考えられるので、1人だけ彼女がいてもあまり意味がないじゃないですか。
それでワンデー彼氏を募集している女性なども積極的に採用しまくっている感じ。
要は大人になった時、会社員とかになった時に、途方に暮れてしまい、「あの時もっと真剣にやっておけば良かったなあ」 と嘆く自分であって欲しくないというだけなのだと思う。
こんな話をするとドン引きされる人もいらっしゃるのですが、カッコいい話ではない。
プロ野球選手が、試合が終わった時とかに「子供の頃に憧れた選手がいて、その人を追いかけて今自分はここにいる」 と言ったりしてそれはかっこいいじゃないですか。
私三之橋の場合は、小学生の年度末とかのお楽しみ会に、手品ショーをやっていたりした。
そんな人というのは、「ねえねえ、小学生の頃に手品ショーをやっていた三之橋って覚えている? あいつ今は就職もできずに自宅で引きこもっているらしいよ~」 なんて感じで同窓会とかでネタにされそうじゃないですか。
全国どこにでもいるような殺人事件でも起こすような、子供の頃は良かったのに~ みたいな人ってたくさんいる。
そんな感じになれば、自分が可哀そうじゃないですか。
そんな感じで、ただの”抗う人” に過ぎないと思う。
自分の人生に影が差してきて、それを感じるのが大学生の入学式の頃だった。
たまたま同じにクラスになった子が新車のエグゼクティブカーというのに乗っていて、もう4年後に向けて行動していた。
学生時代から社会人になる時に大きく潮目が変わると言ったりしていた。
人間行動分析学とかで評価が良かったので、いっそのこともう自分で設計した方が確実ではないのかなあ~ みたいに追い込まれていた。
スーパー特待性だった友達も、さすがに大学では受け入れ先が見つからず、ダツラクした感じだった。
ヒアリング調査をした結果から、車の運転に必要な要素は何か、どういう塩梅が良いのか? なんて感じでやったので、それが果たしてうまくいくのかもさえも良くわからない感じだった。
初めて会社員となって、実際に会社に働いたその瞬間でないと、それが良かったとかわからないじゃないですか。
人の10倍走るというのは、ガソリン代だけでも人の10倍お金を使っている。
そんなにお金を使うのに、何か確信とかあるのか? と訊かれたら結果が出るまでわからない。
何か書籍でも読み漁ってそこから組み立てているのか? と訊かれたら、本とか読んで成功するようなものってないと思う。
生きた人間を見て、その天才の子がどうして大学では受け入れ先が無かったりするのか? という想像みたいなもので組み立てている感じで、「あいつなら絶対にこんなことやらないだろうなあ」 というのをやる感じ。
例えば、今年1月に博多駅前ストーカー殺害事件とかがあり、その少し前にも別れた女性をメッタ刺しにして命だけが助かった事件もあったりしたじゃないですか。
そういったニュースから推察した場合に、男性の方が自分を否定された時にショックを受けやすいと思うのです。
どこか凄い国立大学を出た人がどこかの企業に入り、「上司に自分が気に入られない」 と悩んで精神を病んでいくパターンとかあるじゃないですか。
近所とかを見ても精神病っぽい人って、大学受験に失敗したり、会社員となった時に適用障害を起こして、治ることもないまま年だけ取っていく人生に見えたりする。
そうするとね、潮目が大きく変わるようにしか見えないので、そこはノーミスで通過できるくらい調整しておいた方が良さそうじゃないですか。
あくまでも大学生の視点での想像みたいなもの。
昔テレビでよく小学生1年生という雑誌のCMが流れていて、「しょうがくせい1ねんせいになったら~、ともだちとかできるかなあ~」 みたいにチビッ子が歌っていた。
小学生になった時に友達ができた人は大学生までずっとそんな感じが続いたので、社会人になって会社員1年生で躓かなければずっとそれが続くのだろうなあ~ という想像みたいなもの。
人それぞれその辺の作戦は違っていると思うので、「私三之橋の場合はこんな感じでした」 という体験談に過ぎない部分として、スタンドアローン作戦だったというお話になります。
"スタンドアローン” というのがよくわからない人は、想像してみてください。
まず、自分が幼稚園生だった頃のチビッ子時代を思い出し、ある日お母さんが遊びに行こうとしていた時に、「スーパーであれを買ってきて」 とお使いを頼んだりする。
それまでお母さんと買い物に行き、何だか退屈だったりして、買い物するのは超簡単なイメージ。
でも、さすがに1人で買い物に行った時に、おっかなびっくりで不安になったり、「見ているのは簡単になのに、いざやると難しいなあ」 と感じる。
「お母さんは何を買ってきてと言ったっけ?」 と言われた事を聞いてなかったりして、「次からはきちんとメモしよう」 と考えて、お母さんとの会話を一生懸命に思い出したりして買い物して帰るとかあるじゃないですか。
小学生のチビッ子時代に、1人旅に出たりする。
それまで家族で車で温泉旅行とかずっと何回も行ったりして、渋滞で動かないとかあり、どこか飲食店とかでトイレ休憩でもすると、どこか家族旅行は退屈な感じがしたりする。
でも、1人で海外とかに行くと日本とは比較にならない程物騒な雰囲気とかでヤバい人を目の当たりにしたりする。
車の運転もそうじゃないですか。
自分では運転ができる人だと思っていたりする。
テレビドラマで吹雪の中を運転するシーンとかを見て、特に難しそうに見えない。
私三之橋の場合は福岡市内在住なので、雪とかは得意ではない。
大学生1年生とかで運転をするようになり、大学に1人で車で行く時とかに雪が降っていると、どこか雪が舞い散るのを見ていると不安を煽られるような何か、慣れない感じがする。
車の運転をすると、九州とかの雪国で生まれ育ったような人は雪道の運転がダメ過ぎるとか言われるので、最初の1年生でそこは練習しておこうと考えたりする。
それで飛行機で札幌まで冬に飛んでいき、レンタカーを借りたりして、雪が降りまくりの道路を走ったりする。
ただ、ただ、慣れない感じがすると言えば良いのかもしれません。
2023年1月24日に10年に1度、数十年に1度の大寒波が到来するというニュースで言っていた日に、いつものように屋根付き月極駐車場に行き、家族の車でショッピングセンターに買い物に行く日だったので、その予定通りに出かけた。
屋根付き月極駐車場に保管していれば、クロスとかでドアミラーとかフロントガラスに積雪した雪をさっと落としてさっと乗り込みスクランブル発進する。
でも、もう車には積雪しまくりだったので、サッと乗り込むのが精いっぱいで、走りだして裏道を走る。
まずは幹線道路に出る前に「ほんとに運転して大丈夫なのか?」 という判断をして、問題あると感じればそのまま屋根なし月極駐車場に戻った方が良い。
でも、走り出すともうホワイトアウトで何も見えない感じだった。
雪が降っている道路を運転するというのは、18歳からずっとやっているので慣れていると自信もあるのが普通かなあ~ と思うのに、どこか嫌な感じがある。
シカゴだと夜に車内で寝ていると死んだりするというイメージなのだろうか。
私三之橋の場合は雪は怖い気がするので20代くらいまでは、「大寒波が来て雪が降ります」 とかニュースで言っていると「熊本に走りに行くか」 と会社仕事が終わった後に夕食を食べた後に1人で国道を走っていたりした。
土曜日だと時間に余裕があるのですが、国道を走ると周りの山道とかでもう大型トラックしかいない感じで乗用車がまずいなかったりする。
渋滞していて、ところどころ路肩とかにトラックが停まっていたりして、チェーンを装着するとかを見たりする。
サマータイヤで走っていて、普通に流れて24時とかの時間帯に、ヒュ~ン、ヒュ~ン、ヒュ~ン、とアラームが鳴ったりして、外気温計が0℃で点滅していているのを見て、「アイスバーン警告か。 この世の終わりみたいな感じがするなあ」 と思ったりする。
熊本市内に入り、そのまま高速道路のインターに向かい、「雪降っていますが、タイヤとか大丈夫ですか?」 と訊かれ、「トランクに積んでいますので」 とか言って通してもらう。
さすがに吹雪なのでトラックとかも周りを見て1台も走っていなくて、ただただ雪が降りまくっているのを見て運転していると眠気に襲われる。
苦手意識のあるものというのは、1人でやった方が自信が着くとかあると思うのですが、何度やっても「雪か、楽勝だな」 とはならない感じで、場数を踏んでもなぜかそうならない感じ。
スタックするとか、事故に遭うとかはない。
でも、なぜか慣れない気がする。
俗に言う、「Who am i?] というやつですよ。
例えば、「ちょっと海外の香港に1人旅に行ってくるか~」 とか考えて、1人で航空券とホテルの宿泊予約をして、行ってみる。
自分では何かとても簡単に思えて、実際に行ってみたら会話もできないとかで全然想定外の結果となる。
日本に帰ってきて、写真のフィルムを現像した写真と引き取りに行き、「あれれ、俺1人だったので、自分が写っている写真が1枚もないなあ」 となったりすれば、自分が全く知らない赤の他人に、「ちょっと写真撮ってもらえませんか」 と言うのが苦手な人なんだとわかる。
自分が苦手な事に自分で気づいた時に、「それはなかったことにしよう」 みたいに、自分の失敗はあまり考えないようにしたり、友達に、「この前香港に行ったのはどうだったの?」 と訊かれた時に、話を盛ってしまうとかで誤魔化す。
”取り繕う人生” ってやつですよ。
でも、「自分の失敗をまるで覚えていないように見える人」 と出会ったりすると、その人の人生がうまくいかない足かせのようなものって、そこが原因に見えてしまう。
自分の失敗を見ることができない、それに向き合うことができないとそういう人生になるのかもしれない。
そういう風に考えると、失敗した話とか普通にできたりするように変わると思うし、それでまた人生が好転する感じもあると思う。
プロ野球中継を観ても、いつもバッターボックスに立った時に打ちまくるという選手はいない。
クローザーというピッチャーが出てきて、9回に押さえて欲しいのに打たれる時には打たれてしまうじゃないですか。
1回や2回失敗したところで何も変わらないんだ~、 みたいに考えると失敗してもそれをなかったことにしようとはならない。
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