誰にも出加齢による脳の劣化していくという問題があると思うので車の運転はそれを遅くさせるとかのメリットはあると思うというお話です。
私三之橋の場合は小学生時代に塾に行かされていた。
それはよくあるフランチャイズの「ここに行けば1流大学への合格は楽勝~」 みたいなものではない。
個人のおじいさんとおばあさん夫婦が営んでいる講師は国立大の大学生とかいたりするような塾で商売をしている家の子供とかが数多く通っていた。
塾長のおじいさんの話によると、大学に行くというのを目標とした教え方をされるとどこかの1流大学に合格して卒業しその結果1流企業に入社まではできるが、所詮3軍留まり・・・ と言っていた。
自分の教え子は東大とか京大とか凄そうな大学に入学しどこかの大企業に正社員となったりして、でもそこで1軍選手になれなかったらしくて、そこで、最初から1軍で通用するような教え方をした方が良くないか?と思ったらしい。
それで小学生のチビッ子に、「良いか、人の脳は大人になると右肩下がりで脳細胞が減っていくんだぞ」 みたいな難しい話とかをしていた。
例えば、合宿とかでもぶっ飛ぶくらい高い料金だったりするのである年の夏休みとかに参加すると普通の人の給料では支払えないくらい高い感じがあった。
塾長はいつもドイツ製の高級輸入外車に乗っていた。
合理的な造りが気に入っている感じでなぜかいつもあれはあそこがダメでと乗り換えていた。
そのくらいお金には困っていないように見えた。
ドライブに連れて行かれ、とあるスーパーのお客様駐車場に入り、「さあ買いものテストをするぞ、三之橋行って来い」 とメモを書いて渡す。
カレーライスとか料理のテーマが書いてあり食材の種類や〇〇人分とか達筆な字で書いてあるので、「行って来ます~」 と挨拶して店内に向かう。
その途中に、「塾長はたしか誰かに助けてもらうのは反則とか言わなかったと思うのでここは援軍を呼んで乗り切るのが無難かな」 とか自分で戦略をチャチャッと組み立てないといけない。
お肉売り場に行き、そこで周りを見て、マダム系の料理好きそうな人に声掛けしていく。
『すみませ~、お母さん。 ちょっと教えてもらいたい事がありまして、カレーにはカレーに合うちょうど良いお肉ってあるじゃないですか? 僕は福岡市内に住んでいて、このお店に来たのが初めてでわからないので』 なんて話をする。
小学生のガキにそもそもカレーにはカレーにちょうど良いお肉とか言われても、子供ってお腹がすくので何を食べても美味しかった利するのでおじいさんの言うちょうど良いお肉とは何かとかわからないじゃないですか。
そこで普段ご主人が家に部下でも連れてきて、料理を振る舞っていそうな女性かな? みたいに人に訊いてみて、「そうねえ、私だったらこれがお勧めだと思うけれど」 とか言ってくれる。
小学生のガキから見て、たぶん料理は4人家族で自分の家族だけに作るような人と、赤の他人に作る機会の多い人とでは食材に対してのこだわりとか違っていると思う。
例えば、ご主人の部下が家に来てみんなで食事をした時は、奥さんはご主人が恥をかくというのは避けたいと考え普段よりも少し努力するとか気を使うものがあると思う。
カレーを作ったら、「今日のお肉はちょっと固かったかな」 とか何をおひとり様反省会みたいに考えていそうじゃないですか。
最初にカレーにはカレーにちょうど良いお肉ってあるじゃないですか? と振った時にキョトンとした目をする主婦もいれば、「そうねえ」 と話しが理解できている風な主婦もいたりするので確認して一気に、『僕はちょっとお買い物に行かされていて、これがお買い物リストになるのですが、困っていて助けてもらえませんか~』 と畳みかけて手伝ってもらう。
その人は自分のお母さんではない。
お金を支払って雇っている家政婦さんでもない。
たまたまお店で偶然みつけてしまった、困っている自分を救えそうに見えただけの人なのでお願をしてもお断りされればそれまでとなるので、頼み方1つきちんと考えないといけない。
小学生のガキでもわかる話で、”お願いする” みたいなものは自分の都合を相手に押し付けるだけなので、何の人間かんけいもない女性の年上のマダム系の人だと、”人当り” みたいな人となりを見て判断するわけで、子供がお願したからと言ってそれを真剣に応えないといけないと考える人ばかりではない。
それで手伝ってもらいお礼を言って別れて、1人であたかもきちんと買いものできたましたよ~ みたいな顔をして高級外車に戻り、「今戻りました~」 と言って乗り込む。
きちんと買いものができないと、『今日は三之橋に買い物テストでやらせた結果、こんな料理になってしまった。 おいs三之橋、お前こんな買いもの1つまともにできないのか~』 とバカにされる事になる。
ダメなところをみんなの前で晒して楽しんでいるというわけではないと思う。
例えば、いつも学校のテストで90点台ばかり、みたいな賢い子がいる。
お母さんが頭悪いと、「〇〇ちゃん、その調子よ」 とおだててしまい、方向性が合っていると思い込んでしまう。
でも、大学を出て、どこかの上場企業にでも運よく入れた場合、お買い物テストでミスをしてしまうじゃないですか。
面接とか履歴書とか会社に入りたいという一心で、嘘も少なくない。
その人に悪気がなかったとしても、どんな育ちをしているのかな? とお買い物テストでもさせれば、そこでその人自身が何者なのかを自ら語ってくれて騙された感とか、失望を感じれば、さすがに自分の手元にはおかずにそんな人なんだと離れたりすると思う。
基本はどんな人でも思い込みとかはあると思う。
普段自分がやっている事だけを見て、それが勉強であればテスト結果が良ければ、何か将来はデカい会社に入って安泰な人世に見えるとかある。
でも、現実はそうではないよ。 脳には使われていない所もあったりして、それに自分で気づいていない人が少ないないんだよ~ と塾長は教えている感じ。
その1つにサバイバル訓練があると思うのですが、たぶん人生の縮図を表している。
遠泳で泳がされ、溺れてしまい、救急車で搬送されるという死にかけた人が出るじゃないですか。
パズルを解けないポンコツな頭をしていた結果、自分がこういう風に苦しむんだとわからせる感じ。
たぶん、そのようななったら、2つの選択肢しかない。
1つはもう残りの人生で泳がないとかで、諦める人。
もう1つは自分が溺れて苦しんだ事で、これではいけないと泳ぎ方を練習して身に付ける人。
人間は、自分が困ったというものを感じた時に、そのままではいけないと真剣に何かを学ぶとかあるので、そもそも塾とかでどういう風にすれば良いと教える必要がない。
その人に、自分でできると思っていると思うけれど、できていないよ~、 という現実を見せてあげれば、できない人は自分でもっとできる方法考えていく。
例えば、三之橋という小学生のガキがいて、食べ方が汚いとか見た時に、『おい三之橋、食べる時はこういう風にするんだぞ』 と教えてあげてもたぶん右の耳から入った左の耳から抜けてしまうので教えた時間は無駄にしかならない。
でも、『おい三之橋、お雨食べ方汚いよな~、いったいどんな育ちしてきたんだ~』 と大勢が食事をしている時にさらし者にされると、ショックで塾を辞めてしまうけれど、その子は生涯その言われた事を覚えていたりして気を付ける大人になるとかあるじゃないですか。
お金をもらってやっているわけなので、それがどんなに凄いお金の子供であったとしても、どんなに有名人の子供であっても、言わせてもらうよ~ みたいな感じだった。
『お前はお父さんがついていなければ、ただのクズなんだよ~』 みたいに言われ泣いて辞めて行った子とか珍しくない。
そんな感じで言われるとかあるので、「お母さん、もう僕はあんな塾に行きたくないよ」 とプライドが無ければ言ってしまい幕引きできるじゃないですか。
でも、すぐにまた新しく人が入ってくるので、大人気という感じであった。
やはり、ぱっと見はおじいちゃんで、でも頭は聡明で記憶力とか判断力はどこか上場企業で働いている40代みたいな脳のコンディションを保っていたように見えた。
そんな育ち方をしますと、大学生となった入学式で国産高級車の新車に乗っていた子が気になり、話しかけてみて、それは300万円の車を高校生時代にアルバイトしたお金で買い、それが3,000万円くらいの価値を手にするという話を聞いてしまったら、「この子の10倍やれば3億円か」 みたいに考えてしまうじゃないですか。
後はその信ぴょう性を確認するべきで翌日からクラスの子にヒアリング調査をしたら、みんなもう普通自動車運転免許証を取得し、中古で普通車をローンで買ったりして持って乗っていた。
『えっ、大学生になったばかりなのに、もう4年後の卒業した後の対策を始めているののか?』 と驚いてしまった。
それは18歳の子から見れば、たぶんみんなが一斉に同じ事を取り組んでいるという点などから半数はそこでダツラクするとかの何か簡単ではないものがあるからこそ、そういう感じではないかと考えた。
そこで、考えた。
もうすでに先行している人ばかりなので、そのチョイ先輩となる人の体験談を聞いたりして参考になるものとそうでないものを情報として入手しておくかと。
それで自動車学校ではそこで1番の誰も指名しない鬼教官を指名している。
5分に1回とか、助手席の補助ブレーキを床まで踏まれ一気に前のめりになりエンストする。
『お前バカか~、さっきも言ったのにできないのか~』と激高される。
そんな感じで1時間とか乗ると普通は耐えらないと思う。
ただ、なぜそのようなやり方にしたのか? と訊かれれば、人は負の感情が伴う記憶は脳に焼き付くかのように記憶しているので、自動車学校を卒業して1人ボッチで公道を運転するようになった時に、「教官はこんなところがお前のダメなところと言っていたな」 みたいな残念なポイントを指摘してくれたのでそこをまずできるようにすれば、残りの人生は誰からも指摘されずに済むかなあ~、 という作戦。
小学生の頃のチビッ子時代に塾長が散々ダメなところを指摘していたというのを見て、そういう人がダメ出しするというのは、人を良く見ているという洞察力に優れている人の特徴なので、その指摘されたポイントをすべてきちんと修正すれば、普通の人はまず指摘しない、というかできない。
自動車学校を卒業した時点では、全員素人で必要最小限の知識を得たという事で普通自動車運転免許証を取得しただけなので、最初の1週間で鬼教官にダメだしされたのを修正できれば、後は行動を1人ボッチで運転しても、「あの車は初心者マークは貼ってあるけれど、上手いな」 と回りの車の運転者には見えてしまう。
最初にその領域をいかに早く抜け出せるか? が重要。
それができると1人で運転していても周りの運転者とかに笑われる事はないので、女子高生を助手席に乗せて走れる。
私三之橋の場合は、いつもミニスカートを履いている女子高生を助手席に乗せていた。
AKB48のセンターとかにいそうなカワイイ子で、よくナンパされまくるらしい。
「この前は警察官にナンパされた」 とか話すと、『その警察官はどんな風に声をかけてきたの?』 と訊いて参考になるじゃないですか。
それ以外でもナンパされまくりだといろいろな人の車に乗るという場数がほかの人と違っている。
それで左折したら、『ねえ、今左に曲がった時は怖くなかった?』 みたいに確認していた。
男性の場合、男友達を乗せて走り、あるいは1人ボッチで走り、運転の荒さというか雑さ加減が、女性から見て、「あの人の運転は荒くて」 みたいに女性の感覚と違っていたりしてそれで失敗するといわれていた。
それで、アクセルペダルの踏み加減というか、トラクションのかけ方は女性と感覚合わせというのをやっていた。
アクセルペダルって足で踏むので、どうしても男性は雑さとか出てしまう。
ブレーキを踏む時、完全停止した状態から信号機あ青になって走り出す時、曲がる時。
いろいろなシュチュエーションで感覚がズレていると感じれば、同乗者はあの人と運転はちょっと・・・となり2度と乗らないとかも起こりうる。
そういうのをやった上で、男友達にバディシステムを組んで一緒に大学に行こうぜ~ と誘われているのでそれもやっていった感じ。
需要なのは順番だったりすると思うし、誰かを乗せて走るという事だったりする。
ただ、それって1つの運転という操作の話なので、他にもメンテナンスを覚えるとかしないといけない。
車の故障とかパーツの交換で小っちゃな修理工場とかに行くと、「えっとどういえばいいかなあ~」 とか切り出して専門用語全会でしゃべり出し、5分とか経ったら、「今の説明を聞いてわかりますか?」 と確認される。
たぶん専門用語とかなので20分とか30分とか説明して最後に相手にわからないとか言われると時間が無駄になるので確認しているのだと思う。
それで、『ざっくり言えば今の説明はこういう意味ですよね?』 と言うと、「えっ、もしかして車関係の仕事をしている人ですか?」 とか言われ、『ただの大学生で、バカじゃないだけです』 と言うじゃないですか。
専門用語とかが出てくるので、『たぶんアのパーツの事かなあ~』 みたいな想像をしている感じで、確認で訊いていると思うので、『こういう意味ですよね?』 と自分が捉えたイメージを話すとなぜか車関係の人ですかとか言われるのでそれだけ理解できない人が多いのだと思ったりする。
時々女性とかで、「私はあまり車に詳しくないので」 と言ってディーラーとかに行くとか修理工場とか車検を受けるとかが苦手とか言う人がいるのですが、専門知識とは関係なくてコミュニケーションスキルの問題だと思う。
病気の時でも医者が素人に説明する時に言葉を選んだりした時に、「私はそういうのはよくわからなくて」 みたいにいかにも自分は医療知識がないので理解できないみたいに言ってしまう、変な返し方をする人がいると思うのですが、医者は患者に医療知識とか求めていないと思う。
アメリカで長距離走るバスがあって、バスステーションみたいなところでどれに乗れば良いのか? と訊いたとします。
その時になぜかいっぱい人が来て、なんとかその言葉も通じない人に一生懸命教えてあげようとする。
そんな時に、I cna't speak engulish. とか言って、「私は英語はしゃべれないので」 みたいに言ったら、それまで一生懸命だった人達がさ~っとどこかに消えていくじゃないですか。
コミュニケーションというものでは、「私はわかりませんので」 と言ったらそこで損しかしない」
車を所有したら、そんな感じで自分のコミュニケーションスキルとかわかるじゃないですか。
例えば、大学生時代に自分でコミュニケーションスキルが低いなあ~ と感じる事があれば、それは残された大学生の4年間の中で修正しておかないと自分が困るだけじゃないですか。
カルチャースクールの話し方教室に通うとか、大学のクラブ活動に入ってみるとか、何かあるじゃないですか。
後は、自動車保険料とかの仕組みとか、1年間に支払う年払いとか、4月1日の所有者に自動車税のコンビニ払い込み用紙が届くとか、車検とか、お金の支払いがバラバラなのでそのお金の管理もできないといけない。
お金の管理ができないのに会社員になる。
「昨日の飲み代の割り勘を支払ってください」 とOL姉さんが朝廻って来た時に、『今お金がなくて』 と言ってしまえば、迷惑じゃないですか。
「お金がないのに飲み会に来るのは間違いよ」 と言われそうじゃないですか。
『ねえ、今度の日曜日にあの新しくできたテーマパークの〇〇〇〇〇に行こうよ』 とか彼女とかガールフレンドに言われたら、迎えに行ってそこで地図本を出してチャチャッとドライブルートプランを組み立てできないと走れないじゃないですか。
今の時代だとカーナビがあるとか、スマホがあるので誰かに電話してとかもできるのですが、昔はそんなものないわけで、自分で走る道とか調べないといけないじゃないですか。
地図を見れない人は空間認識機能が低いという障害だったりするといわれているので、それも学生時代にもしもそんな感じであれば修正しておかないと会社員になったら困りそうじゃないですか。
ただ、目的地に到着できれば良いというものでもなかったりする。
彼女とかとデートであれば、ランチはあそこで食べるかなとか、時間とかも計算しないといけない。
運転していて助手席で彼女がご機嫌で、「昨日はこんな事があったの~」 とか話したりするので会話をしていかないといけない。
もしもそれがダメであれば、2つ以上の事を同時にできない人なのかもしれないので大学生時代に修正した方が良いと思う。
彼女が「ねえ、もう12時になったけれど、ご飯はどうするの?」 と言った時に、『今こういう感じなので14時頃に到着すると思うのでそこで食べよう』 とか言えばしらけてしまうとかもある。
自分1人で仕事で出張とかでダラダラと運転して移動しているのと違い、相手のあるデートとかだと相手に事も考えないといけないので、「俺は誰かを乗せて走るのは苦手だわ」 となればそれも大学生時代に修正しておく方が良いと思う。
狭い車内で朝から晩まで一緒で過ごすとかあると、鈍い人でも相手の嫌なところが目に着いてしまうとかあるわけで、そのデートとかドライブが詰まらないのともう次回はないのかもしれない。
例えば、福岡で埋まら祖だった三之橋という男性がいて、大学が都内とかでそれまで生まれ育った実家を出て生まれて初めての1人暮らしをするという感じで、アローン・スタートとなったとします。
アルバイト先で同じように京都から出てきたという女子大生と知り合い、「ねえ、今度の休みにあそこに一緒に行ってみない?」 と誘われ自分の車で行く事になった。
でも、最初の1回目以降、その子に誘われなくなったとすれば、それは1度で切られた関係となるのかもしれないのでおひとり様反省会とかでどこが悪かったのかな? というのは考えた方が良いじゃないですか。
なぜか?
もしも、その原因が自分のしゃべり方とか、口癖のようなものとかであれば、大学を卒業してもきっと会社のデスクとかでも同じ事が起きると思うから。
”空気を読めない会話をしている”
みたいなものであれば、それは次回別の女性、例えば職場で知り合った女性とかのような人と車で遠出した時に起こるのかもしれない。
いろいろな人と遠出をした時に、なぜか1回で切られるみたいな結果が繰り返しあった場合、それはどちらかといえば自分が何か忌み嫌われる癖でもあるのか? となるのではないかなあ~ と思う。
ひょっとしたら、自分が運転をする時にそれがもういっぱいいっぱいになっていて、彼女とかガールフレンドの話を聞くというのができていないとか、何か言い方がちょっと雑な上から目線になっていて気付いていないのかもしれないじゃないですか。
今の時代であれば、ICレコーダーで長時間車内の会話を録音するとか、ドライブデコーダーをリアのを前に向けて2人を撮影するという記録化をして、後で見直すというやり方もできるのかもしれない。
でも、昔はそういうものもなかった感じで、自分の記憶をたどるか? 相手に、「怒らないのでどこが悪かったのか教えて」 と言うしかない。
メタ認知のように自分の会話で相手が不快になっていれば、その癖みたいなものも大学生時代に修正した方が良いと思う。
根がグ~たらな私三之橋の場合でも、一緒に大学に車で行こうと男友達に誘われ、最後まで一緒だった、みたいなものは確認している。
正確にいえば、友達は3年生で単位取得できたので大学には行かなくなった感じで、私三之橋の場合は4年生の時も就職活動以外で大学には通っていた。
高校生の頃に、一緒だったスーパー特待生の男友達に、「俺はお前とは一生付き合っても良い奴だと思っているので、これからの時代はコンピュータの時代だと思うので一緒にコンピュータの専門学校に行かないか」 と誘われている。
男友達とかに、「もうお前と付き合うのは嫌で」 とか言われた事はない感じで進路の関係で別れるまではなぜか一緒だったりする。
もちろん男友達がそうだからと言って、ガールフレンドとか彼女もそうだとは言い切れないと思う。
ただ、そういう確認というか、長く続かない人間関係があるか? ないか? くらいは気にした方が良い気もする。
そんな感じで4年間というか、正確じは4年生になって就職活動でもする時に、「最初の1年生の18歳で自動車学校に行き、卒業し初心者マークを貼った1年間で、その後のの2年生、3年生で最初のスタート時点よりも成長できたのか? とかを考え、それで自己学習能力に問題はないかなあ~ と面接に応募している。
車の運転も、会社の仕事もどちらも行動を記憶して側頭脳に刻まれるような手続き記憶だったりするので、片方がダメでもう片方は大成功というのはないと思うので、どちらかができればもう片方も問題出ない気がするのです。
自分の適性などを考え、会社員になっても同じようにできるんじゃないかなあ~ という判断はしている感じ。
良く、「車は金喰い虫なので大学を卒業した後に社会人になって車を買う」 なんて言っている人がいるじゃないですか。
でも、どうせやるのであれば、18歳の方がまだ脳がしっかりしていると思う若さがあるわけで、なぜ22歳とか25歳とかになってやると考えるのかがよくわからない。
たしかに車に乗るのは趣味という事であれば、30歳で始めても良いのかもしれない。
でも、大学生時代であればそこに脳に負荷をかけまくるという事もできるわけで伸びしろとかも変わって来ると思う。
大学生を含め、学生は、「明日から中間テストなので部屋で勉強している」と家族に言ったりしてそれに集中して勉強するとかしている。
そうすると自分で2つ以上の事を同時にできる人なのか? とかわからないと思うのです。
でも、車を買い、彼女とかにどこか県外にあるテーマパークまで行こうと誘われた時に車の運転をしながら、自分で組み立てたドライブルートプランの進捗具合を考え、会話もして、事故も起きないし、運転中にタバコを吸っても灰がおじいちゃんみたいにボロボロ落ちないとか、複数を同時にできると自分でチェックできると思うのです。
2つ以上の事が同時にできないと、会社でデスクで資料作成などPCの入力作業しながら、会社に掛かってきた電話の応対とかできないと思う。
例えば、会社でデスクで電話に出て、それが終わった時にフロアが広い事務所にズラ~っとデスクが並び、みんなも働いていて、そこで、「すみませ~ん。 〇〇さんから電話があったら僕に変わってくださいね~」 とデカい声で言う。
そうするとそばのOL姉さんが、「私もお願い」 と言うので、自分が話したらそのOL姉さんに確実に回すとかしないといけない。
声が小さいとみんなに聞こえないわけで、声が小さいだけも働けないし、恥ずかしいとか思えばそれも支障が出る。
自分が電話で話しているのに、話しかける社員がいるのでそれも聞いていないといけない。
新入社員でも電話に出るのはミケタという100回は超えると思うのですが、仕事が終わった夜に、「あれれ、1件ミスった。 伝言を伝えていない」 という1%のミスがあれば、「お前って電話番もできないの、使えないなあ」 と先輩に怒鳴らられる。
辞めろと言われ、それでも出社すると心臓に悪そうじゃないですか。
電話に出て、最後に上司に今日の仕事が終わりませんでしたと言えば、何をやっていたのと呆れられる。
そんな感じだと思うので、最初に面接に行く段階で自分に合わないと思えばわざわざ入社せずに電気工事士のような1人で仕事をする方を選ぶ方が幸せではないかと思うのです。
たまたま車の運転というものを使った方がそういう適正を自分で判断しやすいだけではないかと思うのです。
脳に負荷がかかったら、それに耐えられないとストレスで精神を病むとかある。
そういうのって学生時代にアルバイトをしただけではわからないと思うので1つの指標として運転を使っているだけだと思うのです。
自動車学校を出て、そこから運転技術がそのままという感じであれば、自己学習能力は低いと思うので、入社したら講師が教えてくれるような会社を目指すしかないと思う。
厳しい会社だと、イチイチ丁寧に教えてもダメな人はダメなわけで、できる奴は教えられなくてもできるようになる。
みたいな考え方をしていると思う。
そもそも私三之橋も大学を卒業して新社会人デビューして、会社員となったのですが、「その仕事は誰に教わったのですか?」 と訊かれる事があるのですが、新卒入社してから上司に何か教えてもらった事はない気がする。
最初に上司が接客で来客の対応をしていて忙しいので上司の高級車のキーを渡され銀行廻りをして大金を運んだりする仕事だった。
上司の代わりなので光栄と言えば光栄なのですが、そもそも大金を運んでいると強盗にでも遭えば瀕死の重症となる。
入社してお局様界大ボスのおばあさんが同じ課にいたので即日虐められた。
そのおばあさんがやっていた取引先の管理をやる仕事も引き継ぐ事になった。
それで来客したお客様と言うか、取引先と接客するとかもしていくのですが、そもそも挨拶の仕方とかも習った事もない気がする。
そもそも電話応対とかも習っていない気がする。
後は、会社のシステムを組み、銀行の審査を受けるという仕事が回った来た時にシステム部の最高責任者の部長がメチャ嫌がり、「三之橋君どう、君でもそのくらいできるよね~」 と無茶ぶりされてやる事になり、仕事はいっぱい抱えていたのでプログラマーも雇い部下が増えただけだったのですが、それもやっていた。
システム部の部長が、「僕だったらこういう風にするかな」 とか少しでも教えてくれのか? と訊かれたら、「ゼロです」 としか言えない。
それで審査にも通過した。 例えるなら社長室のテーブルに10億円くらい現金をドンと積んだ感じだった。
メインバンクをメガバンクに乗り換えるというプロジェクトを成功させてしまった事で会社がお祭り騒ぎになっていった。
私三之橋が退職して数根で莫大な損害が出て100名以上が仕事を失っている。
それで私三之橋は、”座敷童みやいなヤツ” とか呼ばれるようになったのです。
たぶんね、人はどこかの会社に入ってそこで高級車にでも乗っている、仕事ができる人という上司がいれば、何かその人が部下である自分に対して仕事のやり方を丁寧に教えてもらえるようなものをイメージすると思う。
でもね、そういう仕事ができる人というのは、自分と同じ種類の人を部下にするだけの話なので、何かを教えてくれるわけではなくて、ただチャンスに溢れているだけ。
私三之橋の場合、入社してすぐに同じ課にシステム系のデスクとかもあり、システム部部長には、「三之橋君、今日仕事が終わったらそこの角打ちでいっぱいやろうぜ~、僕が奢るから」 と誘われた。
その人の話では、高校生の娘さんと大学生の娘さんがいて、家には女性ばかりなので家で飲むのはつまらないらしい。
それでもう娘さんが大学生になったので誰かと結婚するとそのご主人が仁節初の息子になるので、こんな風に仕事が終わったら2人で待ち合わせして一緒に飲むのが夢なんだと話していた。
いつも毎週1回とかは最低でも角打ちで飲んでいたのですが、仕事の話はしないのでシステムの話とかした事がない。
そんな感じで、一緒に飲んだりした間柄で推察した時に、後何年かで定年退職するというので、さすがに銀行に自分の作ったシステム尾出すのは嫌だろうなあ~、 というのはわかった。
もう何か訊かない方が良いと思うので、相談しない方が良いかと考えた。
大学生が会社員となりルーキーなのに、会社のシステムの設計とかやった事ある人なんていないと思う。
銀行のシステムは、俗ん言う”システム屋” さんという、ざっくり言えばコンピュータメーカーから派生したスペシャリストが作っているので、そこに審査を受けるというのは嫌かなあ~ と思う。
『この前出していただいたプログラムですが、あれはちょっと酷かったです』 と言われるとマズイ。
でも、”ベストエフォート” という、自分d良いものをまず作ってみてください。
という審査基準が曖昧な感じなので、そこをどう推察するかも考えないといけない。
システム系の人達に、システム系の人が作るようなものと同じものを出せば、「このくらい誰でも作れるよね~」 で終わってしまいそうじゃないですか。
そこでワンランク上かな、みたいな人間行動分析からの視点でこんなのを作ってみました~ という独創的なものを組み込んだ。
会社に何人かそういうシステムのスペシャリストがやってきて、『見た事がないものが数点あり作った人に説明を聞きたい』 とプログラマーの人が、「僕は三之橋さんに言われた通りにやっただけ」 と答えていた。
そんな感じで審査に通り、メインバンクがデカいメガバンクに変わると、もう将来簡単に倒産しないような、無尽蔵にお金が出てくるという感じになった。
「ルーキーさは3年持たないと思う」
そんな感じで新入社員はみんなそう考えていると思う。
高校を卒業し、新卒入社でメチャカワイイ女性が入社しても、最初はカワイイというのがあるので、仕事でチョイミスした時でも、『〇〇さんは、良いよ。 まだ新人さんだし気にしないで』 とか言われる。
でも、3年も経つとその可愛さに陰りも出てくるし、「〇〇さん、もう入社して3年もなるわけでもうちょっと頑張らないと」 とか変わっていくじゃないですか。
男性の場合はもっと厳しくで、3年以内に自分の存在価値を出していかないと、配属とかになりそうじゃないですか。
そんな感じ、仕事ができる人を上司に持つと、チャンスだけは回ってくる。
それまで40年くらいお局様界大ボスのおばあさんが大ボスでいられたのは、取引先の管理という仕事をしていたからで、その仕事は私三之橋が引き継いだ。
『みなさん~、取引先で何かあればこのセンター長の私三之橋まで言ってね~』 みたいな感じ。
ちなみに、「取引先は全部記憶しているの?」 と訊かれれば、数が多すぎて覚えられないと思ったので覚えてもいない。
事実上一般社員が昇れる最高の仕事みたいなものを手にしたわけすが、順風万端でもなかった。
それはお局様界大ボスのおばあさんは、たぶん自分の仕事を三之橋が奪うと直感した感じで入社して即日虐められた。
そういう経験をして学んだ事は、どこかの上場企業とかに転職などをして入社し、そこで課長とか役職も上の人の仕事を引き継ぎするというシュチュエーションでは、前任者は、協力前面拒否という感じだけでなくて、虐められるとかもあったりするという事。
そんな感じなので、仕事はどう覚えたの? 誰にどう教えてもらったの? とか訊かれるのです。
私三之橋の場合は、大学生時代に入学式の日に国産高級車の新車に乗っていた子と出会い、その子がこういう新車にでも乗って効率よく運転技術をマスターしていけば、会社員になった時に安泰だとか言っていた事でその研究をしただけ。
伸びしろの上限まで最短コースでどうやれば到達するのか? とか考え、実際に公道でポルシェを後ろからパッシングして煽るとかやってしまい、警察署長の所に連れて行かれて、「お前調子に乗っているので逮捕しても良いんだぞ」 と叱られている。
自分の理論が正しいのか? という検証でそこまでやる人なんていないじゃないですか。
たった1回やらかせばそこで即死か、一生車いす生活になるだけだったりする。
そういう操作にこだわるのには理由があって、自分が運転していてそれがもういっぱいいっぱいだと、助手席の彼女の話とかもきちんと聞けないという、余裕のなさが出ると思う。
彼女が、「ねえ、今度の日曜日にあここにできたあのテーマパークの〇〇〇〇〇に行こうよ~」 と言ったら、私三之橋の場合は、根がグ~たらなので事前にどういう道を走るとか一切調べない。
朝早く起きて洗車して、彼女の家とかに迎えに行く。 やっぱり洗車もしていない車でドライブに行こうよ~ みたいなものって、夫婦とか家族とかの関係だとそれはアリかなと思うので、別の結婚もしていないわけでマナーみたいなもので洗車をしていくとか、綺麗な洋服を着ていくとかは心がける。
後部座席に置いてある読売新聞とか新聞を購読していると地図本をもらえ、それを開いてチャチャッとドライブルートプランを組み立てる。
昔は新聞を後続していると1年に1度とか「九州地図」 みたいなその地域の地図本がもろえ、カーナビのない時代はそういう地図がもらえると喜ぶ人が多いので年間プレゼントみたいになっていた。
買うとそれなりに高いので、最新地図を車に積んでいた。
後はコンビニで福岡市内商材地図とかを自分で買って車に積んでいた感じ。
ドライブとかって渋滞するとあるわけで、完璧に予想なんてできないのでたたき台として1つのドライブルートプランをチャチャッと組み立てて、一気に走り、後は渋滞した現場で調整とかを考えないといけない。
目的に到着できれば良いというものではないと思う。 彼女とかガールフレンドとデートみたいなものだとスムーズにテンポ良くテーマパークに到着しないと面白くないじゃないですか。
例えば、高速道路を走っていて、「今100km/hで走っていてこんな感じなので、この分だとランチを食べるのは〇時〇〇分頃かなあ~、 それだと彼女的には面白くないと思うので巻いていく方が良いと思うので120km/hペースで行くか」 とか調整する。
当然、車の運転でその120km/hで走るのがその人の限界であれば危険なのかもしれないし、余裕がなくなり彼女との会話もきちんとできなくなるのかもしれない。
そこでスピード狂というハイスピードで走って白バイ景観にも怒られたという経験での場数が行きてくる。
1回とか2回とかではない、その場数の多さから、「120km/hで高速道路を走ると余裕だなあ~」 みたいに感じる。
昔F-1レーサーだった人が、ドライビングスクールを開校したとテレビに出ていた。
人はごく普通に自動車学校を出て、そこからごく普通に運転していると車の限界とかを知らないので、いざという時に急ブレーキを踏んで事故で死んだりする。
ドライビングスクールでサーキットのような私有地でアクセルを床まで踏むとこういう加速感でとか、パニックブレーキを踏んだらこうなるとか、そういう経験がないとダメなんだと言っていた。
そんな感じ。
自分の運転にどこか余裕がないと、すべてにしわ寄せがいく。
自分が運転だけでもういっぱいいっぱいだと彼女が、「昨日はこんな事があったの」 と話した時に話を半分も聞けていないようになり、食事とかしている時に話して、「さっき話したじゃない?」 とか怒られる結果を招くじゃないですか。
話を聞いていないと思われればそこから話してもどうせ聞いてくれないとなったりするじゃないですか。
人の話を聞くというのは重要。
例えば、会社員となり自分のデスクでお客さんと電話をしていて話している時に、同じ会社の人が、「あれはこうしておいて」 とか自分に言ったら、「わかりました」 とか言うじゃないですか。
でも、その頼まれた用事ができないと、言った人は、「あの三之橋は電話している時に話をすると絶対に聞いていないので言わない方が良いぜ~」 となりそれが社内に伝播していく。
例えば、大学生の男性が、付き合っている彼女が有名大学に通っているとか、空気を読める人であったとします。
「今彼氏が土地勘のない道路を運転し、どこで曲がろうかと考えていると思うので、気が散らないようにしよう」 みたいな人だったら運転していて楽じゃないですか。
でも、その場合、社会人になった時に困るだけのような気がする。
もしも、彼女が無計画な人だと、友達が行って良かったと言う秘境の温泉に行きたいとか言い出して、そのまま遭難したりする。
カーナビとかない時代に山道でどんどん暗くなり周りに車が走っていないと、「うわっ、ヤバいなあ、どう見ても遭難しているし、ガソリン残量もヤバい事になっている」 みたいに死にそうな気がするとかあるじゃないですか。
車の運転をまったくしない、というか免許も持っていなければ、最初から自分には無理と考えている彼女を乗せて遭難すると、もう自分ひとりでそこから抜け出すしかない。
そんな感じ。
大人になって会社員とかになり、上手くいかない人はなぜか? 「俺には才能がなくて」 とか言ったりする。
でも、違うと思いますよ。
私三之橋の場合でも、才能なんかこれっぽっちもなくて、小学生のチビッ子時代でも行きたくもない塾に行かされていた。
そこで塾長が、『人間には法則がある』 とか、人の脳細胞は大人になると凄い勢いで減っていくとか話をしていた。
人間の体というのは、負荷がかからないとどんどんダメになっていく。
例えば、私三之橋は歩く事ができない、というか立つ事ができないというのも経験した事があるのですが、病院に行った時にパンツ1枚の姿になり、寝た後に、「立て」 と言われ立ち上がると、何とか繰り返し、『やっぱりですね。 三之橋さんは立てと言われたら足がブルブルと痙攣し立てるじゃないですか。 普通はアスリート選手でもその痙攣は限界を表しているので立てないんですよ。 私もこの状況で立てる人は初めて見たので、入院して寝たらダメですよ』と専門医に入院希望と言ったら拒否されてしまった。
入院をしてベッドで寝ていると筋力が落ちるだけですと言われる。
それと一緒です。
人は運動もせずに1日中家の中に引きこもり、コンピュータゲームだけやっていれば、足腰とか弱っていくだけで損する。
それと一緒で脳も負荷がかからないとダメになっていく。
18歳の大学生だと脳に負荷をかけまくっても死ぬ事はないのできちんと負荷をかけまくっていた。
車の運転をすると男性はタバコを買いに行くのでも車に乗って近所のコンビニまで行き歩かない人がいて、足がどんどん弱っていく。
でも、私三之橋はタバコを買うのはウォーキングに出かけた帰りにコンビニで買っているように歩くというも日常でやっていたりする。
そういう習慣というのは、嫌々行かされた塾の影響だと思うのです。
運が立って歩けなくなり、専門医をいくつか訪ね、そこにはプロ野球選手のようなアスリート選手とかもいっぱい来たりするのに立てたのは三之橋1人だけだったりする。
それも、塾に通ったりしてサバイバル訓練とかあった事のおかげなのです。
凄いピアニストがいて、絶賛されていても、要は幼少期から家に立派なピアノがあったり専属の講師がいたおかげでだったりするじゃないですか。
そこに気づけるかどうか? だと思うので、やり方次第だと思うのです。
例えば今会社員となったばかりの人がいて、上手くラインに乗っかれないで焦るとかあれば、やり方を見直す方が手っ取り早いというお話なのです。
基本脳は、おじいちゃんになっても鍛えるというのはできるといわれていますが、さすがにその年までやった事もないと現実としては無理かなあ~ と思うので20代くらいであれば一気に好転できると思ったりはします。
まあこんな話をすれば書店でハイトゥ本とか買って読む人が多いのですが、本を読んでもそれは頭の中の情報が増えるだけであまり意味がない。
そんな事をするくらいであれば、ワンデー彼氏に応募して、何の人間観海もない女性と会い、その子ノ1日だけ彼氏になってみて、その1日だけ真剣にどうすればその子の小さな夢を叶えられるのか? を考え続けるという1日でも過ごした方が良いと思う。
上方はいくらインプットしても、アウトプットできないと意味はない。
インプットするというのを止めて、アウトプットするという練習を繰り返す方が良いと思うのです。
トレーニングデイというのは、何かそれが辛いものみたいに思うかもしれないのですが、そうではない。
車の運転でいえば、免許を取ってわずか1週間で素人臭さみたいな、見られた時に意外ときちんと運転できるようにまで到達できるわけで、そこで、「俺はもう運転できる人なんだ」 と思ってしまう人が多いと思う。
私三之橋は、そこまでは誰でもやれると思うので、そこから何度もその運転を繰り返し、日本刀を作る刀鍛冶のように何度も火に入れては打ち直すとか繰り返すような感じで、ディティールにこだわっている感じ。
彼女にあそこに行こうよと言われ、1回やってみてそれが大成功という結果であれば、自分でそれは得意なんだと思う人が多いと思うのですが、1週間に1度、年間50回とかだと4年で200回とか繰り返す感じ。
ワンデー彼氏募集に応募して、20歳の高校を卒業し会社員として働いているという女性と1日ドライブに行き、それが上手く行くと自分はそういうのが得意なんだと思い込む人が多いと思う。
それも、1日だけたまたま成功できただけかもしれないし、祖の女性との相性が良かっただけかもしれないので、メンヘラ女性と出会うまでとか、場数にこだわる感じ。
同じクラスの大学生が、年間5,000km走ると言っていたので、そこはざっと10倍年間5万kmペースでやる、みたいな事実上の限界みたいなレベルでやる感じ。
大学生でわかるのは、卒業し会社員となった時に上手く順応できないと面白くないとなり、それを周りの誰かが教えてあげるというのは無理かと思う。
上手くいかない人って、誰かがアドバイスしても聞かない感じがあったりして、「私はそうは思いません」 とか言ったりして教えても時間の無駄になるとかあるので、ハブられてしまうとかになる。
最初に躓けば、転職してもまた同じ結果となるとかあるわけで、躓かない方が良いというのはある。
大人になると自己責任となるという感じ。
例えばどこかの上場企業に有名な大学を卒業した人が入社する。
その新卒入社した直後に、適用障害という感じで発達障害みたいな事をわかり、別室に連れて行かれ辞めさせられる人はいたりする。
警察学校を卒業し警察官となり配属された人が、交番で上司に報告書の書き方をいつもダメ出しされて、支給されていた拳銃で上司を撃ち殺した事件も遭ったじゃないですか。
全国各地で、どこの会社でも入社した人に仕事でもちょっとやらせた時に、あまりにも出来ないという結果から辞めさせるしかないとかという判断になり、上司とかが話したりして辞めさせる家庭で、「私はそんな人じゃない」 と認めずにもめるとか、そういうケースもあるじゃないですか。
私三之橋の場合は、そういう言われた経験はないのですが、大学を卒業し入社した会社で会社医1年生となった時に、高校を卒業して新卒入社で同期入社となる女性がいた。
1か月後に配属された上司が、私の上司に相談し、別の課に配属された。
1カ月後にその配属された上司が、私の上司に相談し、また別の課に配属された。
OL姉さんとして制服というかユニフォームを着て、その新人時代に1カ月とかで配属された課の責任者が、「あんな子は要らないです」 みたいに相談しているとかは見てしまった。
1度そういう事が遭った時に、押し付けられた課の責任者となり上司でもある人が、「うちでもあの子は要らない」 と言って配属になっていた。
3回目の課では、おじいちゃんみたいな人の好さそうな人が、「私の方で引き取ります」 みたいに言ってくれた事でその子は辞めさせられずに済んだ感じだった。
高校生や大学生だと、「私は会の会社が給料が良いので入社したい」 みたいなそこで自分が失敗しないでやれるイメージではないかと思う。
でも、夢は具体的な方が実現しやすいと習った人はちょっと違っている。
私三之橋の場合だと、入社して上司の仕事に同行し運転でもする事になったら一気にABCランクに仕分けされる時にいきなりAランクを目指す。
OL姉さんの多い会社で、「今度入社した新入社員の三之橋は最悪だよね~」 とか言われないようにするとか。
たぶん、人がどこでどのようなポイントで躓き気づかないとか、そういう失敗を基準にモノを捉えているだけだと思うのです。
例えば、高校生の時に頭のおかしな人に虐められて、無実の罪を着せられ退学になり、行き場を失って首でも吊るぞ~ みたいにやられ、世の中にはそういう人間がいるというのを学んだ感じ。
それはどこか自分にもその人を見た時に、「気持ち悪いなあ」 みたいに距離感を保とうと考えたとかそういう悪いところもあった気がするわけで、必ずしもアローンスタートは得意ではないという自覚があると思う。
たぶんそれで最初に会社員の世界に飛び込むという前に、「こういう感じで失敗する人がいるぞ」 みたいに失敗する事が前提で普通の人と真逆の視点で入るというのがあるのかなあ~ と思う。
例えば、福岡空港から台湾に行くとか、香港に行くとかで飛行機に乗ると割と小型な旅客機で離陸後に一気に高度を上昇させようとするじゃないですか。
高度が低いところよりも高い方が安定して飛べるとか燃費が良くなるとかあるので最初に安定を目指すと思う。
そういうイメージで最初にまず安定をする方が良いと考えるので、そうなるのかと思う。
どこかの会社に入った時に、「俺様はこんなに仕事ができるんだぞ~」 みたいに仕事にのめり込み、それって凄い快感を得るようなものですか? と訊く人もいるのですが、たぶんそんな感じではない。
例えば、誰かに虐められ首でも吊れとか言われた時に、人は2つの選択肢しかないと思う。
追い詰められた動物のように諦めるとか、自殺する人と、そうでない抗う人。
1度抗うとたぶんそれが習慣になってしまうだけだと思うのです。
要は諦めの悪い性格という感じだと思う。
高校生の頃に普通の人が長い人生の中で1度も経験しないような虐めとかに遭って、「これは場所の問題だ」 と私三之橋はそう考えたのでどこかに転校してやり直そうと考えた。
でも、他にもいろいろあって悩んだりしたのである日占いに行って見た事があるのです。
そうしたら、『お前は天才なので、自分が一瞬でわかった事を周りの人がわからないのを見てイライラするだろ? 相当気が短いので、ストレスから精神を病んで自殺するか、喧嘩で死ぬかで、10代で死ぬぞ』 と言われた。
場所に問題があるのではなくて、お前に問題があると言われたのです。
お前は何かが見えるのか? 聞こえるのか? 頭に浮かぶのか? 普通の人が理解できない事がわかるとかあるだろ? 守護霊が囁くのか? 何かそういうものがあって、周りの人間みたいに時間をかけずに判断する。
何かそういう人と違うというの見た人が絡みたくなるので、人によく絡まれるだろ?
謙虚さがなく、人と同じような努力もしない。 要はお高く留まっているみたいに見えるだけの話なのだ・・・
そんな感じでボロクソ言われてしまった。
怒りは自分の運気を下げるだけ。
ATMで前の操作が遅いとかでイライラするのでなくて、普通の人なのだと考えろ。
そんな感じです。 そこから大学生になった時に、今までの人生のやり方を見直した方が良いかと、反転させたのです。
自分が付き合って楽に感じるスーパー特待生の男友達に頼るという性格を真逆に反転させて、運転できない彼女とかガールフレンドとを乗せて、「運転はできなくても大丈夫だよ、俺に任せておけ」 みたいな感じ。
運転ができない感じでワンデー彼氏募集をしている女性に応募し、「運転できなくても大丈夫。 行きたいお気に入りのドライブコースがあれば、俺が自分の車で連れていくよ」 みたいな感じ。
旅行する時に友達が電車の時刻表を見て、「俺が先にJRのこの電車の〇両目に乗っているのでその電車が三之橋の家から1番近い〇〇駅に〇時〇〇分に来るので乗ればOK」 とか電話で言われ、それだけやれば後は友達が全部やってくれて楽ちんだった。
そんな感じで私三之橋は高校生時代にJRの時刻表も自分で見た事がなかった。
それで大学生になった時には、彼女とかが行きたい場所を言った時に、「地図の見方もよくわからないがやっていれば覚えるんじゃないかな」 と自分で地図本を開いてドライブルートを組み立てるようになった。
それまでは友達が、「次の選択科目はこうしようぜ、合わせようぜ」 と言われ、それに合わせるだけで楽ちんだった。
それも大学生になり1人ボッチになった時に、みんなが運転技術がこれから先の人生を左右するとか言ってやっていたので、自分でどういうトレーニングをしようというプランも考えた。
それは、軽い気持ちで占いに行った事でそうなった感じ。
女子高生の話では、占いに行くと自分の人生を励ましてくれるとか、お金を支払うので相手が喜ぶ事を言ってくれるのでハマると言っていた。
それで、「三之橋さん、あなたの人生は安泰ですよ」 という感じでおだててくれ安心できるのかと考えて行ったら、「お前は10代で死ぬぞ」 と言われてしまった。
その時は気にしないようにしたのですが、18歳の大学1年生になったら、もう余命1年かな、自分の人生に陰りも出てきたと1人ボッチのアローンスタートでそう感じ、入学式の日に国産高級車の新車に乗っていた子に出会い、車の運転が重要とか知らなかったので、慌ててやった感じだった。
自分が戸惑った時、ふと小学生の頃の塾長の言っていた人間には法則があるという事が頭に浮かび、車の運転とかできない人がいるとは思わなかったので、ラストチャンスと考えたのだと思う。
そんな感じだったので、真剣にやってしまい、その結果人生が好転しただけだと思います。
例えば、大人が無断駐車でもやらかしますと、人はその被害に遭い、『いったいどんな育ち方をしているんだ~』 と思わず言ったりするじゃないですか。
あるいは、世間を騒がした事件を起こした時に、お父さんがテレビニュースに、『もっと良い人になってほしい』 とか言ったりしているのが報道されるじゃないですか。
やらかした本人ではなくて、親の育て方が悪いという感じだったりして、人が失敗するというのは才能ではなくて育ち方という感じだと思うのです。
私三之橋の場合、小学生時代に自分で行きたいとか言った覚えもない塾に行かせられ、そこでは塾長が、「お前らそんな事では大人になった自分が困るだけなんだぞ」 と言っていた。
というか、まさに言いたい放題罵るとかなので、チビッ子が重度の精神分裂病になったりして来なくなり、ダツラク者が多かった。
私三之橋のように、根がグ~たらな人というのは、精神病院とかで壁をボ~っと見ているような人とか、そこに誰もいないのにその人には見えている感じで1人で誰かに向かってしゃべる人とかを見ると、『自分が可哀想なのは嫌かなあ~』 と思うので、塾長に言われないようにするのです。
言われないと壊れないわけで、そうすると、「あの頑固ジジイの事なのでここを指摘するのではないか?」 と考えるのです。
お金を支払って怒られて、それで精神分裂病になったら自分が可哀想じゃないですか。
一説によると虐待された子供は、お父さんとか折檻する人に気に入られようとするといわれている。
それと同じようなものかなあ~ と思うのですが、審査する人の頭のパターン解析をする感じ。
会社員となり、上司ができてその上司を見た時に、『この人はこういう事をされるとイラっとするタイプで、こういう風にすると怒るとかでなく受け入れるかな』 とかを読み取る感じ。
普段からダツラクする人が多い塾とかに通ってダツラクしないと、「意外とイケそうな気がする」 と思ったりしてしまう感じ。
それでうまくいく感じ。 人はわからない事でもあれば訊けば良いと考える人もいるのですが、何でも訊くというのは何も考えていない人の特徴なので相手が耐えきれなくなる。
じゃあ、まったく訊かないとそれも問題となる。 大人になってわからない事も自分で訊けないと残念な人でしかないし。
大人になった時に、「俺は才能がないので」 とか嘆く人は珍しくないのですが、そもそも才能とは違っていて、育ち方の問題なので自分で環境を考えれば良いだけの話です。
例えば、私三之橋は突発性難聴になり、同じ病気をした人からのアドバイスに、「音の静かなハイブリッドカーに乗るのはお勧め」 と言われ30プリウスの後期型を中古で買っている。
普段病気なんてしないのにいきなり難病とかを経験し、そんな時にヤレた車でも乗っていれば自分で自分が可哀想に思うので、Tバリュー認定中古車で外装磨き直しとかの中古車を買っている。
「難病になって可哀想な自分がいて、でも車は可哀想でもないと思うのでバランスが取れ、その内的を捉えて治るんじゃないかな」 と考え、実際に治っている。
芸能人が突発性難聴になると活動休止の記者会見を開き、ワイドショーに専門医が出てきて、「治る人は2割もいない」 と言うじゃないですか。
私三之橋はあれを聞いて、治る人の1割に入れれば良いのかと思ってしまった。
そんな感じでイケそうみたいにすぐに思ってしまうが、失敗する事を前提にはしていない。
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