ニコチャンマネーメイク

株式売買などのマネーメイク日記。

車を買い、それで人生が好転するという理論がわからない

2024-04-13 14:27:06 | 車所有でわかるもの

車は金喰い虫なのでわざわざそれを買って載る事でどういうメリットがあるのかが理解できない。 という人もいらっしゃるのでその話の続編です。

 

私三之橋が大学生となり入学式の日にもう国産高級セダンの発売されたばかりのピッカピッカな新車に乗って来ている子がいた。

 

エグゼクティブカーとか、ハイソサエティカーとか呼ばれていて、デートにはこんな車で行かないと恥ずかしいぜ~、みたいな高級車だった。

 

なんとなく気になり、たまたま同じクラスの子なのでひょっとしたらお父さんとかお兄さんの車かもしれないので訊いてみた。

 

「俺はさ~、4年後にはどこかの上場企業で営業車にでも乗るつもりなのでその時に困らないように今こうやって乗って大学への通学で公道で実践練習しているだけ」 みたいに言っていた。

 

大学生になり、それまで暮らした実家を離れ県外の土地勘もない友達もいない所に引っ越すというアローンスタートを経験した人にしかわからないと思いますが、大学生になってそこで誰も友達がいないので声掛けでもしていかないとずっと1人ボッチが続いてしまう。

 

翌日から、「ねえねえ、あそこの人が昨日の入学式に新車の高級車で来ていたのは見た? あなたももう免許持っていたり、車を買って持って乗っていたりするの?」 みたいな感じでヒアリング調査していった。

 

驚いた事にもうみんな免許も持っていて、車も普通車サイズの中古車をお父さん名義でローンで買って持っていた。

 

当時18歳は未成年で親の同意書がないと車が買えないとかがあり、それでお父さん名義でローンで買った人が多かった。

 

わざわざ新車を買っても大学生時代に故障もしないわけで、自動車保険は21歳未満は割増料金となるし、車両価格で保険料も跳ね上がるので支払いがしんどくなるので中古車で普通車サイズがほとんどだった。

 

どこかの月極駐車場に無段駐車して110番緊急通報されPC派遣要請でもされれば、それはパトカーがやってきて、所有者に連絡がいくわけで、子供が何かをやらかした場合、事故でも親に連絡が行くようにお父さん名義が多かった。

 

「もう大学生で18歳になったわけで車の運転くらいきちんとできないと笑われるし、その運転がきちんとできるようになればその後の社会人になった時に差が開き、人生が好転する」 みたいなことをみんなが言っていた。

 

後は、「車の運転免許証ってバカでも誰でも取得できるしくみなので持っているだけではただの紙切れに過ぎない。 初心者マークを貼って1年間1人で公道を運転してみて、さすがに自分には合わないと思えばそこで運転やめるでしょ?」 と言っていた。

 

ざっくり言ってしまえば、自動車学校で教官が助手席に乗り、そこで運転が上手くできたとか、上手くできないとかで一喜一憂する人がいるが、そこはまったく重要ではない。

 

自動車学校を卒業した時点では、全員平等に横並びのスタートをするわけで、そこから差が開くという感じでそこが重要なのだと言っていた。

 

例えば、今あなたが片側3車線の道路の真ん中の第2通行帯を道なりにまっすぐ走って彼女を乗せてドライブしているとします。

 

交差点で左の第1通行帯を走っている少しだけ斜め前という車がいきなり自分の第2通行帯に寄せるように寄ってから、左折するとかがあり、助手席の彼女が、「きゃ~っ、びっくりした~」 と言ったりする。

 

左折をする時に脱輪をしたとか、そういう感じの苦手な人がやる感じの癖みたいなもの。

 

誤解があるとマズイのですが私三之橋でも屋根なし月極駐車場に帰る時に車2台が離合できる道路幅の幅員の方から左折で侵入するので、その際に右に寄せてから一気に左折侵入するとかはある。

 

そうしないと1度で綺麗に曲がり切れないという、90度転回する事ができないからそうするだけの話。

 

ごく普通の交差点で左折する際にわざわざ右に寄せてから左折するというのはやらなくても良いようにそういう風に道路が造ってあるのです。

 

「ここは1度右に寄せないと曲がり切れないかな」 みたいな区別ができない人だと左折する際にどこでもかしこでも右に寄ってから曲がるとかしてしまい、それは白線の車線を越えて寄せるとかするので、右の車の助手席の彼女はぶつかるかと見えてしまい驚く。

 

ザックリ言ってしまえば、そんな下手くそ感溢れる運転をしてしまう原因というのは、俯瞰(ふかん)視ができず、自分の左の後輪がどこにあるというイメージができないからそういう運転をしている。

 

あるいは、いつも1人で車に乗る事で誰も同乗者がそのやらかしているというのを指摘しない事で本人は、「俺って車の運転は問題無くできているなあ」 とメタ認知のように自分の行動が見えないからそういう事態に陥ってしまっているのだと思う。

 

例えば、私三之橋は、アローンスタートで大学生になっていたが、すぐに男友達ができていき、そこで一緒に自動車学校に通った子からバディ・システムを組もうと言われ一緒に大学に車で通う事になった。

 

今日私三之橋が自分の車で友達の子のお父さんの会社に車で行き、そこに来ている友達を乗せて、三之橋が運転して大学を往復し、また会社で別れる。

 

翌日はその男友達の車で行くのでまたお父さんの会社までは三之橋が自分で運転していき、車を倉庫に格納してから友達の車に乗り、友達が運転して大学に往復するというもの。

 

車の燃費は車種によって違うので交互に自分の車を出せば平等になる。

 

車の運転は、自動車学校を卒業し教官がいなくなり1人になった時に、自分がきちんとできていないのを自覚できずに、変な癖が着く事で一生笑われるような人になる。

 

そこで助手席に座って運転する友達の運転でおかしなところでもあれば、指摘し合えば、2人は運転で変な癖は着かない。

 

相棒は、バカだと意味がないので、私三之橋の友だちは高校生時代に禁止されていたバイクの免許を取り中型バイクに乗っていたと素人でもない感じ。

 

それで大学に行く時とか帰りに、その友達は片側1車線道路とかで斜め前に自転車とかバイクが走っているのを抜くというのが苦手だった。

 

「チッ、何でこんな道を自転車で走るのかなあ~、迷惑だってわからないのか?」 とか言いながら運転する感じ。

 

大学生になり生まれて初めての1人暮らしをした人が、アパートで原付バイクに乗っている住人がいて、1時間に1回とかバイクで出入りする。

 

「たぶんコンビニに行くのだと思うんだけどね、バイクって音がうるさいのでメチャ迷惑に感じるので、もう高校生じゃないのでバイクには乗らない方が良いと思うよ」 と言ったりする感じで大学で仲良くなるとそう言う子は多かった。

 

私三之橋が基本バイクや自転車に乗らないのも、車を運転する大学生の男友達が「自転車なんかにのりやがって迷惑だって気づかないの?」 と言う人がほとんどだったので乗らなくなっただけの話。

 

例えば、いつも1人ボッチだと気づかないのかもしれないのですが、いつも同じ男友達と車に乗ると、「チッ、なんだアイツ、あんなに寄せやがって頭おかしいんじゃないか」 と言うので助手席の私三之橋が左のミラーを見たりして、「あっ、たしかに車間距離詰めすぎだね」 と言ったりする。

 

人それぞれ微妙に違いはあると思う。

 

ただ、忌み嫌うという感じで、「どんな育ち方しとんねん~」 みたいな嫌うポイントって似通っている。

 

車を運転している時に、後続車が自分の車に詰め寄る感じで車間距離が狭いと圧迫感を感じ、そういう運転って空気の読めない精神病の人とかに多いので、疎まれる感じがある。

 

自分の車の前か後ろにちょっと変な人いると思うと落ち着けないものがある感じ。

 

友だちは1回1回口に出すようなタイプだった。

 

運転してストレスを感じるとそこで吐き出すという感じ。

 

山道とか峠みたいな片側1車線道路を走ると、車道を自転車で走っている人がいて、小雨の降る暗くなった19時とかに、「何でレインコートを黒なんか着るんだよ、どんな育ちしているんだ~」 とか言う。

 

友達は、会社経営者の子供でお金には困っていない感じでしたが、アルバイトしたお金で普通車サイズのAT車の中古を買ったのでフィルムがリアガラスに貼ってあり、昼間でも苦手な自転車の追い越しとかで、夜は服装の色味とかもイチャモンを着けていた。

 

たぶんそれで私三之橋も夜にウォーキングとか出かける時に、「雨が降っているのでこういう色味にするか」 とか考えたり、LEDの光るものを装着するかしているのだと思う。

 

友だちといつも一緒に大学に車で行くと、その友達が小姑のようなイチイチ、「あれは残念な人でしょ?」 みたいに言うのでそれで感覚的にわかるようになった感じもある。

 

ちなみに友達は中型バイクとかを運転するのは上手い方だと思う。 後ろに乗せてもらい、たしかに下手ではなかった。

 

でも、友達の運転する車の助手席に乗ると、いかにも車の運転は苦手という感じがした。

 

そういう人って意外と少なくなくて、16歳で簡単なバイクに乗ると、どうしても18歳でより大きな車に乗るという事や操作方法が違うとか、車は路上の歩道に置けないとか制限が増えるとかあるので、そうなる人はいる。

 

車の運転には苦手意識があるという感じで、大人になって随分経った頃にその友達がお父さんの会社で働いているというのをSNSで偶然見た事があるのですが、デカいバイクに乗っていて、車は苦手でとか書いてあった。

 

そういう苦手な人の車に乗る事で、「こういう運転は嫌われるんだ」 とかを学んだ感じ。

 

後はその一緒に大学というのが基本編だとすれば、週末は車の運転とかしない彼女やガールフレンドが、「ねえ、今度の日曜日は新しくできたあのテーマパークに行こうよ~」 と言ったりするのに付き合うという応用編みたいなものがあった。

 

それは自動車学校の教官が絶対に教えないような内容になる。

 

朝早く起きて洗車してから彼女の家とかに迎えに行く。

 

地図本を出して、「えっと、今はここなので県道〇〇号線を走って、この交差点の〇〇〇〇〇ので右折して国道〇〇号線に入って、往きは時短で一気に高速に乗らないとダメだと思うのでこのインターから乗って」 みたいにドライブルートプランをチャチャッと組み立てないと走れない。

 

カーナビもないし、携帯電話もない時代は、車を持っていない大学生とかいないくらいみんな車に乗っていたので渋滞も酷かった。

 

大学生になった頃にお父さんとお母さんがお正月なので佐賀県の祐徳稲荷神社までお参りに行くと言って、私三之橋は出かけたくなかったので家でトラック野郎とかの映画を観ていた。

 

夜19時とか暗くなった頃に帰って来て、「今日は凄い渋滞に遭って遅くなってくたびれた~」 とか言っていた。

 

車というのは、テレビドラマで主人公が乗っているシーンがあり、行きたい家の真正面の道路に停まり路上駐車するとかで、それは見ている子供とかが、「車って便利そう」 とか思ってしまうじゃないですか。

 

でも、自分が大学生になって運転すると住宅街とかどこでも路上駐車禁止の標識があり、駐車場を探すだけでも大変だったり、乗っていると週1の洗車では足りないので洗車するというのも最初は慣れるまでに時間がかかった。

 

大学に行くと雨に遭い、汚れるとかもあるわけで、途中で友達が「今日ちょっとあのコイン洗車場で洗車したいので付き合って」とか言われた時に晴れた日の午後に高圧洗浄機で洗浄し拭き上げるとWAXをかけるとか手伝いと暑い。

 

肉体労働者のような感じ。

 

車の運転をするまでは、もっと楽しいイメージだったのに、いざ乗るようになるとしんどいものもあったりする。

 

その1つに土地勘のない、知らない道を走ると疲れるとかがあり、頭を使わないと凄い渋滞にハマったりするとかもあったりした。

 

地図の見方とかも自動車学校で教えていなかったと思うのに、彼女があそこに行きたいとか言えば、自分で頭を使ってどういう道を走るとか組み立てないといけない。

 

街中とかって車の速度計が40km/hとかになって走っていても平均移動速度は20km/hとかなので、1時間に20kmしか進めないとかがある。

 

高速道路だと信号機のない一方通行道路となるので速度計が100km/hとかだと1時間で100km進めるとかある。

 

後は知らない田舎道だと急に小学生1年生が飛び出すとかもあるので一瞬で急ブレーキも踏まないと事故になるとかもある。

 

「目的地に着けば良い」 というものでもない。

 

彼女とかガールフレンドが、「あそこのテーマパークで遊ぼうよ」 みたいなものだとそのデートがどうすればうまくいくとか、彼女が楽しかったと言うのかというものも考えないといけない。

 

例えば、運転しない免許も持っていない彼女でも、「彼氏が運転中もたつく」 とか、「彼氏が運転中上手くいかないとおじいちゃんみたいにグズグズ独り言を言う」 とかあれば、あまり一緒に遠出したくなくなると思う。

 

私三之橋の場合は、平日大学に一緒に行く男友達が運転してハンドルを握ると、おじいちゃんみたいに独り言を言う感じで、渋滞にでもハマると嘆く、みたいなちょっと助手席で見ていると会話でも気を使う感じがあった。

 

2つ以上の事を同時にやるのが苦手に見えるので、気を使う感じがあった。

 

たぶんそれで私三之橋の場合は、自分が運転するとグズグズ言うというのがないのだと思う。

 

反面教師みたいなものなのかもしれない。

 

アメリカ映画でも観ていると、「俺は自分の事を嘆くような奴が1番嫌いでね」 と言う台詞とかがあって、酒浸りの主人公がそう言われるとかあるじゃないですか。

 

映画の影響なのかもしれませんが、彼女とかガールフレンドが、「あの秘境にあるという温泉に行ったという友達がいて、教えてもらったところに行きたい」 という所に向かって走っていて遭難したっぽいという時でも意外とグズグズ言ったりしない感じがある。

 

よく言われることわざのようなものに、一緒にいる友達が優れていると残念な方はそれに頼るので実際は損しかしないと。

 

例えば、身体障害者の弟とか妹がいるとお兄ちゃんの方はその子の分まで頑張らないといけないので脳が急激に発達すると言われているとかあるじゃないですか。

 

自分が運転免許証を取得したばかりの大学1年生の18歳という運転1年生の初心者マークを貼った時に、大学に同じ運転する男友達と一緒だとどこか安心できるものがあるわけで、週末に車の運転の免許もないし運転もしないし、遠慮もしないという彼女とかガールフレンドを乗せて県外とかに遠出すると負荷のかかり方というのが極端に増えるので、理論上は急激に脳が発達するような成長をすると考えられるじゃないですか。

 

世の中には、彼氏の事を考え、その視点でこういう彼女が良いと思われるかな? みたいに考えるとかしている女性もいる。

 

例えば、「先週もあそこに遠出したので、彼氏はそのガソリン代とか高速代も出しているので、今週は近場にしよう」 とか金目の問題を考えるという女性もいる。

 

でも、そういう感じでないと、ノーテンキな人みたいな感じだと、自分がしっかりしないと遭難するとかそういう感じになるじゃないですか。

 

例えば、私三之橋の場合は、高校生時代にはスーパー特待生の子が友達でいつも一緒だった。

 

「こいつ天才じゃないか」 みたいな子と一緒だと、「今度の授業では選択なのであっちにしてまた一緒にしようぜ」 と言われれば、天才なだけに、「わかった」 と言えば済んだ。

 

テレビの歌番組に出てくるアイドルグループがいて、熱唱する人の隣でギターでも持ってそれっぽい人を演じるだけの人がいると思う。

 

そういう楽な人世をやっていたという、楽をしてしただけな根がグ~たらな人だったと大学生になった時に気づいてしまった。

 

飲み会で飲みすぎて駅とかでふと目覚めた時に会社から支給されたノートPCが紛失したとかりする人がいるじゃないですか。

 

友達と別れた時に、まるで飲み会でどこかに魔法の杖を忘れてしまい、一気に何もできなくなってしまったかのような自分がいた。

 

理論上でいえば、それまでの立ち位置を反転させてしまえば良いと思うので、車の運転でもその辺は意識しただけかなあ~ と思う。

 

どうせ車の運転の練習をしないといけないのであれば、反転させても良いのではないか?

 

車を運転する練習で、口の良い、グズグズ言わないような友達を選ぶ人もいるでしょうし、彼女とかでも自分から見て都合の良いできた女性を選ぶ人もいると思う。

 

私三之橋の場合は、大学生になった18歳でアローンスタートになり、1人ボッチになってしまった時に、少しだけ普段考えない人生について考えた。

 

なぜか?

 

と訊かれれば、子供時代のサバイバル訓練でも何も考えずに行動し遭難する人とかいるじゃないですか。

 

これからどう進むのか? という方向性とかは考えないといけない。

 

厭らしい話になるかと思うのですが、大学の入学式で国産高級車の新車に乗ってきていた事が、「俺は勝ち組で高校生時代にアルバイトで稼いだ300万円であの新車を買ったので、それが3,000万円とかになって返ってくるんだ~」 みたいな事を言っていた。

 

強欲と思われるかもしれませんが、「あの人の10倍やっておけば3億円か」 と思ってしまった。

 

そもそも大学に入るのに受験勉強しない推薦の付くような人の頭の中というのは、ぶっ飛んだ感覚だったりすると思うのですが、それが自分に取ってできそうか? とか難易度はイチイチ考えない。

 

なぜ、その子なのか?

 

と訊かれれば、大学生になって現場で話してみた時に、1番具体的に自分の事をわかりやすく説明していたので、18年生きてきた直感のようなもので、1番夢に近づいている人かなあ~ と判断した感じ。

 

他の子とも話したり、その子の住む下宿とかアパートとか、賃貸のワンルームマンションに行って話しもしたりした中で、どこか誰かに言われたので俺は車を買って持っているみたいな人がほとんどだった。

 

理由の1つに土地勘もないところで人生初の1人暮らしをした時に、他にもやる事があるわけで、道も知らないとどこに車で行くという問題があった。

 

多くの大学生は土地勘がないという理由で大学に斡旋してもらったアパートなど大学そばに住んでいるので、そういう問題に直面する。

 

でも、高級車の新車に乗っている子は、「俺は毎日の通学で離れたところから車で通う」 と言っていた。

 

同じクラスの子にまずヒアリング調査をした時に、みんな普通車サイズの中古車とかに乗っていた。

 

「軽自動車やコンパクトカーに乗れば自動学校で使った教習車よりダウンサイジングするので運転はしやすくなるので、それだと自分できちんと運転できないのに、”運転が上手いような錯覚をする” じゃないか。 それだと意味がないよね~」 と言っていた。

 

受験勉強をやって浪人もせずにストレートで大学生になれる人というのは、バカでもなかったりする。

 

そのような人達が口にしていたのは、車の運転というのはその人自身は一生けん命運転していて、自分では何も問題がないという風に見えて、実際は後ろの車の人から見て、おかしな運転になっているのに気づかないという問題であった。

 

小学生の頃に体育の時間に先生がみんなの前に立ち、「それでは先生が体操するのを見て、見よう見真似でみんなも体操してね~」 と言ったりする。

 

自分よりも前にいる子がみんなとズレているとかを見て、笑いが止まらないとか経験するじゃないですか。

 

”空間認識機能” が低いと、自分では周りの子と同じように行動しているつもりで、実際はズレているような人がいる。

 

「先生の体操を見て、真似てね」 というのは小学生でも簡単にできる子が多いと思う。

 

でも、「公道に存在している周りの運転がきちんとできる人と同じようにきちんと運転してね」 と言われた場合、見本がよくわからない複数とかになるので、さすがに真似るのは難しいと考える。

 

自動車学校に通い普通自動車運転免許証を取得し、ローンで中古の普通車サイズの車を1人で空いた時間に公道に出て見て、運転し変な癖が着く。

 

その後で大学で知り合った子を乗せてバス停とか駅まで送るとかをした時に、送ってもらった側の子が、「あの子は運転下手くそみたいなので、事故でも遭うと面倒だし乗らない方がマシか」 と判断し、乗らなくなっていく。

 

男友達同士という、友達関係が成立してあれば、「おい三之橋、お前の運転酷いぞ」 と口に出して言う事はある。

 

でも、そこまでの仲でない知人というような感じだとわざわざ口に出して言ってしまい、相手を怒らせるとの結果を招くと大学で同じ講義を受けるのに顔を合わせづらくなるだけと判断して言わない子は少なくないと思う。

 

そういうものがあるので、バディ・システムを組むという、同じ免許を取ったばかりの運転1年生同士が今日は俺の車で俺が運転して大学に行って帰る。 明日は友達の車を友達が運転し大学に行って帰るという風にしたりしている。

 

自分が運転していると不慣れさから、いっぱいいっぱいとか、テンパっていてとか、気づかないような事がある。

 

でも、さすがに助手席で横に座って、運転席で男友達が運転するのを横で見ていれば、酷いと余程鈍くない人であれば気づいてしまうじゃないですか。

 

『車の運転が上手い人と、下手くそな人との違いはどこから差が着くのか?』

 

と訊かれたら、習慣性、友達がいる人とそうでない人の違いだけではないか。

 

自分が、「あっ、俺はこの車1台しか通れない狭い路地で曲がるとかちょっとできていない人だなあ~」 と友達や彼女とかをアパートとかマンションに送り迎えすると気づくじゃないですか?

 

例えば、男性がガールフレンドとどこかドライブでもした場合に、夜遅くなった深夜とかに女性を駅まで送って降ろすとかして、その子が家に帰る間に痴漢とか強盗にでも遭うと面倒な事になるので、面倒くさくても送って行くとかあるじゃないですか。

 

自分の家から渋滞して片道1時間くらいの離れた場所だと送り迎えするだけで2時間という時間や無駄なガソリンを使う。

 

大学で友達に、「今日は俺のマンションに来いよ」 とか言われると車を置く場所も考えないといけない。

 

今の時代だとデカい賃貸マンションに来客用コインパーキングがある物件とかありますが、昔はそういうのも少なかったので、下宿をやっているおばさんに車を置かせてとか相談しないといけないとかあった。

 

わずか初心者マークを貼った1年間だけでも、相当な場数の差が生まれると思う。

 

自分がワンルームマンションに住んでいて、そこに住人用の月極駐車場がある場合、日曜日に、「今日はバイトもないので、前から行きたかったあのショッピングセンターに買いものに行くか」 みたいになって、自分の走りたい道路を選定して訓練というか、運転の練習ができるじゃないですか。

 

でも、友達がいれば、「悪いけど、今日はバイト先まで送ってほしい」 とか、そもそもその友達のアルバイトしているお店とか行かないわけで、どう走るとかという道もわからないのに送るとか迎えに行くとか無駄が発生する。

 

自分1人だけで車の練習をする場合、「俺はまだ初心者だし、住宅街の狭い路地は苦手なので走らないでおくか」 という選択肢がある。

 

でも、友達が、「バイト先に行くのにこの住宅街の狭い路地を一気に走りぬける方が時短で」 とか言うわけで道も選べないじゃないですか。

 

「ちょっとあの駅前で降ろしてほしい」 とか言われ、デカい駅前の混んだところで降ろす。

 

「ちょっと実家に帰るので、空港まで行って」 とか言われ、「タクシーじぇねぇ~よ~」 とか思う事ってあるじゃないですか。

 

コンサート会場とか混みすぎて泣きそうな気がするとか、あるじゃないですか。

 

病院に送り迎えしてとか言われた時に、結婚したら子供でもこういう風に病院に連れて行くのだろうかとか考えるじゃないですか。

 

たぶん車の運転はそういう風に誰かに無茶ぶりされるような人だと、やるしかない、という事でやる事になるわけで、「俺はまだ免許取ったばかりの初心者なので」 みたいな言い訳ができないと、実践するという数の多さから上手くなると思うのです。

 

後は車の運転というのは大学の通学で今日走った道路の環境と明日は違うという予測できない事で空気を読みまくらないとスムーズに走れない。

 

今日走って余裕に見えて、明日同じ道路を違う時間帯に走ると渋滞の仕方とかが違っているとかある。

 

大学を卒業してどこかの上場企業に運よく入社できた会社員1年生になった時に、「これは三之橋さんの社有車のキーなので好き勝手自由に乗ってね」 とキーを渡す事はまずない。

 

社有車でも運転させて事故は所有者・使用者に連帯責任が及ぶので上司が仕事に同行させる時に、自分の車を運転させて、「道が俺が教えるので言う通りに走らせて」 とか言われる。

 

ある企業では、「そこ首都高に入って」 と言ったら、合流する際に「ぶつかる、怖い」 と急ブレーキをかけてしまった。

 

「〇〇君、こんなところで止まってしまったら、この先どうやって本線の合流できるかな? とかを考えずにブレーキを踏んじゃったの?」 と上司が血管が浮くような顔で言ったらしい。

 

都内の1流大学卒だったので、「運転できるよね?」 と最初に訊いた時に、「はい」 と言われ、まさか首都高で車が多いとかで走れないとか上司も想像できなかったそうです。

 

都内だとよく首都高は怖くて、誰かの運転する車に乗った時に見てしまい、「私は首都高とか無理です」 と言う人は珍しくもない。

 

でも、友達がいたという人だとそういう事が起こらない感じで、上司が雪が降りまくりの道路で一緒に出掛けるので運転して、と言えばやるしかないわけで、意外と出来たりする。

 

そういう結果というか、差が出る感じだと思うのです。

 

今の時代は、カーナビとかスマホとかがあるので、それで錯視とか思い込みが起きやすいと思う。

 

例えば、「ねえ、今度の日曜日はあそこにできたテーマパークに行こうよ」 と彼女やガールフレンドが言う。

 

正直行きたくない。

 

普段から朝から晩まで暇なので日曜日くらいは昼過ぎまで寝て、テレビでも観ていたい。

 

後は土地勘のない道も知らない道路を走ると疲れるじゃないですか。

 

地図本を出して、チャチャっと自分で走るドライブルートプランを組み立てないといけない。

 

車を運転していて、いつも計算通りに行くという事でもない。

 

目的地のある高速インターを降りると渋滞に巻き込まれるとかはざらにある。

 

その長い渋滞路の運転席で、「ねえねえ、あそこで県外ナンバーの地元じゃない人達がみんな右折しているので、地元の人しか知らないような裏道じゃないかな?」 とか助手席の彼女に相談したりして、「行ってみようか」 となる。

 

そういう推察みたいなものがないといつまで経っても目的地に着かないというのがある。

 

今の時代カーナビに目的地をセットして走ると最初の目的地到着予定時間がズレだしていくじゃないですか。

 

あんな感じで平均移動速度とかも予測できないものがあり、「彼女があそこに行きたいと言って、今までの経験値から判断するとこのくらいの時間に着くと思うので、あの辺でランチにするか」 みたいに経験値がモノを言う世界だったりする。

 

想像してみてください。

 

男性が大学生になり、アローンスタートで土地勘のない場所で1人ボッチみたいになり、アルバイト先で女性と知り合い、特別カワイイ子とかでない普通の子に、「ねえ、今度あそこに行ってみない?」 と誘われたとします。

 

そんな場合、私三之橋の場合だと車の運転が不慣れで、みたいな理由を考えずにとりあえず自分の車を運転して行くかなあ~ と思う。

 

それはその子に気に入られたいという積極的な理由ではなくて、「職場で気まずくなるのは嫌かな」 みたいな消極的な理由でそう思ったりする。

 

後は、”チャンスかな” とか思う。

 

その女性と付き合い彼女になって欲しいとかでなくて、22歳とかで会社員になってからやろうとか、30歳になって挑戦しようとか考えてもそれでは遅いと思う。

 

18歳という脳がまだ若い年齢であれば、不慣れな事でも慣れるのは早いと思うので、誰かと知り合い誘われたというタイミングが重要だと考える。

 

でも、そのアルバイト先の女性と一緒にどこかに車で出かけるというのも、”両刃の剣” だと思う。

 

それは、いくら車の運転免許を取得ばかりの初心者であったとしても、デートみたいに一緒に出掛けて、それがその女性の期待したものを下回れば、「三之橋さんってもっと器用な人に見えたのに、一緒に出掛けてしまってつまらなかった」 みたいに残念な人に思われれば、結局アルバイトに行った時に気まずさは出ると思う。

 

そんな感じになると思うので、結局自分が終始ずっとそれがどうやれば上手くいくのか? を1日朝から晩まで考え続けることになり、「これが俺のベストエフォートです」 みたいに頑張るしかない。

 

良く言うじゃないですか。 ”考えるというのも、2つの考えるがあり、1つは諦める理由を考える人と、どうすればそれがうまくいくのかを考える人がいる” と。

 

ただ、「失敗するとカッコ悪いので」 という風に考えれば、それは最初から行かなければ失敗もなければ成功もない。

 

でも、、「成功もない人生はどうかなあ~ と思うのでとりあえずやってみて、それで失敗もしないようにするか」 みたいな感じでやる。

 

ひたすらそんな感じで挑戦し、どうすればうまくいくのかを考え続けると、それは何もやらなかった1度も失敗もしなかった人と比べると、場数では凄い差が出てくると思う。

 

結局そのように、どうすればうまくいくのだろうか? みたいなものを考え続けるような事をやっていた人というのは、大学を卒業して、新社会人となり会社員1年生となった時に、潮目の変わった環境でも、どうすればうまくいくのだろうか? みたいに考えると思うので結果が良くなるだけではないだろうか。

 

『あくまでも私三之橋の場合はこういう感じだった』

 

というお話ですので、すべての人にそれが当てはまるとも言えないとは思う。

 

ひょっとしたら、車の運転がまったくできないというか、運転しないけれど俯瞰視でものを見るとかが上手い人がいたり、車の運転とかにまったく興味もない感じで会社に入社したら仕事が凄くできる人がいたりするのかもしれない。

 

私三之橋の場合は、大学生時代に、「俺は車の運転がどうしても苦手で」 みたいな人とか見た事がない気がする。

 

大学を卒業して新社会人デビューして、会社員1年生になった時に、同期入社で一緒にその会社に入ったという人の中に、「俺は運転だけはどうしても苦手で」 なんて人もたぶん見た事がない。

 

たまたまそういう人生だっただけなのかもしれない。

 

ただ、凄そうな国立大を卒業しどこかの上場企業に入社できたという人で上手く馴染めないような仕事ももらえないとか悩んでいるような人がいて、相談された時に、車の運転も大学生時代にきちんとやっていない事で、自分がどういう立ち位置なのかをきちんと見えていないように見える人がほとんどだったと思うのでそう書いているだけなのです。

 

人は大学を卒業してどこかの会社に入社して会社員1年生になると、そこで、「俺はあの凄い難関大学を出ている」 みたいな社員を見たりするし、その人から見て格下となる大学を出ている人がその凄そうな人よりも出征するとかも見たりする。

 

難関大学を出たという人が社会人になって躓いた感じを見た時に、翌年にその人が何か自分で調整しているとかは見た事がない気がする。

 

「それはなぜか?」 と訊かれても本人ではないので想像みたいなものになるのですが、会社の中でみんなとうまくやるとか、ラインに乗っかるとかというのは、俗に言う、”目には見えないような非認知能力” だからではないでしょうか。

 

一般的には幼稚園生になった頃に家から通い出して、そこで知り合った同じ年齢の男友達と遊んだりする。

 

その子の家に行き遊んだり、その子のお兄ちゃんとか妹がいたり、その子のお母さんと何かを話したりする。

 

男の子だったら、同じ男友達の子の家に行き、お母さんと話しをするとか、何か訊かれるとかあるじゃないですか。

 

子供は感受性が高いので、その家のお母さんにちょっと嫌われているとか、何かを感じるとかあるじゃないですか。

 

小学生1年生になった場合、そこで同じクラスになった子と遊ぶようになり、1年間とか2年間とかずっと遊んだりしてその関係がクラス替えとかまで続いたりして、新しい学年になり新しいクラスになったらそこで、それまでの成功体験のようなものを引きずる感じでまた誰かと友達になるじゃないですか。

 

たぶんその成功体験のようなものから成り立っていると思うので、誰かと知り合い仲良くなるという面では、ワンデー彼氏募集に応募してみるとかのような、まったく何の人間関係もない女性と知り合ってそのままドライブに行くとかで1日会話が持つのか? みたいな成功体験を積み重ねるようなものが重要ではないかと思う。

 

ただ1日だけの彼氏を演じるという部分では、特にこれといって人間関係もない人、女性という異性とかと仲良くなる練習みたいなものだと思うので、それとは別に1度仲良くなった男友達と大学生時代に顔を合わせ続けるという、関係が持続するという成功体験も必要だと思う。

 

世の中にはいろいろな人がいて、男性でも、「良く知らない男性や女性と仲良くなるのは早いけれど、知り合った人がその人の嫌な面を見て離れるのも早いという事もある。

 

それとは真逆で、なかなか新しい人間関係を構築するのは苦手という男性がいて、でも、1度仲良くなるとその関係が何十年も続くような深い付き合いが得意という人もいたりする。

 

仕事で知り合うという、1つの会社で働く仲間みたいなものは学生時代とは違って、仕事のやり方とかを見て付き合うみたいな仕事を中心とするような感じがあると思う。

 

学生時代にイケメンでモテたという人でも、会社員となったらそれだけでOL姉さんに仲良くしてもらえるとは言えない。

 

学生次代だと、「三之橋君てカッコいい」 みたいなものかもしれない。

 

でも、会社員だとその会社で上司に信頼されている1人前に見えるとか、半チャンみたいな半人前に見えるとか、何かで区別される感じだろうか。

 

何か学生の頃とは違う感じ。

 

学生時代は、自分と同じ年齢の人と一緒という感じで、会社員になれば年齢層の幅とか一気に変わるので、学生時代にリーダーだった人が必ずしも会社でリーダーに向いているというわけでもない。

 

学生時代に同級生からの評価が高かった人が、会社ではそうではないという事もある。

 

最初に躓くと、そこから修正するというのは困難だと思うので、大学生時代がラストチャンスみたいな感じでやるしかない。

 

車の運転は、車を安全に目的地に向かって走らせるという他に、同乗者と会話したり、自分でチャチャッと組み立てたドライブルートの進捗具合を管理したり、2つの錠の事を同時にできないとダメだったりするので、1番わかりやすいのではないかと思う。

 

自動車学校で教官が教えてくれるのは、車を運転するという最低限の事くらいで、後は卒業した後に各自が実践で覚えていくしかない世界なので、当然運転が上手くなったという人もいれば、そうでない人もいる世界。

 

私三之橋の場合は、根がグ~たらな人だと自分で思うので、1人で運転の練習をしようとは思わないタイプなので、大学に友達と一緒に行くとか、プランニングで予定とか相手がいるので休めないとか、そういうスキーム(仕組み) でやっていた。

 

ことわざのようなものに、「どんな人でも1年とか2年なら頑張れる」 というのがあるように、1つの事をずっとやるというのは、モチベーションをどう保つのか? みたいなスキルがないと長続きしない。

 

車の運転が苦手な人は、「いつものスーパーへの買いもの」 みたいな、自分のテリトリーの中だけちょっと短い距離だけを運転したりする。

 

例えるならば、「それって高齢者のおじいさんとかおばあさんみたいなパターンじゃないの?」 みたいな安全というか、安心できる範囲内で運転している。

 

そういう部分だけでは仕事に使えない。

 

自分でどういうドライブルートを走り、渋滞Hどうで、到着したらどう仕事をするのか、そんな感じでいろいろなものを組み合わせて、合理的にやらないと仕事が終わらない。

 

学生の時は、「明日から中間テストなので部屋で勉強する」 と家族にでも言えば、それだけに集中できるじゃないですか。

 

でも会社員になれば、自分の仕事をノートPCで作成しながら、同時にかかってきた電話にも出ないといけないとか、いろいろなことを同時にやり、それで1カ月の月末が来た時にすべて終わるみたいな目標完全遂行能力がないとダメだったりする。

 

そういうのに向いていない人もいて、それって大学生時代に車の運転でもすれば気づきそうじゃないですか。

 

大学生から見て、自分のその後野人生というのは見えないと思う。

 

私三之橋のいつも大学に一緒に車で通う男友達が、会社経営者の子供で、頭は賢い人だった。

 

お金はジャブジャブ持っている家に生まれ、普通車サイズの中古車を買い、アルバイトをしながら返済も、AT車を買って乗っていた。

 

私三之橋がクラスの子にヒアリング長をしてその過程で、「車の運転の上達になるコツは、①自動車学校で使った姜数社と同じサイズを変えない事。 ②新車を買えば大学生時代に故障しないのでメンテナンスが覚えられないし自動車保険が高くなるので中古を買う事。 ③意外とこれは気づかない人がいるけれどATではなくMT車であること」 と地元の子が先輩から聞いた話を教えてもらったのに、AT車を買っていた。

 

片側1車線道路を走っている時に、左側に自転車で走っている人やバイクで走っている人がいると、それを横から抜く時とかに苦手な感じだった。

 

よく勘違いされる人が多いのですが、自分が軽自動車など車幅の小さな車だとそういう風にはならないで済む。

 

訊かれたりするから、私三之橋の場合は、大学生になった時に入学式からもうみんながやっていたので真似ただけと書いてある。

 

真似るだけで結果は出ないと思うので、①基本ドリル、②応用ドリル、③超応用ドリル、みたいな複雑なトレーニングをしている。

 

自動車学校で鬼教官を指名し、怒鳴られまくる。

 

普通の人は、怒鳴られるというのは避けたいと考えると思う。

 

でも、最初に運転してそこで、「お前はここがダメなんだよ」 と怒鳴られれば、少なくともその言われた事は忘れない感じで記憶するので、一生運転が残念って事はないかな? と考える。

 

最初に不慣れさから誰でも失敗するとかあると思うのですが、その上手くいかない感覚とかを忘れないように努力はしているじゃないですか。

 

才能とかはない。

 

何かを上達する人とそうでない人との差は、自覚できるかどうかの差だったりすると思うので、自動車学区に通いそこで優しそうな教官を選んで、「三之橋さんは運転上手いね、才能あるんじゃない?」 みたいにおだてられるというやり方だとダメだと考えたりする。

 

自分で根がグ~たらな人だと思うので、自分1人で運転の練習をしないと思うので、大学に一緒に行こうと誘われた時でも「OK]]  みたいにバディ・システムを組んでいる。

 

「ねえ、今度の日曜日に新しくできたテーマパークの〇〇〇〇〇に行こうよ」 と彼女とかガールフレンドに誘われた時でも、行くたくはないなと思うのに、基本それも、「OK」 と言って運転している。

 

その2つだけでも同じ大学生の中でも走る距離数とかはトップレベルという感じ。

 

ガソリン代や高速代とか、普通の大学生だと支払えない気もする。

 

金目の問題以外にそのくらい走ると疲れるとかもあるわけで、その状態で大学の講義に出るとかもしんどい。

 

努力って、人並みにやると報われないだけとなるので場数とかの差では極端に数が違っている。

 

土地勘のない県外の秘境の音声を目指し遭難しただけという時に泣きたい感じなのに泣いてはいなくて、自分で抜けだしている感じ。

 

 

 

大学を卒業し、どこかの会社に入って働き、その後お父さんの会社に入って重役となっていた。

 

「俺は絶対に親の世話になんかならないぜ」 みたいにいきがっていたのに・・・

 

一方、私三之橋は真逆でした。

 

ある日大学に向かう運転していた時に道路に白バイが何台も出てサイレン鳴らし道路封鎖をされてしまった。

 

警察署長のところに連れて行かれる時に、白バイだけでも10台とかあった。

 

道路の制限速度のざっと3倍で走っているので逮捕しても良いんだぞ、と警察署長に言われている。

 

運転免許証を差し出し、身柄を確保されたという感じで犯歴照会をされる。

 

戻ってきた部下の人が、「こいつ何も出ないそうです。 それどころか関わらない方が良いみたいですよ」 と署長にささやいていた。

 

友達は、高校生時代に中型バイクとかに乗っていて、でも大学生になって車に乗り換えると操作法網も変わるし、サイズがデカくなるので順応できない人がいる。

 

その典型的な感じであったのに対し、私三之橋は変幻自在にドリフトするとかそんな真逆だった。

 

大学を卒業し会社員となったら歓迎された感じでそこも真逆。

 

一説によると商売人のお父さんとかはわが子が就職できないとかそういうのを見たらショックを受けるといわれている。

 

例えば、昨年長野の市議会議員議長の息子さんが監禁して皆殺しで猟銃を打った殺人事件とかあったじゃないですか。

 

自分の子供が大人になり、どこかの会社で一人前みたいになっていないと親はショックを受け、「俺の育て方が悪かったのか」 となる。

 

でも、私三之橋は意外に見えるかもしれませんが、「お父さん、助けて」 とか言った事がない。

 

高校生時代に頭のおかしな人に目を着けられ、無実の罪を着せ学校を辞めさせて首でも吊らせようという事件があり、その被害者という時でも、「お父さん、助けて」 と言っていない。

 

自分で何とかする。 という事ができたりしている。

 

そこが重要でお父さんがいないと何もできない人は存在している。

 

会社で働いた時に、どこかの凄そうな大学を卒業した人がいて、「俺は上司に気に入られない事で出席できない」 と感じ、会社員の世界を諦めるケースもある。

 

そういう人が自分で修正できるチャンスはないのか? と訊いたりするので私三之橋は、大学生時代に入学氏の日からみんなが車の運転とかやっていたと書いているだけ。

 

ただ、真似るだけではダメだと思うので創意工夫はしている。

 

例えば、私さんん端の場合は、自動車学校に行く場合でもわざわざそこで1番の鬼教官を指名して怒鳴られまくりの日々でした。

 

『なぜわざわざそんな事をしたのですか?』

 

と訊かれれば、自動車学校で教官が隣に乗っていればできたという事でも、卒業して1人になった時にできないとかってあると思うのです。

 

それまで隣に教官が乗っていれば、安心して運転ができ、自分が見落としができなくても、指摘くれるじゃないですか。

 

でも、その人ができなくても指摘されれば、そこをミスったとわかるじゃないですか。

 

いなくなり、1人で運転するのがいっぱいいっぱいだとミスしても気づかないで変な癖になるのかもしれない。

 

最初に自分でどこがダメなのか? を洗い出しするというのは技術的に難易度が高いので、あえて最初に怒鳴られて、嫌な感じで記憶してその指摘された部分をきちんとできるようにすれば、ぱっと見それは誰かを乗せても下手くそには見えないで済むと思うのです。

 

でも、普通の人はそうしないと思う。 不慣れなスタート時にあれこれダメ出しされると凹んでしまい、運転に自信を持てないようになると考え、うそでも良いので優しそうな教官に、「三之橋さん、運転はほんとに初めてですか、上手いですよ」 と褒めて欲しがる。

 

結果にコミットしたものではなくて、感情論を優先するのでそうなり、結果、運転はそれほど上達しないと思う。

 

私三之橋の場合は、人間行動分析というものなどで評価され推薦とかで大学生になっている。

 

そういう人というのは、入学式で車の運転をきちんとできればその後野人生は好転すると言われ、みんながやっていれば、クラスの子にヒアリング調査したりして、どういう車に乗っているとか、どういう練習をしているとかを訊いて廻る。

 

その人の運転する車に乗せてもらうとか、その人の住むアパートに行くとか、、そこで得たものからパターン分析してどういう練習方法が良いのか? を考えるのです。

 

特別そういった人間行動分析をやっていないという普通の人と、そのスペシャリストみたいな人とでは、組み立てる練習方法とが違ってくると思うのです。

 

「こういう練習をすれば伸びしろの上限まで最短で到達するのでは?」 みたいに考えるとその練習をして、検証しないと意味がない机上の人となるので公道でハイスピードでぶっ飛ばし、警察署長の所に連れて行かれたりする。

 

車でドリフトしているのを見て憧れた若い男性が1回真似て失敗し小学生の下校の列に突っ込み、死亡した事故でただの人殺しになったニュースとかあるじゃないですか。

 

理論を学んでも、それが現実にできるとは限らない。

 

三の橋という人はちょっと人間行動分析とか凄いみたいなので入学させちゃいますか~ となる。

 

でも、そういう人は最後に就職活動でもやった時に結果が期待外れだと、「残念なヤツだったね」 で終わる。

 

就職活動でも自分で内定を勝ち取り、卒業して会社員となった時でも三段跳びで階段を上がる小学生のガキのように突っ走らないといけない。

 

ごく普通に平々凡々と生きていて、受験勉強でも自分でやって試験に合格した場合というのはそういうプレッシャーみたいなものはもっと薄いと思う。

 

証明できないと、『アイツ嘘つきじゃ~ん』 みたいな散々な貶され方になるのかと思う。

 

たぶんその辺の自覚というのは普通の人とは違っているかなあ~ と思ったりする。

 

私三之橋の場合は、小学生の頃とかに商売人の子供とかが多く通うような塾に通っていました。

 

そこでは経営者の塾長が、脳の加齢の問題とかをチビッ子に言っていた。

 

例えば、18歳の高校を卒業し働いている子とかに、「脳が年を取るとどんどん脳細胞が死んでいくので若いうちからその辺を考えないと将来路頭に迷う人生になるぞ」 と言う。

 

でも、18歳の子の友だちは18歳だったりして、高校生の頃にバカちんだった人でもその年齢だと仕事にありつけるわけで、路頭に迷っている人が身近にいないので言われてもそれがわからないじゃないですか。

 

でも、10年後とか結婚とかのきっかけで転職すると仕事を覚えられないとかに陥っている事がある。

 

いつもドイツ製の高級車に乗っていた塾長にドライブに連れて行かれ、「さあ、三之橋今日は買いものテストだ」 と言ってメモにカレーライスと書いて材料を書いて〇〇人分とか書いて渡される。

 

スーパーのお客様駐車場で、「行ってきます~」 と挨拶してから、『塾長はルール説明で誰かン手伝ってもらってはいけないと言わなかったのでここは援軍を継がってしのぐか~』 と考えながらあ店内に入って行く。

 

お肉売り場でマダムみたいな人を探して、「すみません~、お母さん、カレーにはカレーにちょうぢ良いお肉ってあるじゃないですか? そのちょうど良いお肉ってわかりますか」 と声掛けする。

 

そんな感じでメモを見せて、お買い物を手伝ってもらい、お礼を言って別れ、いかにも1人で買いものして来ました~ って感じで塾長の高級車に戻る。

 

メモとか見せると、「達筆な字で書いてありますね」 と褒められる感じがあるので、たぶん人に見せる事を意識して見せられた人が変な人ではないと直感するのだと思う。

 

自宅にご主人の部下でも連れて来て、料理を振る舞うような事をやっていそうな人だとそのメモを見てちょうど良い買い物ができるのではないかと推測する。

 

塾長がお題を出して、その目標をどうすればうまくできるのかを自分で考えないとその日の夕食時とかで、「今日は三之橋に食材を買い物に行かせたら買いもの1つまともにできない奴なのでこんな料理になってしまったじゃね~か」 とみんなの前でバカにされる。

 

さらし者にする、みたいなものってたぶんその人が自分ではそのようにできないという自覚がない事でそういう失敗をしていると考えられるので、その事がわかるように教えてあげているのだと思う。

 

お金を渡され、とりあえず1番上等なお肉でも買って行くか~ みたいにやれば、それは経済感覚のないバカとか言われる。

 

買いものに掛かった時間が遅いと状況判断能力が悪い事が原因で、その行動の遅さがいつか致命傷になる。

 

塾長のやるテストは、基本1人ではできないようなものが多いので、誰かに助けてもらうという援軍をその場で自分で調達できないと合格ラインには到達しないので、対人スキルがないと連続不合格にしかならない。

 

小学生は暇じゃないので普段スーパーで夕食の材料とか買ったりしないじゃないですか。

 

塾長は大人気の塾を経営しお金にはどう見ても困っていないので、小学生の視点では1番高い食材のお肉でも買えば合格になりそうな気がする。

 

でもそうではない。 カレーライスを食べた時に、「このお肉はちょうど良い」 と夫婦で言ったりするのでその記憶から好みを考える。

 

塾長に連れて行かれた初めて入ったスーパーで、いかにもその店で普段から買い物をしていて、かつご主人が家に部下でも連れてきて、料理を振る舞うというマダム、みたいな人だと、「あのお肉を使ってみてちょっと硬かった」 とかを感じているのではないかと推察する。

 

料理というのはたぶん自分の家族にだけ作るという主婦だと自分の思うがままに作れると思うのですが、ご主人の部下だと上手くできないとご主人に恥をかかせることになると思うので毎回おひとり様反省会をしていると考えられる。

 

成長する伸びしろとして、いつも同じ家族に適当に料理を作る人と、ご主人が家に部下を連れてくるんで作るという人では、相手の、”誰に” という部分が違っていると思うので、当然伸びしろもそういう人の方が高い気がする。

 

塾長がお買い物テストをすると言って、メモにカレーライスとか材料とか〇〇人前とか書いてあると、普通の家庭は4人家族だったりして人数も多いとかの普段やっていない人が多いとも考えられる。

 

つまり援軍を呼ぶというシュチュエーションで、誰でも良いというわけではないと思う。

 

そんな感じでも苦行完遂能力みたいなものがないと、当然、「おい三之橋、何やっているんだ」 と叱られる。

 

私三之橋の場合は、『おい三之橋、この買いものはお前がほんとにやったのか? おかしいなあ~、お前にこういう買いものができるなんて信じられないぞ~』 と塾長に言われ、「何でですか。 僕は普段からお母さんの手伝いでいつもスーパーとか行っていますよ~」 と言い返す感じ。

 

塾長ってぱっと見はどう見てもおじいちゃんなのですが、頭の聡明さみたいなものはどこかの1流企業の40代部長みたいな感じで記憶力とか判断力はずばぬけていた。

 

後は、『人間には法則があると思う』 とか口癖のように言っていた。

 

たぶんそんなチビッ子時代の環境で育ったので、大学の入学式で国産高級車の新車に乗っていた子と出会い、みんなが車運転がきちんとできるようになれば会社員になった時に成功間違いなしみたいに言ってやっていたのを見た時に、練習方法とかを訊いたり、乗せてもらって結果を見たりした。

 

ロールモデルとして参考になる人もいれば、そうでない人もいると思うので、公立を考えて自分専用のオリジナルの練習メニューを考えたりするのだと思うのです。

 

厭らしい話になると思いますが、小学生のチビッ子時代に大人気の塾長がいて、お金に困らない感じで、ドイツ社の高級輸入外車に乗っていて、合理的な造りが良いと言って、なぜか、「あそこがダメだった」 と買い替えていた。

 

上から目線でモノを言うとかあるのですが、たしかにその自信に溢れていた感じで頭もおじいちゃんに見えずボケとかとは無縁の人だった。

 

小学生のチビッ子なので、「このおじいさんのやり方を真似ておけば自分もおじいさんになるまで何か安泰ではないかなあ~」 みたいなノリで真似ている感じだと思う。

 

例えば、高校生の頃に頭のおかしな人に虐められ、無実の罪を着せられて退学となり、行き場を失い首でも吊るぜ~ とか言われたりやられた時に、普通はそのくらい惨劇に遭うと自殺しちゃうのかもしれないじゃないですか。

 

でも、その前の小学生時代に塾とかで訓練をしていたというトレーニングデイがあったので、乗り越える事ができたりした感じで、才能とかではなくて環境に助けられただけだと思うのです。

 

大学を卒業し新社会人デビューして、会社員1年生になった時に怖い程上手くできた気もしたりしたのですが、それも才能ではなく塾長が教えていた事をどこか覚えていたとかの結果でないかと思う。

 

会社員としてどこかの会社で働いていると、自分よりも凄そうな国立大学を卒業したという人から、「三之橋さんっていつも仕事がたくさんあり、その仕事はどうやってもらうのですか」 とか相談される側の立場になっていたりするのですが、頭が賢そうに見えた塾長を真似ているだけではないかなあ~ と思う。

 

車の運転でも初心者マークを貼って頑張るぞ~ と思った大学生でも、そのモチベーションって長くは続かないで、結果攻略できるという領域までいかないと思うのですが、私三之橋の場合は、支持線をどう入れるとかそういう事しか考えていないと思う。

 

私三之橋の場合は、人の話を良く聞いている方だと思うので、最初に車のサイズは変えないとか訊いていたので実際に普通車しか買った事がない。

 

世の中には運転が不慣れで上手くできないと彼女とドライブに行った時にバック駐車でも上手くできないとか、狭い住宅街の路地を走ってブロック塀に接触せずに曲がると離合できないとそれを見られると恥をかくという事で軽自動車に乗るとかで車幅の小さなダウンサイジングで誤魔化すという人は少なくないと思う。

 

でもそれって、本来自分ができていないというのを自覚できるチャンスなのに取り繕うという手法で自覚できなくなり他の事でも勘違い野郎となるだけと聞いたのでやっていない。

 

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