私は延々と、自分が社会の穀潰しであることを憂いてきました。
社会的になんらかの経済的な価値を生み出さないこと、それをきっと憂いていたのだと思います。
その後、いろいろな考え方に触れていく中で知ったことがあります。
私は、何か生み出すことができない、ということはだめなことではない。
むしろ、何か私のように困っている人に何かを、と願って、自分にできる行動をしているということが、尊いのだと。
結果は、とりあえず置いておいていいのだと。
はあ、そういう考え方があるのね、と感心するとともに、嬉しく思ってはいました。
それがようやく自分の中に染み入るようにじわじわと広がってきて、最近は心穏やか気味な毎日を過ごしております。
私の中では、だんだんとやりたいこととやるべきことが固まってきたような感覚があります。
ひとつの結論に至ったような達成感があるにもかかわらず、思ったように動いてくれない体に遭遇すると余計に絶望します。
考えていることをどう具現化していくかというのは、病気の人間に関わらず、誰にも言えることですが、やはり難しいですね。
ただ、そう考えているうちに、自分の身体でもできる範囲のことを見つけるために頭を使うんだと、やる気になってきました。
牛歩でも亀の歩みでも、一歩は一歩と思って、進みたいと思います。
そんな私ですが、娘はこれまたすくすくと元気に育ち、健康に活動してくれています。
先日、学校の先生とお話しする機会がありました。
娘がひょんな声かけをしたらしく、それがまあ嬉しかったと、本当にかわいらしいお子さんですね、とお話ししてくださいました。
もう、誰かを笑顔にできているなんて素晴らしいですね、というコメントまで添えてもらいました。
子どもは弱者で受け取るばっかりだと思っていたけれども、もう誰かのパワーになっているかもしれないんだと思ったら、私まですごく嬉しくなって、わざわざお話ししてくださった先生にも感謝の気持ちでいっぱいになりました。
齢38にして、いろんな方に育てられているなと、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
こうしていろんな方に感謝しながら生きられる自分に出会えたこと、病気に感謝しなければいけないのかもしれませんねー。ちょっと抵抗ありますけど 笑