繰り返せることと繰り返せないことがある。谷川俊太郎さんの詩『くり返す』は、言っている。<くり返すことができる/あやまちをくり返すことができる/くり返すことができる/後悔をくり返すことができる/だがくり返すことはできない/人の命をくり返すことはできない>▼大人の体に近づき、知恵も付く。時に他人を傷つけるおそれもある心身を、わがものにする道のりのなかで、人は繰り返すことができない命のかけがえなさを、はかなさとともに学ぶのだろう。十四歳のその少年はどうだったか▼愛知県弥富市の中学校で、三年生の男子生徒が同学年の少年に刺され、死亡した事件である。少年は殺人容疑で送検された。若い命が失われたことに痛ましさが募る。生徒たちが受けた心の傷も思うと、胸の痛みは増すばかりである▼人との関係で誤り、後悔する事態を招くことがあっても不思議でない年ごろではあろう。だが、包丁を準備した計画的な少年の行動につながる何かには想像も及ばない。明らかになる時を待ちたい▼詩は<けれどくり返さねばならない/人の命は大事だとくり返さねばならない>と訴えている▼「笑い声と泣き声は、ときどき似ている」。昔の広告にそんなコピーがあった。校舎に響く楽しげな声にまじる悲痛な声。詩の願いに応えるため、その声を聞くことが、いっそう求められそうだ。