身体にイイね! ひろ坊の20歳若返り

身体を鍛えて健康的に何事もプラス思考で日々生きる

パラパラ漫画

2015-03-01 06:24:35 | 俺の考え

自分がずっと粋がってきた事を、、、、     あらためて気づかされた動画です。

今からでも、遅くないかも、、、、いのちがあれば

鉄拳さんの「振り子」です。 もし、よろしければ ご覧になって下さい。

自分の様に家族に迷惑をかけた事も気づかず、仕事さえ頑張っていれば何でもありのバカ亭主、バカ父親だった自分でした。。

そしてバカ息子である自分、、

https://www.youtube.com/watch?v=HsEypfxKyyY

 

こちらも鉄拳さんの素晴らしい作品です。もしよろしければ

https://www.youtube.com/watch?v=WyMBrKK1TOs

親の有難さを感じず、当たり前のようにいい気になっていた俺、自分の力で

生きてきたと、、、おもって

 

こちらは鉄拳さんの作品ではありませんが、昔 仕事で単純な同じ事の繰り返しの中に見出す喜びを!

自分なりに意志を持ってやって来た事をあらためて少し思い出しました。そして、いま失いかけている事に気づかされた、、、

https://www.youtube.com/watch?v=R-t-Tc3lV2Y

 

お涙ちょうだいかもしれない この話、自分は自戒の念でした。

愕然となりました。。。。

 

死は誰にでも訪れる、もちろん自分にも

これから一所懸命頑張るではなく、

今を大切に生きる。 この一瞬を大切に生きる。

 

そして  まずは、近しい人を大切に思う心を  

 

それも出来ていないのに偉そうな奴でした自分は

 


小保方晴子氏

2014-04-11 08:18:23 | 俺の考え

先日のSTAP細胞の小保方晴子さんの会見をずっと見ていました。



自分の論文については未熟さゆえの謝罪をしていました。
論文の写真の取り違いについては、理系男子の自分としてはあり得ないことと思いますが、、、!

論文についても大切ですが、STAP細胞の有無が一番の問題です。要は本当にSTAP細胞が存在するかのように偽って発表したのかどうかです。
もし、STAP細胞があることが立証出来れば、そして今後医学に貢献出来れば、論文の写真の取り違えや未熟さゆえの不手際は、大事のなかの小事となるでしょう。

200回以上STAP現象が成功したと彼女は言っています。
そうであればそのサンプルやその細胞の写真を持っているはずである。自分が持っているであろう その写真の提示を自分であれば、まず会見場でするでしょう。
本当のSTAP細胞が存在するなら、自分は論文の謝罪や間違った経緯を説明した後、真っ先にそのSTAP現象やSTAP細胞の存在について具体的に話します。
勿論話せる範囲ではありますが、、
科学的根拠となるべき証拠の一端を何らかの形で提示します。
それが出来なければ、口で何回成功したと言っても妄想となります。
科学的根拠が重要であり絶対必要なのです。



論文の一番大切なSTAP細胞を証明する写真を取り違えること事態
理系の自分にとっては、その事だけでもその人の発表はNOです。論文がNOは勿論、その現象自体がNOです。それ程重大な根幹の写真を取り違えているのです。認められません。科学者にとってそれ程信じられない事象を彼女が起こしたと言わざるを得ません。


彼女の会見を見ていて感じたのは、STAP細胞はあるかどうかわからないけど、自分的には 無い可能性が高いと思いつつ
そんな事より彼女の思う通りSTAP現象の実現のために研究をやらせてあげたいと思ってしまう自分がいました。
これは、彼女の持っている「何かですね。。」
嘘か本当かどうでもいいや!
イイから、許しちゃう。。ヽ(´o`;
おじさんは、、、的な
すみません。。
それ程、素晴らしい会見でした。  素晴らしいと言うのは、同情を買うのに素晴らしかったということです、、   

わかっていながら、彼女のファンになってしまいそう


しかし、会見の内容は科学的根拠を証明するものとしては 体を成していません。

情に訴えるのは成功だったでしょう。
これは仮定ですが、彼女が仮に嘘をついていたとすると、会見は このような情に訴える形しか取れないかもしれないと思います。
それ程 科学的根拠やSTAP細胞の存在について何も立証出来ていない会見でした。

今後は、STAP細胞を第三者が再現出来て始めて立証出来ると言えるでしょう。
小保方氏自身が、今後も何百回STAP細胞の再現が出来ても、科学的に立証出来なければ それは妄想となってしまいます。

 

もう一つ考えられる事は これも仮定ですが、彼女が嘘妄想と思っていない、信じ切っている可能性もあります。
絶対にある、しかし科学的には思うよう立証出来ない? 本人的に立証出来そうで出来ない。、だからきれいな鮮明な写真を使ったり、加工したりしている。 悪意はないのです。

 


何年か後、
STAP細胞がある事が実証できて、小保方氏が「あの会見では こういう理由でSTAP細胞の立証を発表出来なかったのです」と言えたらいいなあと、心の奥底では思ってしまいます。

小保方晴子氏は、精神的に強い人と思います。信念があるようにも感じ取れます。自分には これ程 立派に会見出来ないでしょう。その面で尊敬します。
STAP細胞の存在を疑問視する一方で、内心 小保方晴子氏を応援してしまっています。

そして本当にSTAP現象が存在してくれればと、思ってしまいます。。


薬剤師の将来

2013-11-19 09:12:13 | 俺の考え

かなり以前から薬剤師の将来について危惧していた。

莫大な医療費が国費を圧迫してきた。国はその医療費を削減、減少させるために長年動いてきた。
手始めとして医師から医薬品を切り離すのが第一段階の目的。その手段として医薬分業を唱えた。医薬分業することによる病院や診療所の診療報酬のアップや薬価差益の圧縮によって、医療用医薬品の購入による利益幅を減少させ、分業することのメリットを前面に出してきた。
これも薬価差益幅の減少をせることにより、製薬メーカーの利益率を上げることにより新薬の薬価決定の際の薬価を多少抑える交渉材料にもなっていると考えられる。
全体として医療用医薬品の薬価圧縮にも多少貢献することが出来る。

国民に対しても医師による薬漬けの問題や処方ミスのチェック機構として薬局や薬剤師の存在意義をアピールしてきた。いかに医薬分業が国民にとって、また薬局に行くことの二度手間のデメリットをメリットを強調することにより払拭して理解を得るよう説明してきた。その国の思惑通り医薬分業はこの20年間でかなり全国的にもすすんだ。
医薬分業することによる病院、診療所側の利益確保というまさに「馬にニンジンをぶら下げた状態で」
医薬分業がある程度すすんで、医師から医療用医薬品を切り離せてきた。
医師による必要でもないような?ビタミン類等の漫然処方も以前よりかなり少なくなってきており、医療用医薬品の使用も以前に比べて減少してきてる。
まずは、国の思惑通り。第一段階の医師から医薬品を切り離すのは進んできている。
だが、あくまでも医療費の大幅な削減が国の目的である。

医療費の中でも高額な医薬品費の割合は大きい。

そこで次は、ジェネリック医薬品の普及である。
医療用医薬品の新薬は特許期間が切れると、莫大な開発費をかけずにその薬を他の製薬メーカーが製造販売することが出来る。
つまりローコストで医療用医薬品を製造することが出来るのである。
新薬つまり先発医薬品に比べて半額位やそれ以下の安い薬価がジェネリック医薬品にはつけられる。
この安価なジェネリック医薬品の普及をさせるためには、、、どうするか?

国は、武田薬品や三共等々のどんぐりの背比べのような開発メーカー同士の過当競争によるDrに対するMRと言われるセールス競争が過剰であることは重々承知であった。
医師と製薬メーカーとのつながりが密接になって、医師が先発開発メーカーの医療用医薬品を優先して処方することによる旨味、また 医師からの開発メーカーに対する医薬品の安全性の信頼は抜群であることにより、ジェネリック製薬メーカーのジェネリック医薬品の処方には繋がらない状態であった。

国は、この先発開発大手メーカーの合併を勧めることにより、どんぐりの背比べの的な異常な過当競争を緩和させ、Drに対する過剰な宣伝、接待攻勢もやめさせる方向で、先発開発メーカーの医薬品を優先して処方することの旨味を少なくし、医師と先発開発メーカーの密着度を軽減することを達成できつつある。
医師が医療用医薬品効果安全性という理由の元、先発開発メーカーの高額医療用医薬品の使用を積極的に処方してきたが、これはやはり先発開発製薬メーカーとの密接な関係がそうさせていたと言える。

事実、医師からは先発開発メーカーのMRからの情報は重要との意見も根強い。また、MRとの関係性も密接である。  現在は過剰競争の緩和により以前よりはその傾向は薄らいでいるが、、

国は、医療費の抑制のため 安価なジェネリック医薬品へと使用を移行させる事が急務であった。そこでジェネリック医薬品の普及のため医師に処方薬を一般名で処方してもらいたいと考える。しかし、「医師の処方権」の問題があり、ジェネリック医薬品等の安価な医療用医薬品の普及には、医師や医師会等の反発もあった。
そこで国は、やはり「馬にニンジン」作戦である。処方箋1枚に対して一種類でも一般名で処方した場合の診療報酬のアップを提案。
その国の思惑通り、先発開発メーカーの過剰競争が薄らいでいる今、一般名処方することによる診療報酬のアップも合間って、医師の処方権の問題も医師の判断で一般名で処方出来る医薬品は、処方した方が得だという思考に動き、一般名で処方することに当時猛反発してきた日本医師会も今では「医師の判断」でと、トーンダウンしている。

医師の一般名での処方が、普及されつつある。

この次は、一般名処方をジェネリック医薬品に医薬分業した薬剤師にしてもらう作業である。国にとっては、医師の処方権の問題に比べると容易いことで、各調剤薬局や薬局にジェネリック医薬品のその薬局における処方医薬品の使用量の割合が全体の25%や30%等多くなる毎に処方箋1枚に対して加算を提案することで、すすみつつある。この%の割合も今後の診療報酬改定のたびに上がるであろう。これもまた「馬にニンジン」であり、ある程度目標が達成されれば、「ニンジンを取り上げる」のは目に見えている。


しかし国の思惑通りジェネリック医薬品が普及していかない状況で、
今度は医薬分業は、果たして患者さんの為になっているのか?と問題提起して、、、
日本薬剤師会に対して揺さぶりをかける。医薬分業そのもののあり方についてあえて問題提起して、世論を盾に規制緩和を出来る状況にしていくのである。

そし薬剤師の職能にプラスして、ジェネリック医薬品の普及、促進を公に求めてきた。


医薬分業は、ひとえに医師と薬を分離させること、膨大な医療用医薬品費の減少のひとつの手段であったと考えられる。

そして、大手発開発メーカーにまでジェネリック製造させることに成功した国は、更にジェネリック医薬品の普及をさせる為に、そして膨らんだ調剤薬局や薬局の診療報酬圧縮させる為に、大手スーパーやコンビニそしてIT業界等に参入させる必要がある。
新たな規制緩和をさせることにより大手の他業種の新たなビジネスチャンス拡大、利益拡張。

新たなビジネスチャンスを得た他業種は、診療報酬アップの要求も強くは求めてこないであろうし、診療報酬圧縮にも抵抗は今よりは少ないであろうと考えられる。

元々は、国によって道筋をつくられた医薬分業であり、診療報酬圧縮に抵抗する団体は国にとっては目障りなのである。


昔たばこ屋さんやクリーニング屋さん、お酒屋さんと言った単独店舗をよく見かけたが、今は個人店は激減している。全て大手スーパーに組み込まれたり、インターネット販売に取って代わってしまっている。
次は、薬局や調剤薬局である。個人の薬局については廃業や店を閉めている店舗をあちらこちらで昨今見かける。

処方箋での医療用医薬品の一般名処方がもっと普及すれば、現在約18000銘柄の医療用医薬品の在庫をする数も激減させることが可能となる。

そうなれば、他業種は怒涛のごとく参入してくる。今の調剤薬局はひとたまりもない。買収されるか、傘下に入るか、廃業か……

薬剤師も地位の向上どころではなく、大手ドラッグストアに勤めていた50~60年前のようにこき使われる。今の様な薬剤師のワガママは通らなくなっていく。賃金的にも抑えられていくであろう。薬剤師の数も充足していく。ダメな薬剤師は淘汰される。

テレビ電話等利用して対面販売と同じようにインターネット販売で処方箋による医療用医薬品を取り扱えると、自分は遠くない将来そのような形態になっていくと考えている。

規制緩和し、ネットで処方箋による医療用医薬品を送ってもらえたり、24時間対応してもらえたり、薬剤師が配達可能になっていけば消費者の満足度は上がるに決まっている。

薬剤師は大手スーパーやコンビニ、楽天等のIT関連企業で働くことになるであろう。それに介護関連の事業が絡んでくる。

調剤薬局は姿を変え存在はしていくが、経営母体は大きく変わっていく。そしての薬剤師は歯車の一つにますますなっていく。薬剤師そのものの存在意義についても議論されかねない。

今の形の調剤薬局の多店舗展開は、これからは慎重にした方がいい。

 

今後は、コンビニのフランチャイズオーナーに自分の関連会社をしていってコンビニとタイアップし、展開していく方法もある。また、IT産業参入も模索するのもやぶさかではない。


あの時ああしておけば良かった。。

2013-10-02 07:18:23 | 俺の考え

渋谷心療内科・ゆうメンタルクリニック秘密コラム

「藤子・F・不二雄が最後に伝えた、

人生をやり直すことの意味」

 

インターネットのブログで、是非読んでいただきたいサイトがあったので引用して紹介します。

あえて途中までしか紹介いたしません。興味のある方は是非、ゆうきゆう先生のブログでご覧になってみて下さい。

ネットで、「ゆうきゆう  分岐点」で検索すれば、すぐ探せると思います。

自分は興味が湧いて、漫画本である藤子・F・不二雄さんのSF短編集 全4巻を楽天市場さんで、今日注文しました。

読み終えたら感想も後日書きます。 

 

 

さてあなたは、藤子・F・不二雄先生をご存じでしょうか。

おそらく「知らない」という方は、ほとんどいないのではないでしょうか。

マンガの神さまといえば、もちろん手塚治虫先生ですが、個人的には、藤子・F・不二雄先生の方が好きだったりします。

 

さて先生と言えば、多くの方がご存じなのは、やはり「ドラえもん」や「パーマン」など、子供向けの作品ではないでしょうか。

しかし、先生は30代半ばころから、「SF短編集」というものを執筆されています。


その数、全部で112作。

子供にも大人にも楽しめる、いえ大人になってはじめて理解できるような内容でいっぱいです。

大人向けのファンタジーと言えますでしょうか。

これはホント、ドラえもんを楽しんだことのある、すべての大人に読んでほしい。
心からそう思います。

 

さて、それはそれとしまして。

ここでは、その中でも特にご紹介したい話があります。

 

それこそが、この話。


(c)藤子・F・不二雄/小学館・中央公論社(以下同じ)
 

タイトルは「分岐点」。

 

主人公である男性は、今、妻と結婚生活を送っています。

 

しかし妻は嫉妬深く、彼はあまり幸せではありません。

 

そんなとき、彼はある女性と再会します。

それは10年前に、結婚を考えていた、もう一人の女性。

 

彼は二人のうち、どちらと結婚するか迷った挙げ句、今の妻と結婚していたのです。

 

その女性がいまだに魅力的であることを再確認して帰宅すると、やはり妻は責めてきました。

攻撃はそれだけに留まりません。

 

あまりの状況に、彼は家から逃げ出します。 

そんなときです。

一人のホームレスが「人生をやり直してみないか?」と言って来ました。

 

彼は思わずそれに「YES」と言います。

もちろん、やり直したい「分岐点」は、たった一つ。

10年前に戻って、もう一方の女性と結婚することです。

 

彼は言われるまま、分岐点に向かって、歩いていきます。

 

そして。

その分岐点から、もう一方の女性と結婚している人生を、歩くことができたのです!

 

あぁ、これでめでたしめでたし…と思いますでしょうか。

 

……しかし。

 

その女性も。

結婚した直後から、何度もイヤミを言うようになってきました。

 

そしてラストで、彼は娘にたいして、こう言います。

 


「おまえもやがて、人生の岐路に迷う日がくるだろう。
判断をあやまることのないよう、パパは祈るよ」

 

そう。

彼はやはり後悔し、「もう一方の女性と結婚しておけば」と、常に考えているわけです。

もちろん、その女性が嫉妬深くなる…ということはまったく知らず、「彼女なら、優しくてしとやかなのに」なんて考えているかもしれません。

 

非常に切なくシニカルな話です。

あえて一言で言うなら、「どんなにやり直しても、結局は同じだよ」ということになりますでしょうか。

この話はとても趣深く、人生でやり直しを考える人にとって、一つの指針になるかもしれません。 

この話を藤子先生が描かれたのは、40代前半のときです。

 

もしかしてですが…。

先生自身、心のどこかで、自分にそう言い聞かせている部分があったのかもしれません。

 

しかし。
実は先生が57歳のときに描かれた「未来の想い出」という話があります。

 

つづく…

つづきは、ゆうきゆう先生のブログで!

 

さて…

みなさん、自分の人生振り返ってみると分岐点て、ありますよね。

いや、分岐点だらけか。

自分で判断し、決断して歩んできて、今の自分があるのです。

決して、社会や人のせいではありません!

世間が悪いとか、親がいないからとか、貧乏に生まれたからとか、上司が悪いとか、等々…………

人によって確かに幸運不運はあると思います。

たとえどんな状況であれ、例えば料理人や大工、漫画家、弁護士、医師などなど、どんな職種や状況になっていても、現在自分なりに「俗に言う成功している人」は、

どのような世界でも

状況でも運不運に影響されても、

ある程度の成功は必ずおさめると確信しています。

例え不運重なりの場合でもその人は、前向きに考え、とにかく行動して、大小あっても必ず、俗に言う 成功を手にすると思います。

なぜか、

それは、外的な影響もありますが、その人達は自分が置かれた立場で、今の状況を判断して、その状況を受け止め、逃げずに今後どうして行くべきか、どう解決していくか考える。これからどうしていくかが肝心です。

繰り返しますが、今の状況を受け止める。「こんな状況になってしまった…どうしよう…… 」 過去の自分の思考と行動の反省すべきところは反省して、これからどうするか。これが重要です。

そして、行動。

過去の反省や失敗は自分にとっては良い経験だと思って、前を向いてこれからの事をプラス思考でやっていく。これが大切です。

または、目標を 夢を  実現するにはどうしたら良いのか、常に具体的に思考していきます。そして、とにかく行動です!

どんなにいいアイデアを思いついても行動なくして、成功なし。

 

 

藤子・F・不二雄 、本名 藤本弘先生は残念ながら亡くなりましたが、自分は幼少の頃から、お化けのQ太郎以来の大ファンです。

先生はご自分の経験も重ね合わせて、かなり鋭い視点で描いています。

隣の芝生は良く見える的な、、、

自分も同じように考えた事もあります。

もっと違っていたんじゃあ~ないかと…

でも、違うんですよ。。

この作品のように。

 

そして、「未来の思い出」を是非ご覧になってもらいたいです!

この両作品は、どちらもその通りだと思いますし、自分自身に照らし合わせてもそのようになっていたと空想してしまいます。

 

追記

ゆうきゆう先生のブログを知るきっかけになった、gooブログの

「ラビングアドバイザーさん」に感謝です。有難うございます。


会社設立時の気持ち

2013-08-23 04:53:47 | 俺の考え

今週は、いろいろな方と会食したり、お会いしたり、本気で新天地で事業展開する為に少し考え、

とにかく動いてみて、

人と会って、

今まで動いてみた行動してきた結果、

事が動き始めてきている感がある。

動き始めと言っても、大きな重い車輪が少しといった程度であろうが、、、

自分の意識も35歳で独立し会社設立したが、

その頃の気持ちが蘇ってきている。

 


今まで忘れていた感覚。

 


成し遂げたというある程度満足してしまっていた怠惰なこの5~6年の悪しき気持ち。

こんな気持ちでいるからダメなんです!

新しい地で、社会人としての人脈はゼロに等しい中、
人に頼りお願いしながら、人に紹介していただいて、自分の考えを話して。

この地域に感謝し、人にも感謝し、そして医療を通じて少しでも力になれるよう自分に出来る事を考え行動していく。
これって忘れていた感覚である。
頭で理解して口に出して形だけカッコいい事言うのではなく、真にそう思っている自分が今いる。

自分が生まれた、そして育った地で。

思いのある方々にお会いし刺激され、目が覚めた。


自分自身にも負けてはいられない。
上を向いて行こう!

また、はじめる。

 

 


「会津の三泣き」という言葉がある。  

会津は奥さんの生まれ育った地である。

これは「会津に来たときはその閉鎖的な人間関係に泣き、なじんでくると人情の深さに泣き、去るときは会津人の人情が忘れ難く泣く」というもので、会津人の性格を表す言葉として知られている。


上には上

2013-08-20 23:13:59 | 俺の考え

今、会食してきたが、上には上がいますね。
自分は、ある程度満足して、これでいいか~っと思っていたが、、

今まで必死になって家族もかえりみずやってきたが、この辺でゆっくりしようと思っていたが……

違うかなーーー?
でも、またこれから更に血の滲むような苦労するのもありか、、?
「常に上を目指して」と言うが、、、、

上を目指さないと、、、、、終わってしまう。?
上昇思考。。。


俺は少しゆっくりしたいよ。

しかし、この県は素晴らしい社長連中がいるね!

さすがだ。
自分も少し目が覚めた^^;
気がする。


もうひと頑張りだな!!


裏表

2013-07-31 06:03:51 | 俺の考え

思いをもって行動、思いをもって事に当たる、

「思いをもって…」

若い頃、良く自分が口にした言葉である。

 

思い  とは

インターネットのデジタル辞書によりますと意味は

 ある物事について考えをもつこと。また、その内容。所懐。「年頭の―を述べる」
 予想。予期。想像。「―もしない結末」
 願い。望み。「長年の―がかなう」「―を遂げる」
 物思い。回想。「秋の夜長に―にふける」
 思慕の情。愛情。恋心。「彼女への―が募る」
 執念。恨み。「この世に―を残す」
 あることを経験してもたらされる感じ。「胸のすく―」「自分だけいい―をする」
 (多く名詞の下に付いて)ある対象を気にかけ、大切にする気持ちが特に強いことを表す。「親―の息子」
 《4の意から》喪に服すること。また、その期間。喪中。「ちちが―にてよめる」〈古今・哀傷・詞書〉
 
とあります。
自分は、当時1、3、8に近い感じで使っていたようですが、少しニュアンスが違うかな。
 
物事の細かなことも、機械的にただこなすだけでは無く、
問題意識を持って
もっと良くなる方法はないかとか、どこか問題点はないか、
気にかける気持ち。
また、強い意志を持って物事に執着して成し遂げる気持ち。
 
この頃は口にあまりしなくなった。
何でだろう…
 
成し遂げたから?
満足したから?
 
思いを持つことは大切だと今でも思う。
ただ、強すぎる思いは、他人を焼き焦がしてしまうこともある。。(^◇^;)
 
 
30~40代前半の頃、「あなたはギラギラしている」と自分自身を言われたことが時々ある。
あるいは「あなたと話していると元気が湧いてくる」
または「あなたと会うと自分も頑張ろうという気持ちになる」
 
この年になって50代になって
時々、社長連の集まりで活気があって、前向きな方をお見受けする事が多々ある。
だから、物事に前向きに事を成し遂げて社長とかにもなったのか、と思ったりする。
 
明るくて皆も寄って来るし皆に好かれるでしょうが、
今の自分は少し苦手なタイプである。
 
知識も豊富にあり、行動力もある
周りへの声かけも得意、仲間つくりも熱心…
 
ただ、自分の強い意思や思いを話すことはない。
 
自分の事も話すが、核心的な自分を示さない。
そういう方は、どうしても偽善的に見えてしまう。
 
 
人は人に良く思われたい。
皆に嫌われたくない。
出来れば誰もに好かれたいと思う。気持ちが多かれ少なかれある。
 
そのために自分を出さずに、裏表の激しい人がいる。
欠席裁判である。
意見の違う人にも、自分の意に反する事でも賛同したりする。
そのような人の特徴は、良く噂話をする。
もっとたちが悪い人だと悪口を言う。
 
自分の意思は言うべきだと思う。
「ならぬものはならぬ」と直に本人や集団に向かっても言うべきだと思う。
声を大にして言わずとも、言うべき事は言う!
 
「実はあの時、そう思っていたんだ!」という輩がいる。
あとから、しかも本人がいない所で言う奴がいる。
信じられないことだが、実際そういう奴はゴロゴロいる。
 
自分は若い時から、違うと思ったことは必ずその人に言ってきた。
例え上司であろうと言ってきた。
勿論、敵対して意見するのではなく、
その方の言っていることと少し違うなと思ったことでも、
自分の考えや思っていることをお話しした。
そのことによって、自分の考えが浅はかであったことを
上司の考えや意見を聞けて、ハッと気づいたり、反省したりしたこともあった。
 
これって非常に大切なことであると思う。
 
心ある人は、ちゃんと本音で話せば、絶対に心が通じ合うのである。
例外はない。
相手がアホでない限り。
自分は経験してきている。
 
皆から変人のように言われていた方と
今では同志である、その方はずっと先輩ではあるが、年は関係なくそう言い切れる。
具体的にここでは、長くなってしまうし現実の生々しい話もあるので話せないが…
その方も強い意思と思いを実は秘めていた。非常に強いものであった。
だから周りから誤解も受けていた。
もっと自分の意見や意思は伝えるべきだと思う。
伝えることによって、その事に対するわだかまりや反論が解決できて真の協調が出来る事が多々ある。
ただ、強い思いを他人に見せたり、行動したり意見すると、他人に良く思われないこともある、また誤解を招くこともある。
 
よく思わない人の中でも裏表の激しい人は、当の本人には伝えず、陰口を言っているので理解し合う事も出来ないし、問題の解決も一生出来ない。
 
多少、社会にでて当たり障りないように振る舞う言動や行動は人間関係上必要であると思うが、自分の思いや意思の軸を外してまで、Yesマンでいる必要はない。
 
 
これからは、今までのように自分の意思を持って、がっつきすぎないように… ^_^;
思いをもって粛々と生きて行きたい。