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第十位 -秦の始皇帝-

2006年04月08日 01時16分37秒 | 世界@名無史楽家
 昨日書いた皇帝の中でも、この皇帝の名前は、
流石に一度は耳にした事が有ると思います。
(でも他の皇帝も、良く考えたら大体の世界史の教科書(資料集)には載ってますね(汗))

 この皇帝は何をしたかと言えば、
その名前からも解る通り、中国で初めて”皇帝”を名乗った人物です。
そして、中国を史上初めて、統一を成し遂げた人でも有ります。

 それまでの中国と言うのは、ひょっとして今の様な”中国”
と言う概念すら無かったかも知れません。
 それまでは、話す言葉も微妙に違いますし、
文字も違いました。(それぞれ漢字の様な文字は使ってましたが)
物の単位も違うし、他にも色々な物が違っていました。

 そう、言うなれば、中国と言う一つの国の概念より、
中世から現代までの欧州の様に、似通った文化を持った国家群がある、
一つの地域。と言った感じです。

 多分、始皇帝が居なくても、秦の強盛は変わらないので、
いつかはこの地域は統一される可能性が高かったとは思いますが、
しかし、もし統一されなければ、現在の欧州の様に、
中国、はたまた亜細亜も、かなり多様で、混沌とした地域に成って居たのかも知れません。
そう考えると、ちょっと面白いですね。

 兎に角、彼の中国統一(中央集権国家建設)で、
様々な物を統一し、一つの国家として、この地域に確固たる”中国”
と言う概念を確立させる切っ掛けを作りました。
 これにより、地域だったのが、国として確立され、
また、亜細亜内で強大な先進国家と成る事で、
周辺諸国や地域に、宗主国的な価値観を生み出す等、
 彼のした事は、中国のみ成らず、その周辺国家にまで、
後々影響を残したと思います。

 その、中国統一事業と、皇帝と言う身分を創出、そして即位。
と言う事を、実際に成し遂げた事は、やはり中国皇帝史の中でも、
十指に入る事は間違い無いでしょう。
 しかし、その事業が壮大なのに比べて、何故筆者は十位。と言う、
ランクの中でも一番低いのか?と言えば、
 それは、その事業が、彼一人の資質に基づいて行われた部分が、
余り多くは無いのじゃないかな?と感じるからです。

 彼の生まれる前から、秦は中央集権地方国家として、
緻密な官僚制度を確立して居たし、彼が即位した当時は、
秦は既に統一期の内の、半分以上を領土として保持して居ました。
(半分以上と言う事は、ミリタリーバランスから言って、殆ど統一寸前の状態)
 また、その事業は、組織力に基づいた部下達の活躍が大きいと思われるからです。
 そして、良く彼が行った有名な事業として、”万里の長城”建設が有りますが、
これも正確には、戦国時代の各王朝が建設して居た長城を、
改めて修築した。と言った程度のものです。

 秦は伝統的に、悪の帝国の様なイメージが有り、
余り名君の様な君主は現れないのですが、
名君的な個人の資質で言えば、秦の名君と言えば、”春秋の五覇”(メンツは諸説有る)
にも数えられる穆公。
 商鞅を抜擢して、法律を整備し、法治国家として富国強兵を成し遂げ、
”戦国の七雄”の地位を確立させた孝公。
の方が立派だと思います。

 そう言う意味で、このランクでは、十位にさせて頂きました。

 彼には、生い立ちとか、色々とドラマと成る話が多いのですが、
今回は皇帝ランキングの順位解説の意味での記事なので、
またの機会に譲ります。(書くかどうかは分かりませんが…)

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