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嗜好な事や色々の思った事を再び書き連ねます。

中国列伝翻訳に挑戦したいです!

2005年07月10日 00時51分17秒 | 世界@名無史楽家
 最近漢和辞典を購入し、web上で正史が漢文で公開されて居る場所も有るので、
その翻訳をちょっと挑戦してみようと思い立ちました。

 これが出来れば、今後自分のwebページの更新にも役立つと考えたからです。
 今回、取り敢えず翻訳(執筆)に挑戦して見るのは、事績が面白く、でも比較的短文に成って居る人物。
隋唐時代の蘇烈(蘇定方)。唐末の秦宗権。明末の楊縞。の三人です。

 蘇烈は、隋末の群雄割拠で、唐の創始者、李淵の次に天下に近かった、竇建徳の部将として世に出て、
唐の配下と成ってからは、猛将として鳴らし、新羅の朝鮮半島の統一戦では、
唐の支援軍として、百済救援の日本軍とも、歴史の授業で有名な白村江の戦いで
対戦して居る人物です。

 秦宗権は、初め唐の節度使(日本の大名みたいな存在)だったが、
唐の最末期に起きた、王朝滅亡を決定的にした叛乱。黄巣の乱を切っ掛けに、
王朝に叛旗を翻して、黄巣と結び、黄巣が滅んだ後も、独立勢力を保ち、
遂には皇帝を名乗った群雄です。
 後に唐を滅ぼした、梁の太祖、朱温(全忠)は、黄巣の配下から王朝側へ寝返り、
王朝の地位を利用した群雄と成ったので、彼とは対照的です。
 しかし、秦宗権は、その後滅ぼされますが、その配下の勢力は、周辺の、その後の五代十国の中の、
王朝と成る群雄に吸収されて、その中心勢力と成ったり、また彼の配下には、
その勢力に入るだけで無く、王朝の皇帝(王)に成る人物も居るなど、
まさに唐末~五代十国のキーマンと成る人物です。

 楊稿は、明王朝末期の将軍として、慶長の役(秀吉二回目の朝鮮出兵)で、
明の救援軍として日本軍と戦い、加藤清正が篭城する蔚山城の攻城戦等に参加します。
 更に後年には、明王朝と、後に中華帝国と成る清王朝の開祖ヌルハチとの、
東亜の覇権を賭けた、サルフの戦いにも参戦する等、まさに東亜の動乱を生き抜いた武将と言えます。
 また彼の配下には、後に清の配下と成りながら、三藩の乱を引き起こす、呉三桂の父親も居ました。

 面白そうな人達だと思いませんか?これら魅力的な人物の翻訳に挑戦します。


 以上の文は、自分のweb掲示板に書いた物ですが、掲示板を縮小するので、
記録を残して置きたく思い、こちらに再掲させて頂きました。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ヌルハチ (iina)
2005-08-20 14:33:45
中国は、三国志をはじめ群雄割拠はなはだしく面白いですね。

それを一系列でまとめたならたのしいでしょうね、期待です。

ただ、

このごろ思うのは、大いなる歴史をもち広大な領土をもつそれらの英雄にいだく夢ははたして、本当のところどんなものなのかなと、疑いをもちはじめましたよ。

たかだか領土的には小さなイギリスに攻められて負け、夷狄とする日本に敗れ、いままた社会主義が風前のともしびでいながら、相変わらずみずからを華としてえばっている態度を不可解に思えます。

もっとも、時代背景があるし朱子学を通じて官が汚職等々で腐食していったことを割り引く必要はあるでしょうが・・・
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Unknown (tommy0158)
2005-08-21 21:42:57
コメント有難う御座いました。

該当コンテンツの更新が何時に成るかは定かでは有りませんが、

気長に更新を楽しみにして下さい。



 ちなみに、筆者は(我が国との繋がりが深いので)歴史は好きですが、あの国自体(近現代のあの国)は余り好意的では有りません。

 あの国(の歴史)に対する自論を展開しても良いですが、長く成りそうなので、控えさせて頂きます。
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