へそ曲がり人間の退屈な日々

独断と偏見で好き勝手に気が付いた事や言いたい事を綴る気ままな日記。

好きな色―トラックバック練習

2007-04-01 | その他
好きな色はと聞かれたら
多分青色と答えるだろう。
小さい頃から
服や持ち物に全て青色の物を
購入して貰っていた記憶がある。
初めは意識していなかったのだが
田舎では何かある度に
昼間なら青空の白い雲を
夜には濃紺の闇に満天の星を仰いでいた。
そうすると何故か心が和んだ。
青は自然界で一番不変の色のような気がする。
自分には黒や白は色とは思わない。
よって色と言う限りは
虹の七色以外は考えない。
色の三原色の中で一番好きなのが
青と言う訳である。
赤は刺激が強すぎるし
黄色は落着かない気がする。
青は心を落ち着かせるのに
最も優れていると思う。

ボランティアと言う活動?

2007-01-21 | その他
週末から体調を崩してしまったようで
朝から頭痛が酷くて
布団から起き出す事が出来なかった。
お陰で何処へも出かける事無く
一日を過ごす事になってしまった。
午後になってからようやく起き出して
卵焼きを作って食べる。

一月ももう後半に入っているが
暗いニュースばかりが目立つ。
新聞もテレビも見たい物が無い。
これは自分がへそ曲がりだからでは無い。
日本人の倫理意識がどんどん希薄になっている。
金儲けだけに必死になっている者ばかりである。
人間としての夢や誇りは何処にも見えない。
金銭だけが生きがいの世の中なんて
幸せな筈が無いと思うのだが
これは自分が金を持っていない故のヒガミだろうか。

ボランティアと言う言葉がある。
これを勤労奉仕と思い込んでいる者がいる。
決して勤労であってはいけない筈である。
ただの自主的な奉仕活動が本来の意味だと思う。
勤労とは仕事の意味である。
仕事には義務と責任が伴う。
奉仕とはサービスの事であり、
決して強制されるべき物ではない。
会社でサービス残業と言う問題があるが
こちらの方にこそ勤労奉仕の言葉が似合いそうである。
これを公然と認めようとするのが
ホワイトカラーエグゼンプションなのだろう。

仕事をする事を社会奉仕と同様に扱うのが
果たして正常な姿と言えるのだろうか。
どうせ金を賭けない世の中にしたいのなら
医療や福祉活動から無償にして行く事が
一番効率的だと思うのだが・・・・









盗作疑惑の件について

2006-06-03 | その他
和田義彦氏とアルベルト・スギ氏の絵画疑惑について
新聞やテレビで報道されているが、
どう考えても和田氏の言い分には無理があると思われる。
何しろ真似たのが1枚や2枚では無いという事。
何十枚もの絵をそっくり同じ構図で発表する心理が判らない。
何より当のスギ氏が認めていないのだから。
幼児のぬり絵じゃあるまいし、他人のデッサンを
勝手に借用し色付けだけ少しアレンジして
それを自分の作品という方がおかしい。
仮にもし共同制作というなら
前もってその旨を明示して置くべきであろう。
芸術家の誇りという物が全く感じられない。
模写も一つの技術習得かも知れないが
自分の個性を発揮して初めて
一流画家の仲間入りが出来るはずだ。
和田氏の行為は芸術家としての精神に
欠けていると言わざるを得ないのではないか。
このような者に賞を与えた選考者や審査員も
もう少し広い視野を持つ必要が
あるのでは無いかと思う。



カメラの世代交代

2006-05-26 | その他
今日の朝刊記事の一面の記事内容である。
キャノンの社長が記者会見で
フィルムカメラの新規開発はしない方針を
明らかにしたとのこと。
市場はすでにデジタル主体に動いており
一部のマニア層を除くとニーズは少なく
新規開発のメリットは見出せないとの判断のようだ。
ニコンも今年からフィルムカメラからの撤退を
発表しているし、コノカミノルタも同様の動きなので
あと残っているのは富士フィルムとオリンパスだけか。
かつてモノクロからフルカラーへと変わり
一眼レフからバカチョンカメラ?まで
日本人の象徴とまで考えられた時代もあったが、
レコードやテープレコーダーが
CDやDVDに変わったのと同様に
全てはアナログからデジタルへ移行しようとしている。
時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、
何か寂しい気持ちになる。
自分も写真はあまり撮られるのは好きじゃなかったが、
それでも旅行や記念行事の時などには
無理やり仲間に誘われて撮ったものではあるが
いまや携帯電話もカメラ付属が当たり前になった。
それも2メガとか3メガピクセルの高画質である。
その上現像も不要でプリンターに繋げば
即何枚でも印刷可能で加工も自在な訳だから、
わざわざカメラ屋さんまで持ち込む必要も無い。
便利といえば便利だが
逆に後から手を加えるとどんな加工も出来てしまうので
虚構の世界と見分けも付かない危険もある。
芸術としては問題ないかも知れないが
真実を写しているかと言うと甚だ疑問が残るのだが。
古い人間にはどうしてもアナログな物に生物の温もりを感じ
デジタルな物にはどこか金属的な冷たさを感じる。
アナログには自然的な柔らかさを感じるし
デジタルは正確だが画一的な硬さを感じる。
仕事でも遊びでも一息つけるゆとりは必要であろう。
写真も正確さや綺麗さも必要かもしれないが
真実の中の暖かさも写し取れるような
そんな優しさを感じさせるような
人々に喜びを与えてくれる存在であって欲しい。
余談になるが自分は小さい頃
カメラという言葉が何故か嫌いであった。
写真を撮る機械だから写真機でいいではないか。
そう思っていた。
しかし大人になってからは
写真は全てが真実を伝えている訳ではないと
そう考えるようになった。
静物なら確かに自然のままだろう。
しかし動いている物は
写真ではその一瞬の断片でしかない。
映画のフィルムを一画面だけ切り取っても
細かい情報は見えないのと同じである。
だからプロのカメラマンは
一瞬の中に全てを写し込む事に命を賭ける。
静止した中に次の行動を暗示させる。
それがプロのカメラマンの使命であろう。
だから写真屋よりカメラマンという方が
よりプロフェッショナルな職業と
考えるように変わっていた。
あくまで自分の勝手な思い込みだけであるが。




李承晩ライン?

2006-04-22 | その他
今朝はしばらくぶりの土曜日休日だったので
いつもより遅く起き出して
新聞にじっくりと目を通してみた。
一面には例の竹島海洋調査計画をめぐる
日韓の次官会談の様子が載っているが
雰囲気は厳しいとの見方が強いようだ。
どちらも基本的には自国の領域と主張するのでは
平行線を辿るのは当たり前の話ではある。
国同士の折り合いが付かない場合は
国際会議の場での決着しかないと思うのだが。

「李承晩ライン」という境界線が引かれたのは
1952年の事だという。
当時の大統領が一方的に設定し実効支配を始めた。

人間は昔から民族同士で領地争いを繰り返している。
その点では、日本も例外では無いが
太平洋戦争での敗北以来、米国主導の道を歩んで来た。
自国の尊厳という物をを失っていた為、
アジア諸国との外交が疎かになっていたのは事実だろう。

しかし戦後60年以上過ぎている今、
いつまでも米国頼みも無いだろう。
経済関係は既にアジア主導になっている。
韓国や中国との協調無くしては
発展も望めない筈である。

しかし皮肉な事に両国とも
同民族同士が二国に分断されている。
中国と台湾、韓国と北朝鮮。
国の形態は違っても文化形態は似通っている。
何故同国人が対立し合わなければ成らないのだろう。
東西のドイツが統一されたように
両国も統一されるべきと思うのだが
やはり問題は国家権力者の利欲ゆえなのだろうか?

世界を見回すと何処でも紛争が絶えない。
その殆どが宗教と民族の違いである。
日本はというと、国としては神道だが
仏教もキリスト教も
その他全ての宗教を認めている。
何しろ八百万の神を信じる国民なのだ。
一神教の人種にとっては到底
理解不可能なようである。

日本人はその心の広さで
世界と協調出来れば理想なのにと思うのだが
外交手段については甚だ不得意な人種のようである。
斯く言う自分が一番非社交的人間なのだから
他人をとやかく言う資格も無いのであるが・・・





あなたはパン派?ご飯派?

2006-04-10 | その他
パンかご飯かと聞かれれば
基本的にはご飯と答えるしかないが、
自分はいつも朝食を食べていないので
現実的には無食派と言うべきかな?
でも休みの日には大抵は喫茶店へ行って
コーヒー飲みながらトーストが定番になっている。
となるとパン派と言った方が正しいかも知れない。
でもそれは朝でも昼でも無い中途半端な時間に
何となく休憩したいひと時の事であり、
食べたい物が無いからでもある。

本当におなかが空いた時には
やっぱりご飯物を食べたい気がする。
それでも自分は好き嫌いが多い方で
刺身や天麩羅は好きだが生野菜は苦手だし
寿司や納豆は嫌いなので
どうしても偏食になってしまう。

食堂やコンビニで定食や弁当を取っても
嫌いな物は食べずに捨ててしまっている。
それでも何とか生きてはいる訳だが・・・




オウム真理教教祖の裁判に思う

2006-03-28 | その他
日本という国はどうしてこうも犯罪者に甘いのかと思う。
加害者と被害者がある場合において、
優先的に保護されるのはいつでも加害者である。
しかも裁判にかける期間が限りなく長い。
日本人はまた凶悪事件を忘れる事も早いときている。
被害にあった当事者以外は半年もすれば記憶の彼方である。
この裁判にしても始まってからもう十年である。
一審の死刑判決からでも二年過ぎている。
集団で起こした事件をわざわざ一人ずつやるからいけない。
しかも首謀者が最後とくる。
このまま確定したところで実際の執行は何時になるやら。
刑務所は格好の別荘である。
しかも当人は一円も出さなくて良い。
すべて国民の税金で賄う事になっている?
医療費の心配も全く無いのだから、無我の境地で
痴呆でもよそおって弁護士に一任していれば
本人はさぞかし極楽気分ではないか。
こんな司法のやり方を変えようという動きも
あるようではあるが、何ともはっきりしない。
例の陪審員制度とかであるが
どうも日本人は自分の意思で人を裁くのは
出来る限り避けたいようである。
と言うよりは逆恨みを恐れたり
自分に関係の無い事でいやな想いをしたくない
と言うのが本音だとは思うが。
テレビの時代劇で「大岡越前」や「遠山の金さん」に
拍手喝采などはしてみても
自分が正義の味方になる気はさらさら無いのである。
いっそ被害者ばかりの集団から
裁判官と弁護士を選出してはどうだろうか。
江戸時代のあだ討ち制度の方が
よほど理に適っていると言うと
世間の目は野蛮過ぎると怒るかもしれないが。







PSE(電気用品安全法)問題に思う

2006-03-25 | その他
そもそもこの法律は何の為の制定だったのか?

必要性の観点から見ても不思議である。

だいたい製造物の安全は製造者の方で確認済の筈ではないか?

万一製造責任の事故が発生したとしてもPL法が有るではないか。

何故に電気用品に限って別に法律が必要なのだろうか。

ましてや販売ではなくレンタルなら適用外と言うのだから

なおさら不思議で仕方が無い。

今のご時世において電気を使わない物を探す方が難しい。

今回の処置は検査機器が行き渡るまでの猶予処置とか。

これがまたまた分からない。

検査機器って何処で作っているのだろう?

それって電気製品では無いのかな?

販売されることはないのかな?

そしたらそれも「PSEマーク」付くのかな?

それとそのマーク付けたとして

保障期間は何時までなのかな?

使用しないで何十年も放置していても

気が向いた時に使ったりしても大丈夫かな?

販売者の責任と購入者や使用者の責任を

何処まで明確に出来るのか自分には皆目見当が付かないが・・・

法律って所詮そんな物かも知れないが。





米国産牛肉の輸入再停止について

2006-01-21 | その他
昨年末にやっと輸入再開を始めたばかりの

米国産牛肉の輸入が、もう停止という。

そもそも何の為の停止期間の2年間だったのだろうか?

安全だという保障が確認された上での、

両国が納得の上の見解では無かったという事が、

明確になったと言う事だろう。

米国に強要されて断りきれなくなったので、

仕方なく輸入再開を決めただけの様に思われる。

双方が納得の行く確認や話合いをする為の時間も、

安全確保を検証する方法も対応する時間も

充分過ぎるほどあった筈である。

それが米国の検査状況の実態や

何の補償も確認せずに再開を決定しておいて

サンプル確認で混入が見つかってから、

いきなり再停止決定をするとは

あまりにも短絡過ぎるのではないか?

初めから安全確保の条件をもっと明確に指示し

確認の出来たものから輸入する様な対策を

お互いに確認しながら再開していれば

こんな事にはならなかったと思うのだが?

日本政府はもう少し国民を守る為の

国として責任ある態度を示して欲しいものである。

自分も外食が多い方なので

吉野家の牛丼が復活する日を

楽しみにしていたのだが

まだ当分の間、食べられそうに無い。





朝は何時に起きますか?

2006-01-14 | その他
事前に断って置くが、自分は目覚ましに時計を使った事は無い。
何故かというと目覚ましを自分でセットすると、
その30分程以前にしっかり目が覚めてしまうのである。

時計があろうと無かろうと、
自分で起きようと思った時間に15分前後の差で目が覚める。
小さい頃からそんな習慣?がしっかり身に付いている。

それは良いのだが、問題は冬の朝の寒さとの戦いである。
何しろ自分は寒いのが大の苦手である。

夜、布団に入るのは午前0時過ぎがいつものパターン。

正味睡眠時間は平均4~5時間位かな?
夏でも冬でも午前5時には目は覚めてはいる。

この時点で起きたと解釈すれば問題は無いのだが、
実際はこの後、布団から出て、顔を洗い、用足しを済ませ
服を着替えて出勤の仕度をしなければいけない訳で
これが全て終って起きた、と言うのであれば、
やはり起きるのは6時半と言う事になる。

それでもこの時間この季節の外は暗いままである。

それから車で50分かけての通勤となる。
もちろん朝食は抜きで当然の成り行き?
(大体目覚めて2時間は食欲が湧かない)
健康に良いとは思わないが
それでもたまの風邪以外は病気もしていない。

とても他人に勧める生活ではないが。

とりあえず初めまして―から

2006-01-04 | その他
そもそも自分のブログを作ろうと思ったのは
昨年の暮れに大阪の弟宅へ行った時に
ブログをどうやって作るのかと、色々質問され
相談に乗っている内に、それなら自分も作ってみた方が
話がしやすいかなと、単純に思いついた次第で
特別に意識していた訳では無いのだが
他人のブログやBBSを覗いているだけというのも
なんだかなあとも思われ、
日記を書くという事からも、もう大分離れているので

暇な時に気ままに書いてみるのも悪くは無いかと
考えた次第である。

全く無責任なきっかけではあるが
それも一興と言う事でまず本日ははここまで。