へそ曲がり人間の退屈な日々

独断と偏見で好き勝手に気が付いた事や言いたい事を綴る気ままな日記。

あるある大事典Ⅱの捏造問題に思う

2007-01-29 | 日記
捏造事件で放送休止になった番組であるが
そもそもダイエットという事にばかり
何故皆ながそんなにも拘るのだろうか。

本来食べ物は生きていく為に必要な物で
栄養素の多い少ないこそあれ
痩せる為に食べる物では無い筈である。
ましてやそれを販売促進の為に
わざわざテレビで紹介したかの様に騒いでいるが
医学番組でもない単なる実験的な娯楽番組に
そんなにむきになっても仕様が無いと思う。
まさか納豆会社からリベートを
貰ったと言う事でも無いだろう。

納豆が薬だったのなら仕方が無いが
唯の日本の昔からの一般食品である。
理屈から考えても食べて痩せると言う事が矛盾している。
納豆に毒がある訳でも無いし
食べて損をする物でも有るまいに・・・
納豆嫌いの人間が少なくなって
健康になる人が増えたと思えば安い物である。

痩せるなら栄養のない物を採るか
水ばかり飲んでいれば良いではないか。
それでなければ採った以上に運動して
消耗させる以外に方法は無い。

薬でも万人に共通に効く薬がある訳も無い。
人それぞれに個人差があるだろう。

不二家の消費期限切れや
細菌入りの食品を騙して売ろうとする事とは
完全に別次元の問題である。

問題と言うのならCMで紹介している
健康食品の効能の確認の方が
もっと真剣に考えていく必要があるだろう。

要は消費者が本当に正しいかどうか
自分の頭で考える事も大切である。





ボランティアと言う活動?

2007-01-21 | その他
週末から体調を崩してしまったようで
朝から頭痛が酷くて
布団から起き出す事が出来なかった。
お陰で何処へも出かける事無く
一日を過ごす事になってしまった。
午後になってからようやく起き出して
卵焼きを作って食べる。

一月ももう後半に入っているが
暗いニュースばかりが目立つ。
新聞もテレビも見たい物が無い。
これは自分がへそ曲がりだからでは無い。
日本人の倫理意識がどんどん希薄になっている。
金儲けだけに必死になっている者ばかりである。
人間としての夢や誇りは何処にも見えない。
金銭だけが生きがいの世の中なんて
幸せな筈が無いと思うのだが
これは自分が金を持っていない故のヒガミだろうか。

ボランティアと言う言葉がある。
これを勤労奉仕と思い込んでいる者がいる。
決して勤労であってはいけない筈である。
ただの自主的な奉仕活動が本来の意味だと思う。
勤労とは仕事の意味である。
仕事には義務と責任が伴う。
奉仕とはサービスの事であり、
決して強制されるべき物ではない。
会社でサービス残業と言う問題があるが
こちらの方にこそ勤労奉仕の言葉が似合いそうである。
これを公然と認めようとするのが
ホワイトカラーエグゼンプションなのだろう。

仕事をする事を社会奉仕と同様に扱うのが
果たして正常な姿と言えるのだろうか。
どうせ金を賭けない世の中にしたいのなら
医療や福祉活動から無償にして行く事が
一番効率的だと思うのだが・・・・









2年目の憂鬱

2007-01-14 | 日記
このブログを立ち上げて2年目に入ったが
相変わらず不定期な
やる気のない様な内容ばかりである。
継続は力なりと言う事も
自分の場合は余り当てはまらない気もする。
かと言ってきっぱり止めるのも気が引ける。

仕事の愚痴ばかりを書くのも嫌だし
政治の蘊蓄を語れるほどの知識も無い。
それでも駄文を書き続ける意味が
本当にあるのだろうか?

学生時代には学級文集に
よく駄作の詩歌や小説を書いた事もあったが
今ではそんな創作意欲も湧かない。
それにペンで書くのと
キーボードで文字を打つのは
感覚が全然違う様に思うのは何故だろう。
自分がアナログ的な人間だからなのか?
でもデジタルとアナログを較べると
どうしてもアナログの方に
人間的な温もりを感じる自分である。
正確で高速なイメージのデジタルに対して
曖昧で緩やかなイメージがアナログには在る。

人間としてはアナログ的な生き方が
一番幸せを感じられるのではないかと思う。
仕事はデジタル機器でこなしていても
生きるのはアナログでのんびり生きよう。
そうすれば憂鬱な気分も多少は和らぐ気もする。

尊属殺人

2007-01-05 | 日記
年明け早々から暗いニュースばかりが目に付く。
兄が妹を、母親が息子を平気で殺す事が出来るとは
家族という物の有り方が変わったのか?
他人と同じ、いやそれ以上に冷たい関係になっている?
これはやはり教育の問題なのだろうか。

外から見ると一見平和で裕福に見える家庭でも
中では醜い争いや憎しみが渦巻いている物なのか。
信じ合える者が家族で無いとしたら
社会の平和はどうやって成立させられるのだろう。

偉そうに言っても自分自身もそれ程良い人間では無い。
他人を傷つける気も無い代わりに
他人を助ける勇気も持っていないのだから。
家族の件にしても同様の事が言える。
親と一緒に過ごしたのは僅かに15年だけ。
自分が望んだ訳では無いが両親は離婚した。
親の生き方に文句を言える歳でも無かった。

これまでに幾度か両親を恨んだ事もある。
いなくなって呉れたらもっと楽なのにとも思った。
それでもどちらの親にも平等に接してきた心算だ。

永く入院していた親父が亡くなってもう十数年になる。
今、母親も身体の自由も利かず痴呆が進んでいる。
金の仕送りだけは何年も前から続けて来たが
母から一度も感謝の言葉を聞いた覚えも無い代わりに
泥棒呼ばわりまでされた事もいく度かあった為
自分もあまり母の所へは行かなくなってしまった。

今は何を言ってもこちらの意思は通じないだろう。
だが戸籍上は別であっても母親は母親である。
この先こんな状態が何年続くか判らないが
子供としての義務は果たして行きたい。




新年の挨拶

2007-01-02 | 日記
2007年のスタートである。
ちっとも正月らしさを感じないが
これは年齢を重ねた所為か
それとも旧式の正月行事が
無くなってしまっているからか。

昔は正月と言えば三ガ日は全ての仕事が
休みの所が多かったのだが
最近は元旦から営業中の所が目立つ。
そのくせ初詣や年賀状は無くならない。
自分は年賀状は虚礼でしかない気がして
あまり必要だとは思わないのだが・・・

顔を見ない知人に送るのは
相手が喪中かどうかの確認も困難だし
知ってる友人なら顔を合わせて
挨拶すれば済む事だから
わざわざ葉書を出すまでも無いと思う。

最近はパソコンでの賀状が増えたので
なおさら有難味が薄くなっている様な
味気なさを感じるのは自分だけだろうか。
挨拶だけの手紙や葉書は手書きにこそ
意味が有るのであり
用件だけなら電子メールが早い。
これは自分だけが面倒くさがり屋の
へそ曲がり人間だからかも知れないが・・・