へそ曲がり人間の退屈な日々

独断と偏見で好き勝手に気が付いた事や言いたい事を綴る気ままな日記。

米国産牛肉の輸入再開決定に思う

2006-07-28 | 日記
半年振りに再開した米国産牛肉輸入の件だが
相変わらず政府と米国の基準は不明確なまま。
安全に対する両国の意見がずれたままの状態で
なんで再開決定なのか疑問は尽きないが
所詮は今の政府には米国に強気な姿勢を取れない事は
初めから判っていた。
後は実際の消費者の判断に委ねようとの魂胆らしい。
国民が何を食べようが自己責任でとすれば
問題は全く無い訳である。
今更小泉総理に責任を追及した所で
何の解決もしないことは百も承知だが
せめて査察の詳細結果と合意の条件位は
誰にでも判るように明示して欲しい物である。

A級戦犯靖国合祀

2006-07-20 | 日記
昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に
不快感を示す発言をしていたと言うメモが
新聞やテレビで話題になっているが
何故、今頃になってという気もする。
自分も以前から戦死した兵士と
戦死させた首謀者が同じ場所に
祀られている事が理解できないでいる。
国の為に戦って亡くなった者は
神として敬っても問題はないが
戦争を仕掛けて敗北させた指導者が
戦死ではなく処刑されて神と敬うのは
どう考えても不自然だからである。
小泉首相のいう亡くなれば皆同じと言うのは
仏として供養する場合であって
国の英霊として敬う対象ではない筈である。
小泉首相はしきりと個人の心の問題と主張するが
他人への配慮を無視した行動は
どう考えても心のある人間としては認め難い。
他人への礼儀と忠節を態度で示してこその
心だと思うのだが
まあ小泉首相にとっては何を言っても
蛙の面に小便のようなものである。
他人がどんなに不快な思いをしようが
われ関せずでしゃあしゃあとしている。
首相をやめてからも
亡くなるまでせっせと靖国参拝を
してもらおうでは無いか。
それが彼の生甲斐なのかも知れないから。



住んでみたい所は?(トラックバック練習)

2006-07-09 | 日記
別に特別住みたい所がある訳ではないが
住んでいる所が良くなって欲しいとは思う。
最近、愛国心という言葉が気になるが
人間は生まれた場所や育った環境を
いつまでも大切にしたいものでは無いだろうか。
知らない処へ旅をするのは楽しいかも知れないが
住んで居心地が良いと感じるのは
やはり自分が其処に愛着を持てるからであり
其処に在るもの全てを好きになれるからである。
それには自分の育った環境が根本にあり
心身ともに温かく受け入れて貰える事が
安心感を持てるのだと思われる。
そう考えるとやはり自分は
都会より田舎が好みである。
自然の中でゆっくり出来れば
それ以上望むものは他にいらない気がする。


せっかく作ったブログだが

2006-07-01 | 日記
今年の初めから書き始めたブログであるが
ここの所、あまり書き込めなくなってしまった。
昔、手塚治虫や石森章太郎の漫画を読んでいた頃
毎週、よくこんなに色んな雑誌に連載が書けるものだと
感心していたものである。
どんな世界にも天才は居るものだと
今更ながらに思いが強くなる。
自分など何を書いても中途半端で
誰に向かって何を言いたいのか
さっぱり意味不明という気がしないでもない。
へそ曲がりと自負する限りは
もっと徹底した意見を述べたらどうかと
言われそうだがこれも無理な話。
せいぜい他人への嫉妬かぼやき節くらいなものである。
ぼやきでも何でも
続ける事が意味があるのか?
まあどうでもいいか?
所詮小市民が自己満足をしたいだけなのだから。