とらたまくろむうこと的生活

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怒涛のごとく過ぎた日々

2016年06月17日 | 母のこと
大変ご無沙汰しております

お正月以来とは。。。

もう
一年の半分が過ぎようとしていますね


去年の秋以降
母がぐずぐず言いながらも家で過ごしておりましたが
12月の中頃「誤嚥性肺炎」になってしまいました。

かかりつけの先生に
「薬を5日間飲んでよくならなかったら入院」といわれたのですが
薬が効いたようで、激しい咳が治まり
レントゲンを撮りなおしたら肺の状態がよくなってるということで

お正月を病院で過ごすことにならなくてヤレヤレ。。。



でも、食べる量は減ったまま、ゴロゴロと寝てばかり
歩けないというので
トイレまで、手を引いたり歩行器を使っての付き添いが必要となり

夜中や朝方にも起きて世話をするようになってました。




眠っている時に起こされると
朦朧として「またすぐに寝よう」と思うのですが

一旦からだを起こして動いたら、目がさえてしまって眠れなくなるのですよね。


そんなことが続いているうちに私の血圧が上がり
体調が悪くなってきました。



折しも
里帰り中の娘が
「どうせ、孫りんごがしょっちゅう起きるから私はほぼ起きてるので
夜中のトイレの付き添いを変わってあげる」と助け船を出してくれました。



そうこうしている間に

かかりつけの先生が
「共倒れになってはいけないから施設に入ったらどうか」と勧めてくださり

ケアマネさんに相談して「老人保健施設(老健)」に入れてもらうことになりました。




それが2月20日のことでした。
以後、毎日面会に行ってたのですが
私たちも夜眠れるようになって体が楽になり

母も
家では我がままを言ってたのが
施設で規則正しい生活と、3食きちんと食事をとるようになって
だんだん元気になってきてて安心していました。


施設で3か月ぐらい
歩くためのリハビリをして家に戻るという計画だったのですが。。。


ところが
入所してちょうど1か月経った3月21日の夜中(日付が変わって22日の0時半ごろ)
施設から電話があり・・・

(夜中に電話が鳴るとびっくりしますよね。ドキドキ。。。。)


母が胸が痛いというので救急車で病院に連れて行くからすぐに来てくれと・・・

寝ていた私(孫りんごがいるので朝が早いため)

慌てて飛び起き、服を着て
自転車で病院にかけつけました(自転車のほうが手っ取り早いんです)

着いたら意外と母は元気そうで普通に話をしていたのですが
救急で色々検査をしたら「肺のレントゲンを見ると白くなっている」とのことでそのまま入院。


夜中の3時半ごろ、私は一旦帰っていいということで帰宅。

(人気のない夜中に自転車で走るのは気持ち悪いですね)



入院したらいろいろ処置をしてもらえるだろうとちょっと安心して
(昼間は様子を見に行ったけど)

前夜寝てないので、0時ごろ寝入ったところ

また夜中の0時半に病院から電話が来て

「呼吸が乱れてるのですぐ来てほしい。何分で来れますか?」って

1回目よりも更にドキドキドキドキ


病室に入ると呼吸が苦しそうだけど
意識ははっきりして普通に話もできた。




入院するときに
<胃ろう>と<呼吸器>を希望するかどうか聞かれていて
母の意思で「どちらも希望しない」と伝えてありましたので

鎮静剤を使いますということになり

でも、いきなり強い鎮静剤は使わないみたいで一晩は苦しそうでしたが
翌朝からは鎮静剤を強めたため意識がない?(眠ってる?)ようでした。

で、そのまま3日目の朝に息を引き取ってしまいました

施設では
家にいる時よりは明らかに元気になり
膝のために体重増に気を付けるように・・・なんて言われてて

すぐに亡くなるほど悪そうには見えなかったのですが


肺炎で
あまりにあっけない最期でした。


続きます。。。



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