おこんばんわ~。
今日は、何の日でしょうw
1890年9月16日。
オスマン帝国の軍艦
エルトゥールル号は
明治天皇に親書を
奉呈し、
任務を終えて
帰路についたが。
夜半、
和歌山県串本町沖で
台風により遭難。
500名以上の、犠牲者を出した。
本日は。
大々的な、セレモニーが
行われる予定、
だったそうですが。
コロナのせいで。
縮小版で、
ちんまりと
式典は、終わったそうです。
しょうがないよね。
ご時勢が、ご時勢だから。
この、エルトゥールル号事件は
有名で
トルコでも、日本でも
知ってる人が、多いのですが。
もう一つ。
日本とトルコの
船、にまつわる
友情物語、がござんす。
平明丸事件、と
いうもの。
第一次世界大戦で
ロシアに捉えられて
シベリアに抑留されていた
トルコ兵の身柄は
日本軍の、ロシアへの
侵攻により
ロシアから、
日本軍へと、移された。
日本軍は、
1000人以上の
トルコ兵を
オスマン帝国に
送り届けることに決定。
1921年2月23日に
「平明丸」で
ウラジオストックから、出航。
しかし、
あと少しで、トルコ…というところ
エーゲ海で、ギリシャ軍が、
これを拿捕し、
トルコ兵の身柄引き渡しを
要求。
しかし、平明丸の
指揮官だった
津村諭吉中佐は
これを、断固拒否。
平明丸は、海上で
長期抑留されることに。
物資も底を尽きはじめ
病人なども、出始めた時
イタリアなどが
仲介に入り
1921年10月18日
平明丸は、アシナラ島に上陸。
日本人乗組員と
トルコ兵は、
ここで別れを告げる。
トルコ兵は、
イタリアに引き取られ
最終的に、1922年6月25日に
イスタンブールに、帰還した。
断固としてトルコ兵を
ギリシャに
引き渡さなかった
津村諭吉中佐、の物語は
「平明丸 母国トルコへ帰るとき」(vatana giderken)
という
ドキュメンタリー映画にも
なっている。
また、この
津村中佐の
勇敢な行動を称えて
イスタンブール、ベイコズ地区に
2020年の2月に
「yarbay yukichi tsumura caddesi」
として
通りの名前、にも
なった。
この他にも
トルコと日本の
友好物語は
あって。
イランイラク戦争時に
「エルトゥールル号の恩返し」
として
トルコ政府は
自国のトルコ人を
陸路、イランから
トルコへ帰して
トルコ人の代わりに
日本人を、
トルコ航空に乗せて
イスタンブールまでの
脱出を助けた、とか。
日本とトルコって。
昔から、
いろいろと
歴史上、関係が深い
みたいですな。
130年前。
言葉もわからない
小さな漁村の
村人達が
必死に、嵐の中。
トルコ兵を助けた、というのは
実際、本当に
大変だったことだろうな~と思う。
ギリシャ軍に抵抗して
トルコ兵を守った
中佐、にしても
根性座ってる、というか。
脅しにも、屈せずに
任務を
貫き通す、という
その態度。
かっこいいっすよねww
折に触れて
こういう話を耳にすると
何だか。
嬉しくなりますだw
いつか。
イスタンブールに行ったら
その「ストリート」
訪ねてみたいな、と思いましたw
本日もおつきあいいただいて
ありがとうございます。
ぽちっと応援
よろしくお願いします。
にほんブログ村
新着記事情報が届くwこちらも、よろしくw
今日は、何の日でしょうw
1890年9月16日。
オスマン帝国の軍艦
エルトゥールル号は
明治天皇に親書を
奉呈し、
任務を終えて
帰路についたが。
夜半、
和歌山県串本町沖で
台風により遭難。
500名以上の、犠牲者を出した。
本日は。
大々的な、セレモニーが
行われる予定、
だったそうですが。
コロナのせいで。
縮小版で、
ちんまりと
式典は、終わったそうです。
しょうがないよね。
ご時勢が、ご時勢だから。
この、エルトゥールル号事件は
有名で
トルコでも、日本でも
知ってる人が、多いのですが。
もう一つ。
日本とトルコの
船、にまつわる
友情物語、がござんす。
平明丸事件、と
いうもの。
第一次世界大戦で
ロシアに捉えられて
シベリアに抑留されていた
トルコ兵の身柄は
日本軍の、ロシアへの
侵攻により
ロシアから、
日本軍へと、移された。
日本軍は、
1000人以上の
トルコ兵を
オスマン帝国に
送り届けることに決定。
1921年2月23日に
「平明丸」で
ウラジオストックから、出航。
しかし、
あと少しで、トルコ…というところ
エーゲ海で、ギリシャ軍が、
これを拿捕し、
トルコ兵の身柄引き渡しを
要求。
しかし、平明丸の
指揮官だった
津村諭吉中佐は
これを、断固拒否。
平明丸は、海上で
長期抑留されることに。
物資も底を尽きはじめ
病人なども、出始めた時
イタリアなどが
仲介に入り
1921年10月18日
平明丸は、アシナラ島に上陸。
日本人乗組員と
トルコ兵は、
ここで別れを告げる。
トルコ兵は、
イタリアに引き取られ
最終的に、1922年6月25日に
イスタンブールに、帰還した。
断固としてトルコ兵を
ギリシャに
引き渡さなかった
津村諭吉中佐、の物語は
「平明丸 母国トルコへ帰るとき」(vatana giderken)
という
ドキュメンタリー映画にも
なっている。
また、この
津村中佐の
勇敢な行動を称えて
イスタンブール、ベイコズ地区に
2020年の2月に
「yarbay yukichi tsumura caddesi」
として
通りの名前、にも
なった。
この他にも
トルコと日本の
友好物語は
あって。
イランイラク戦争時に
「エルトゥールル号の恩返し」
として
トルコ政府は
自国のトルコ人を
陸路、イランから
トルコへ帰して
トルコ人の代わりに
日本人を、
トルコ航空に乗せて
イスタンブールまでの
脱出を助けた、とか。
日本とトルコって。
昔から、
いろいろと
歴史上、関係が深い
みたいですな。
130年前。
言葉もわからない
小さな漁村の
村人達が
必死に、嵐の中。
トルコ兵を助けた、というのは
実際、本当に
大変だったことだろうな~と思う。
ギリシャ軍に抵抗して
トルコ兵を守った
中佐、にしても
根性座ってる、というか。
脅しにも、屈せずに
任務を
貫き通す、という
その態度。
かっこいいっすよねww
折に触れて
こういう話を耳にすると
何だか。
嬉しくなりますだw
いつか。
イスタンブールに行ったら
その「ストリート」
訪ねてみたいな、と思いましたw
本日もおつきあいいただいて
ありがとうございます。
ぽちっと応援
よろしくお願いします。
にほんブログ村
新着記事情報が届くwこちらも、よろしくw