風のうわさ

気ままな私の独り言

行事

2017年12月23日 | 日記

年の瀬も迫ってきたが

プールもテニスも年末ぎりぎりまで練習があるという。

 

今日のテニスはヨネックスからコーチに来てくれ

若いエネルギーに引っ張られながら

練習に励んだ。 (ああ、疲れる~~)

 

 

 

 

考えてみれば お正月だからといって特別にすることもない。

初詣も実家への挨拶も、2,3日あれば済む。

 

 

しかしこのあわただしい気分は何なのだろうか。

そうか、 年賀状作りだ。

やらねばやらねばと思いながら

いつもぎりぎりになってしまう。

 

そして大掃除

毎日掃除しているのだからと思いながらも

押入れを開けたり、引き出しを開けたり。

(こういう区切りがあるからこそ

また新鮮な気持ちで新年を迎えられるのだけれども・・・)

 

絶対量の多さに捨てようと取り出すも思い出があり

またもったいないかな~と元に戻す始末。

なかなか量が減ることもない。

 

 

テレビで見る料理も片付けもなんだか調味料や収納箱が増える感じだ。

そうか、料理も片付けも才能の1つなんだ。

(つまり才能がないってことで・・・)

炬燵に入って本を読む。

これこそ冬の醍醐味だね。

 

 

 

 

~なんて言っていないで早く年賀状書こうっと。

 

 

 

 

 

 

 


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イザベラ・バード 漫画本

2017年12月20日 | 

11月初めにに日光中禅寺湖畔のイギリス大使館別荘に行った際、

友達がそこの本棚を見ながら

「イザベラ・バードは日光に来たことがあるんだね」と言った。

それに関連した本があったようだ。

 

 

結構テレビなどで取り上げられているイザベラ・バード

明治初めに日本に来たイギリスの女性旅行家くらいは知っているが

詳しくは知らなかった。

 

 

 

 

先日もう一人の友達が「イザベラ・バードの漫画本があるけど読む?」と

本を持ってきてくれた。

へーぇ、なかなか面白い。

 

 

 

そして日光や福島県の大内宿あたりのことも書いてあり

この仲間と一緒に大内宿あたりも旅したことがあったので

益々話が盛り上がった。

 

 

イザベラ・バードは5回日本に来ており

最初は明治11年に来ているようだ。

しかし今から140年くらい前の

日本の暮らしはまだまだ貧しく生きていくことが大変だったようだ。

 

バードは横浜から春日部、日光 そして大内宿 

阿賀野川を利用して新潟へ行った。

目指すは 蝦夷。

外国人の目を通して外から見る当時の日本が書かれている。

 

私たちでも知らない珍しい風習や文化。

たしかに不思議の国だろう。

 

お歯黒や少女の成人式「髪上げ祝い」

そんなものがあったのかと改めて知らされる。

そういえば子供の頃、乳飲み子に人前でおっぱいをあげているお母さんは

当たり前だった。

(いつの間にかいつの間にか忘れられていってしまうものなのですね)

 

 

 

大内宿は会津西街道ができると取り残され、

その為に昔の姿を現在に残しているところであるが

戊辰戦争で働き手が駆り出され、

そこに生きる人たちは

着るものも満足でないような悲惨な生活をしていたようだ。

 

 

 

何回か行ったことのある大内宿

私にとっては

かやぶき屋根がそろっている素敵な場所であったが

そのような歴史があると知り驚いた。

 

(今から20数年前友達と大内宿に初めて行ったとき

へ~ぇ、 こんなところがまだ残っているんだと大変驚いたが

ドンドン観光化され、 行くたびに駐車場が大きくなり

大型バスまで来るようになった。)

 

 

 

 

 

そして現在の私たちがいかに恵まれているか、と

再確認した。

 

 

 

今度はぜひぜひ

バードの著書を読んでみたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 


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いよいよクリスマス

2017年12月17日 | 日記

イタリア旅行から帰りやっと通常の生活に戻った。

 

葉物野菜をたくさん買ってきて

野菜炒めを作った。

 

次の日はトン汁

大根、ニンジン、ゴボウ、白菜をいれた。 あぁ、 おいしい。

旅行中、 葉っぱ類に飢えていた。

 

 

 

 

成田に着き、 時間があったのでお茶漬けを食べた。 

(まぁ、随分お上品なこと!)

あぁ、 おいしい~~。

 

 

 

 

さて時差ボケもあってモタモタしているうちに

峰町教会のクリスマス会だ。

 

この教会はプロテスタントでカトリックではないが

クリスマスを祝うのは同じだ。

 

 

今回聖歌隊として一緒に参加させてもらうことになった。

歌うのは「キリストの生誕から十字架にかけられるまで」そして復活

ナレーションを入れて30分近く7曲も歌うのだ。

歌詞にナザルの村とかゴルゴタの丘とかキリスト教関係者でないと

知らない言葉が出てくる。

 

この旅行でキリスト教の偉大なる力を垣間見た。

 

 

ここ日本で想像するのとは大違いのキリスト教の力。

人間のものすごい情熱を感じた。

 

 

 

 

 

🎶 世界で始めのクリスマスは 

小さな田舎のベツレヘム~

宿にも泊まれず家畜小屋で

マリアとヨセフの二人だけ 🎶

 

 

さてさて、どうか当日はうまく歌えますように。

 

 

 

 

 

 

 

 


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イタリア紀行8 最終日ナポリ・ポンペイ

2017年12月15日 | 旅行

いよいよ最終日6日目の今日は

自由行動

私たちはナポリ・ポンペイの1日観光を選んだ。

 

ローマからはずいぶん遠い。

 

地中海性カラ松やカプリ島をみて

中学時代の教科書に載っていた「カプリ島」をおもいだした。

~緑に燃える島よ~

歌詞は忘れてしまったが

そこの部分だけが出てくる。

あの歌のところに本当に来たんだと一人感慨深い。

ポンペイはまだ夏の花ブーゲンビリアが咲いており、

ここはかなり暖かいようだ。

 

 

 

 

ヴェスビオス火山で

ポンペイが埋もれ、発掘され

2000年前の様子が推し量られる。(ネロ皇帝時代)

パン焼き釜がありカウンターがあった。

石畳の道が作られ車輪の跡が残る。

(日本はまだまだ竪穴式住居)

う~~~ん、 

自然の驚異と人間の生活

興味深いものがあった。

(ゲーテ、アンデルセンも来たことがあるらしい)

 

 

 

そしてナポリ。

 

 

 

 

 

 

ローマ最後の夜は旅で知り合った仲間と

ホテルの隣のレストランで打ち上げ。

 

そこは巨大ファミレスのようなところで

西部劇を連想させるようなところだった。

アメリカナイズされたその店は出てくるものも巨大だった。

 

 

 

持ち合わせているユーロが残り少なくなり

カードを使うか持ち金ですませられるのか迷っていたら

なんとなんと残り80セントを残して終わった。 すごい。

 

最後のワインを飲んだ。

多くの人たちと巡り合い

みんなそれぞれにいろいろな職種を持ち

話を聞くと面白かった。

ドアマンのWさん、82歳 昔は化粧品メーカに勤めていたが70歳で再就職

今では名物おじいちゃんドアマンになっているとか、

岩手の精悍なSさん、 定年前はお巡りさんだったとか、 そして震災時の片づけ。

福島のHさん、 部品関係の仕事をしていて中国に進出、そして撤退とか。

皆魅力ある人たちだった。

 

 

 

 

(大した買い物もしないのに

あっという間に持ち合わせのユーロがなくなった。

きっと毎日の昼、夜のワイン、ビール代に消えてしまったのだろう。

そしてトイレもホテル、レストランを除いてはほとんど有料だった。

レストランの飲み物代とトイレ代はいつも気にしていなければならず

ちょっとそこが大変だった。)

 

 

 

それにしてもイタリアは過去の遺産が多く

宗教の力のすごさを感じた。

これらのものにいったいどの位の時間とお金が使われたのだろうか。

どれだけの情熱、執念があったのだろうか、

驚きの連続だった・・・

 

 

 

 

ではこの辺で

 

ボ・ナ・セ・ラ

 

 

 

 

 

 

 


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イタリア紀行7 ローマその2

2017年12月13日 | 旅行

5日目 午前中にチビィタ・ディ・バニョレージョを見てから

  

 

 

ローマへ向かった。

 

 

ヴァチカン観光

 

 

ここでミケランジェロのマリアを見る。ミケランジェロ24才の時の作品らしい。

寺院の中は荘厳さで満ちており皆静かに見学している。

益々キリスト教のすごさを感じる。

歴史の重みに息苦しいくらいだ。

 

 

 

それからスペイン広場、スペイン階段を訪れた。

あぁ、 ここがあの有名なスペイン階段ね。

「ローマの休日」をもう1度見てみよう。

 

 

 

トレビの泉にコインを投げて角のお店のジェラードを食べた。

先にチケットを買い求め(3ユーロ)、

それを出し2種類のジェラードを選ぶ。

これはとてもおいしかった。

 

 

 

そしてコロッセオ。

街の真ん中にある。これはよその街でも見た。

各街にあったに違いない。

チャールストン・ヘストンのあの場面が目に浮かぶ。

 

 

 

夕食はレストランでピザ

 

 

一人1枚ずつ出てきた。 とてもおいしいけれど完食は無理。

鮭のローズマリー焼きを食べていると

突然演奏が始まった。

「サンタルチア」や「フリクリ・フリクラ」

「タイム トゥ セイ グッバイ」などを歌ってくれた。

 

🎶サンタルチア~~、 ♬フリクリフリクラ~~と

知っているところだけを一緒に歌う。

みんなの気持ちが高揚し

益々場が盛り上がる。

 

 

 

 

 

 


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