チームはばタンの旅ラン日記

プー太の旅日記改め、
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朗読劇 『青い空に絵をかこう』

2008-01-13 | イベント
今日は、プー太ママと一緒に、朗読劇『青い空に絵をかこう』を聞かせていただきました。

これは、震災体験の朗読劇で、震災当時小学校1年生の子を持つ保護者前田さん(この作品を作られ、演出もされています)と、15歳のお嬢さんを震災で亡くされた担任の先生との文通。その小学校に通う生徒とその学校に避難してきた老女との文通。その老女が仮設住宅に移り、そこでお世話してくれていたボランティアの青年と、東京に残してきた恋人との文通。
この3組の会話劇が、うまく絡み合い、終始涙が止まりませんでした。

この小学校というのが、芦屋にある岩園小学校。今日 朗読劇を聞かせていただいたのが その学校の視聴覚室でした。
先生と文通していたお母さん役の方は、当時本当に文通をされていた方です。
そのとき小学校1年生だったお嬢さんが明日成人式を迎えるそうです。

小学校に避難してきた老女と文通をしていた小学生の男子役は、今現在 岩園小学校に通っている坊や(前田さんの演技教室に通っている子どもさん)です。(この子どもさんの朗読の上手いこと。朗読劇なので身振り手振りはないのですが、手紙のやり取りの中、おばあちゃんからの手紙の内容によって、表情が変わるんです。と言うのが、おばあちゃん役の方が朗読をしている間、本当にその手紙を読んでいるかのように、ニッコリ嬉しそうな表情をしたり、真剣な顔になったり・・・)この二人のやりとりでは、涙が止まらないと言うのを超え、嗚咽しそうになるのをやっと抑えました。

最初は、先生と保護者の文通から始まります。
三人の子供さんがいらした先生は、15歳のお嬢さんを失います。崩れた家から皆這い出し、埋もれたお嬢さんも見つけ出し、最初は、『こんな時にまだ寝てるの?!早く起きなさい!』って言うほど、安らかな 傷ひとつないお顔だったそうです。
ことの重大さに気付き、ご主人と人工呼吸をしながら病院に運んだんだそうです。
病院では、すでに何十人かの怪我人が手当てを受けていたそうです。看護師さんに指導を受けながら人工呼吸を続けましたが、医師がくるまでに諦めてしまったそうです。
それまでに肋骨が折れるほど人口呼吸を繰り返し、これ以上お嬢さんに辛い思いをさせてくなかったんでしょう。
手紙の中には、『娘は生きたいと思っていたかもしれないけど、自分が途中であきらめた』とありました。生き返って欲しい気持と、これ以上辛い思いをさせてくない気持。どちらも本当だと思いました。

先生との文通を通して前田さんは『母としての喪失感が痛いほど感じられた。「そのまま伝え、震災を語り継ごう」』と決意され、この作品を作り、たくさんの人たちに語り継いでいらっしゃいます。

二つ目のお話は、震災で家もお店(市場で乾物屋を営んでいた)も無くした一人暮らしの老女が、岩園小学校に避難していました。そこに通う子供たちが、避難者の方を励ますお手紙を書きます。その手紙は教頭先生が講堂の後ろに張り出してくださったそうなのですが、何故か個人的に男子宛に返事が届きます。
友達から、『お前だけ返事がきていいなー』と羨ましがられながら、その少年と おばあちゃんの文通が始まります。
お互いの生活のこと、市場の再建のこと等・・・ おばあちゃんのいない少年は、本当の祖母のように慕い、小学生とは思えないほどしっかりした言葉掛けをし、老女も その少年との文通だけが生き甲斐のようになっていきます。時には弱音をはいたり、昔の話を聞かせたり・・・
後になってわかったことですが、戦争の時に2歳だった子どもさんを亡くした過去があったんです。亡くなった息子さんと同じ名前だった少年に手紙を書いたんだそうです。
ご主人も震災の前に亡くし、お一人で乾物屋を営んでおられたものの、高年齢化・後継ぎがいない・スーパーにお客さんを取られるなどの理由で、市場再建はなくなったそうです。
そんな頃、西区(神戸市)にある仮設住宅に入居できることが決まり、会うと寂しくなるからと(少年は何度かおばあちゃんに会いたくて講堂を覗いたりしてたそうですが)結局一度も顔をあわさぬままのお別れでした。
これが最後の手紙と諦めていた少年に、思いもかけず おばあちゃんから年賀状が届き、再び文通が始まります。
クラスメートと一緒に、おばあちゃんや仮設住宅の人たちが元気になる歌を歌いに行くと約束し、お互い 初めて会えることを楽しみにしていたある日・・・

少年の元に、西区の仮設住宅でボランティアをしている青年から1通の悲しいお知らせが届きます。
やっと、仮設住宅の近隣の人や、ボランティアの人とも心通わせ始めたある日の朝、仮設住宅でお一人息をひきとっておられたそうです。
新聞やニュースでは『仮設住宅で老人が孤独死』と報道されていたけれど、ボランティアのお兄さんはそうは思わないと言います。
近隣から優しい言葉をかけてもらい、お隣の家族は『お願いやから朝になったらカーテンを開けてね。それが元気な合図やで』と頼み、それからは毎朝カーテンを開けるのが日課になったんだそうです。
だから、おばあちゃんは亡くなってすぐに発見されたんでしょう。
あまり気をゆるしてくれなかったおばあちゃんが、ボランティアのお兄さんに嬉しそうに、桜祭りの日に子供たちが歌をうたいにきてくれることを話し、少年と文通している手紙を見せてくれたんだそうです。
後に、恋人との文通で『一生で1番辛かった手紙を書いた(少年に老女の死を知らせる手紙)』と綴っています。

このボランティアの青年は、バブル崩壊後の証券会社でやっていけなくなり退職。その後 阪神淡路大震災を知り、自分探しのため?! すぐに神戸に向います。
最初は東灘区の小学校でボランティアをしてくださっていたらしいので、もしかしたら私たちもお世話になったのかも?!
東京には看護師の彼女を残してきた青年は、時が過ぎると共に恋人との温度差を感じ、自分探しも上手くいきそうで挫折し・・・ 葛藤の毎日だったのかもしれません。
最初は『立派だな』と送り出した彼女も、現実の神戸と報道でしか知らない東京人が見る神戸にギャップが生じ、『被災者の救援も大切だけど、自分のことはどう思ってるの??』と、だんだん彼氏にイラつき始め、不満が沸いてきます。
どんどん気持が離れ、このまま終ってしまうのかと心配していたとき、青年は神戸からの人口流出に歯止めをかけるべく、神戸で暮らす決心をします。
そのきっかけになったのが、お世話をしていたおばあちゃんが、亡くなる前日?!に『いつもありがとう』と、声をかけてくれたんだそうです。その眼差しがすごく優しくて、そのとき初めて自分は必要とされていると思い、自分に自信が持てたんだそうです。
何千人と神戸を離れていく人々・・・ そこに微力ではあるけれどプラス1になりたい。できればそれプラス1の方が・・・
と言うことで、すぐさま病院に辞表を出した彼女は神戸に・・・ めでたくプラス2になったのでした。今では子どもさんもいらしたら それプラス○?!かもしれませんね。

今日聞いたお話を、思い出す限り書き出してみました。足らずはプーママがコメントを入れてくれると思います。

17日で、震災から丸13年。
その時の状況によっては、思い出したくもない、忘れてしまいたい過去かもしれません。でも、後世に伝えることのできる(気持に余裕にある人)は、風化させぬよう語り継いでいかなくてはならないことではないでしょうか。

『命』の大切さ、『人とのつながり』の大切さを改めて考えさせてくれる朗読劇でした。

さて、自分には何ができるのだろう?!と考えた時、このブログで一人でも多くの人に知ってもらい、チャンスがあれば是非 この朗読劇を聞いてもらいたいとの思いで、記事にさせていただきました。