金魚cafe

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海南1890

2015-12-10 22:15:26 | 映画
トルコと日本の合作映画って珍しいですね。

私がトルコが日本に良い印象を持っていると知ったのはラジオからだったでしょうか。
明治時代に和歌山でトルコの船が座礁して乗組員500名以上が亡くなり、救助したのは串本の方たちだったということでした。

1890年オスマン帝国(トルコ)の親善大使が日本に向けて軍艦「エルトゥールル号」で出航しました。

目的は明治天皇に接見し、スルタンからの親書を送るというものでしたが、当時ヨーロッパが圧力をかけられていたため、それに対抗するためにはトルコは日本まで行ける設備と優秀な人材がいるということを示さなければならなかったのです。

無事に日本に行き無事帰ってくるというのが使命だったのです。

それでも長い航海何があるかわかりませんので乗組員は愛する家族と別れを覚悟して出発します。

エルトゥールル号の乗組員の名家出身の若き大尉ムスタファ、機関長のベキール、同じ年頃で片やエリートとたたき上げでライバル意識で火花バチバチしてたのですが長い船旅で友情が生まれました。

なぜエルトゥールル号が座礁したのかという原因があちこちちりばめられていましたが、日本で急病人が出て出立が遅れたためではなかったのだろうかと。

9月といえば日本は台風シーズン、今のように気象衛星飛んでるわけじゃないので台風は予測できないですよね~。

船を神戸港へとマストは折れるし、ボイラーは壊れるしと最悪な状態で乗組員が見た灯台の灯が和歌山だったのです。

そのころ和歌山では豊かではないけれどのどかに暮らしておりましたところに爆発音がして燃えてる船が。

座礁に関して適切な処置がとれたのはトルコの親善大使が来ているという情報があったからと村のお医者様田村センセー(内野さん)が英語が堪能であったこと、そして救助に当たった串本の村の人々の一人でも多くの人を助けようとする一致団結した行動でした。

このことが1985年のイランイラク戦争まで知らなかったというのはまあ困っている人を助けるのは当たり前のことでいちいち言うものではないという日本人の気質なのかもしれませんね。

テヘランで自分たちは陸路でトルコに帰るので飛行機に乗りなさいと譲ってくれたトルコの人たちの今度は我々がというのはジ~~ンときました。

エルトゥールル号の乗組員のムスタファ、機関長のベキールを演じているトルコの俳優さんがイケメンでした。(*´▽`*)