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猿翁アーカイブにみる三代目市川猿之助の世界(3)

2016-10-02 09:29:36 | 古典芸能
2三代目市川猿之助の仕事とうテーマで三代目、四代目市川猿之助歌舞伎の脚本演出を担当された石川耕士さんと市川笑三郎さんで進行していきます。

ここでは三代目市川猿之助さんがどんな方なのか、生い立ちからスーパー歌舞伎を立ち上げるまでを解説してくださいました。

私はざっくりとしか知りませんでしたが、三代目市川猿之助を襲名されたのが昭和38年5月23歳で襲名されました。

昭和14年生まれでまず團子→猿之助→段四郎と襲名していくのが襲名というのはとてもお金がかかるため、猿之助、段四郎を同等とし、猿之助を襲名したら次の世代は段四郎を交互に襲名すればよいと初代の猿之助さん(三代目のおじいさま)がお決めになられて当時は三代目のお父様も健在でしたので團子から猿之助まではまだなので猿之丞というのはどうだと打診されたそうですが、三代目の猿之助さんは当時23歳と若かったこともありそんな名前は嫌だとおっしゃったそうです。

猿之丞は嫌だけど雪之丞ならよいと。

そのため初代猿之助さんは猿翁を名乗られのです。

もし、順当に襲名されていたら雪之丞になっていたのが初代猿翁さんが倒れれられて急きょ猿之助を襲名され、初代猿翁がするはずだった「黒塚」を自分が代役すると申し出られました。

本来ならば23歳の若者に老婆を演じさせることはなく、おじにあたる市川中車さんが代役をするところを自分がと。

TVで四代目の「黒塚」を拝見しましたが、古いものだと思っていたら昭和14年が初演の新しいもので昭和14年生まれの猿之助さんには思い入れが強かったのではないかと。

私は前に他の歌舞伎の方のお話を聞いたときに自分に役が回ってきてから初めて教わることができると、将来この役をやりたいから教えを乞うというのはないそうです。

なので三代目猿之助さんはおじいさまに教えてもらえるわけもなかったのに、いつかはと思っておられたのですね。

観て覚えたと。

ここで古い映像の三代目猿之助さんの黒塚を観れました。

四代目とよく似ておられます。

なんか違う、上手く言えませんが三代目が観たのは初代の「黒塚」、四代目は三代目のであろうからその差なのではないでしょうか。

どちらも素晴らしい。

その差を「三代目の猿之助さんに半ズボンをはいてルフィをやれといわれても」という上手いたとえでした。

襲名披露の後おじいさまが亡くなり、その五か月後にお父様も亡くなった。

そのときの心中は悲しみと新しい自分のスタートが始まるという両方の気持ち。

新しいことを切り開いてきた三代目猿之助さんであってもおじい様、お父様が健在で新しい試みを止められればしたがっていたであろうから、誰に遠慮することなくやりたいことができるという気持ちの方が強かったのではないかと。

それに祖父、父という後ろ盾がいなくなると若い三代目にはいい役が回ってきません。

それならばとやりたいことをやる。

それで「義経千本桜」の宙乗り、「加賀見山」での早変わりと挑戦されて個人名で興行を打てるほどに。

映像はモノクロでしたが、それでもわあ~~~っ!!と客席からため息がもれるほどの素晴らしさ、きっと生で観たらもうポカーンと口を開けたまま見とれてしまいそうでした。

私の大好きな藤山直美さんが中学生時代に学校を抜け出して南座に通い詰めていたという気持ちわかりました。


そしていよいよ四代目の登場。

どんなお話をされるのか?


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