金魚cafe

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確証(10)

2013-06-17 22:08:14 | ドラマ
ずっと観ていたのになぜか感想を書かなかったのです。

なぜか?

よくできていて面白かったからです。

同じ今野先生の作品、原作も読んでその面白さは充分わかっていました。

ドラマ化してどうなるのか?

ずっと観ていました。

今野ワールドを壊さない作り方。

これってハンチョウの神南署シリーズを観ていた時もそう思っていました。

大きな組織として動くのじゃなくてそこに住んでる人たちが安心して過ごせる日常を守るため、一緒に悩んだり悲しんだりする。

警視庁安積班が悪かったわけではないのですが。

神南署安積班でやってほしかったことをハギさんと秋穂さんがやってくれました。

被害者、加害者のキモチを理解し、どうしたら一番いいか、警察官だから法を守ってみんなが幸せになれる落としどころをみつける。

それを毎回鮮やかにやってくれたハギさん。

やっぱりハンチョウも同じことをするかなと思いつつ観ていました。

ハギさんを演じた高橋克美さんが良かったのはいうまでもありません。

ずっと脇でドラマをささえていて、克美さんがいたからドラマが良かった。

そういう方に主役が回ってきた、いいことだと思います。

いきなり彗星のごとく登場してスターになっていく方もいらっしゃいます。

でもコツコツと仕事をこなして実績を積み上げてトップに登って行く人を応援しちゃいます。

確証もシリーズ化されると思いますが続けられるならこの雰囲気を壊さず大事にしていただきたいです。

蔵之介さんがハンチョウということで皆さんに浸透していったようにこれが克美さんの主演の代表作となればいいなと思います。

試飲販売イベント

2013-06-15 23:42:00 | 日記
地元の大型SCで佐々木酒造の試飲販売会が行われたので行ってまいりました。

今日は久々の雨、梅雨らしいお天気です。

うれしいんだけど今日だけは降って欲しくなかったなあ。

せっかく社長さんも来店されるというのに雨ではねえ。

仕事が終わってからSCに駆けつけました。

バスで10分くらいで行けるのでいつも電車で1時間半ぐらいかかることを考えれば今日はありがたいです。

蔵友さんにもお会いできてお酒のコーナーに。

コーナーのいちばんいいところに佐々木酒造さんのお酒がディスプレイされていました。

今回は古都、聚楽第、聚楽菊、美しい鴨川と白い銀明水などなど。^^



買ってまいりました。^^

これはほんのり甘く爽やかで夏にピッタリです。

これが出来た由来を社長さんから説明して頂いたとき、昔は3月で杜氏さんは11月までお仕事がない、その間はみなさん農業をされたりして農閑期にお酒を作るというサイクルだったので、それで良かったそうです。

だんだんと生活サイクルが変わって農業だけでは大変、でも1年中杜氏で働けない、なのでお酒作りがお休みの間にもできることをと生まれたのが白い銀明水。

夏季限定なのはお酒作りがお休みの間だけ作るからだそうです。

できるなら1年中頂きたいですが、冬は酒粕ができてそれで粕汁、甘酒と楽しみがあります。

なのでそれはそれで楽しめたらいいと思います。

明日が父の日ということで父の日のプレゼントにいかがでしょうというイベントで父の日より自分のために買ってしまいました。^^

丁寧に応対してくださった社長さん、こちらでは初めてのプロモーションだそうでいっぱい売れたらよいのですが。



シールも頂きました。^^

文・堺雅人

2013-06-14 22:21:22 | 読んだ本
堺雅人著 産経新聞社



2004年から4年間「テレビナビ」で連載されていたエッセイをまとめたものです。

平賀源内江戸の夢と文・堺雅人を落語と狂言を観に行った道中のお供にカバンに入れて電車の中、劇場で並んでる間読んでいました。

堺雅人さんが読書家であるというのは他の雑誌でもエッセイを書いてらっしゃるので知っていました。

読んでいるととても穏やかで淡々としていてごく自然な方に思えました。

文にすごくこだわっているのかなと思わせるところは題がほぼ一字であるということ、髭、鈍、品などをテーマにして簡潔にまとめているところです。

鈍というテーマでは「運・鈍・根」といい運が良くて、すこしボーっとしたところがあって粘り強いのが役者の心得と思いこんでいたというところで役者の仕事が急に泣き叫んでとか言われて何も考えずにその場でできないといけない。
そして何度も同じことを繰り返してやる、何時間もまたされることもある。

そんなところから役者には「運・鈍・根」が必要と思ったとか。

読んでる限り演ずるときに相手の要求に応えようといろいろな努力をされてるところもあり、文章では芝居が好きとかははっきりとは書かれていないけれど本当に芝居に真摯に取り組んでらっしゃるなあと思います。

ときどき他の本の引用も出てきますので本をよく読んでるというのもわかります。

お人柄が出ている本でした。


非常の人について

2013-06-13 14:51:17 | 佐々木蔵之介さん
昨日の杉田玄白が墓碑に描いた碑銘が間違っていましたので訂正させていただきます。

すいませんでした。^^;

「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常」

ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死するや

だそうです。


昨日のは行いこれ非常の部分が間違っておりました。

いくつになっても勉強しなくてはと改めて思います。

平賀源内 江戸の夢

2013-06-12 23:31:51 | 佐々木蔵之介さん
平賀源内 江戸の夢 稲垣武著 新潮社

先週狂言、落語&朗読劇に出かけましたが、私は出かけるときに必ず本を1冊持っていきます。

電車の中や待ち時間本を読むのにちょうどいいからです。

蔵之介さんの「非常の人何ぞ非常に」を観に行くので平賀源内さんと杉田玄白さんって実際はどんな感じだったのかと図書館で検索して選びました。

平賀源内とはエレキテルを発明したり、浄瑠璃の台本を書いたり、土用の丑などのコピーライター的なことをしていたのは有名ですが、この本の源内さんは鉱山を発掘したり、建築請負、政治のコンサルタントとあまり表にでないところを細かく書いています。

まえがきから日本で一番最初に西洋画で油絵を描いたのが平賀源内だというのを知ってびっくりしました。

それも神戸の洋館に飾られていたそうで今でも観れるのでしょうか。

平賀源内は今の香川県志度浦というところで生まれ、家は高松藩に使える武士で祖先は武田信玄のライバルであった家柄で紆余曲折あって今は高松藩の下級武士に至っていると書いてありました。

2人の兄が亡くなって家督を継ぎ栗林公園内の薬草園で働いていたところを藩主に目をかけられ本草学にすぐれていることから長崎に留学しその時の西洋の文化にふれた衝撃から江戸へ行きたいと思うようになります。

江戸で活躍できるようになったのは田沼意次との出会いと江戸が自由で消費社会であったということでしょうか。

8代将軍のときは節約で贅沢は禁止だったのが規制がゆるやかになり木綿のものしか着れなかった庶民も絹の着物をきて着飾れるようになり芝居、文学と盛んになりました。

このとき源内は芝居の台本や洒落本を書いたりと売れっ子作家であったり田沼意次のブレーンであったりと華やかな時期でした。

順調にきていたのに燃えない布を作りますと言って失敗、ここから人生は狂っていきます。

この失敗で大きな借金を背負った源内は鉱山開発で成功しようとしますが、これも失敗。

ここであまり出てこないのですが友人の杉田玄白と源内の違いについて書かれています。

源内は天才肌でなにをやってもそつなくできるのですが、飽きっぽいのか集中力がないのかコツコツと出来ないタイプで、杉田玄白という人は東北出身のせいか粘り強く何年もかかって解体新書を翻訳しました。

源内が藩を抜けて浪人であったのに対して杉田玄白は小浜藩の藩医であったので収入があったため山師のような仕事をしないで学問に専念できたのです。

最後は建築請負の仕事をしていてその見積もりの書類のことで相手ともめて怪我をさせました。

運悪く相手が亡くなったので牢屋に入れられ、切腹しようとして負った傷が破傷風になり享年53歳で亡くなりました。

牢内で死んだ者は無縁墓地に埋葬されるのを友人たちに引き取られ、今の台東区にある総泉寺に葬られました。

ずっと友人であった杉田玄白は自費で墓碑をたてて碑銘を書きました。

その最後にああ非常の人、非常の事を好み、非常是行う。何ぞ非常の死なる。源内の一生を書かれているそうです。

これが今回の舞台の題名であったなんて舞台も杉田玄白からみた源内さんなのだろうか、どんな非常だったのかと。

平賀源内がもっと後で生まれていれば、開国したあとだったならもっと違っていたのかなと思います。

エレキテルも実用にはならなかったようで見世物的なものだったので、もっと遅く生まれていたら日本にとどまらず世界に飛び出して行ったかもしれません。