書くこと
2019-02-27 | 日記
書くことについて
私は、ブリヂストンA工場で私に降りかかった一連の出来事を受けて相談した弁護士の方に、「裁判を今やるのはあなたが精神的に耐えられないだろう。」と言われました。以前弁護した障がい者労働者が、自殺未遂をした経験を話されました。「その代わり、あなたは書く力はあるから、書いて発信しなさい。」と言われました。もう1つの助言もあり、その通りにして現在進行中です。また、ある建築家のおじちゃんが新聞の切り抜きを持ってきて私に見せたこと(参照:不思議なおじちゃん)、DV被害者である中島幸子さんの本「マイ・レジリエンス」を読んだこともあります。
書くことは、私にとっても必要なことです。風化させないよう記録として。同じ思いの人と共有するために。でも辛く苦しい作業です。私の体調を思って、書くな、療養に専念しろとも言われます。
そのジレンマの中で、書いています。
もう1つのこともしています。
私が療養滞在していた場所で、子ども達と出会って生涯忘れない時間が過ごせました。
ブリヂストンに何十年いても決して訪れることはない楽しい時間でした。
私がピアノ弾くと子ども達が歓んではしゃぐ中、静かに鑑賞している子がいました。将棋がめちゃくちゃ強い子です。
「弾いて」とリクエストしてくる曲も「亜麻色の髪の乙女」や「ラ・カンパネラ」など大人びていました。
お別れの日に彼はこっちを向いてくれず、何も言葉交わさずすっきりしないお別れになってしまいました。
でも、私はあの時の子どもたちと絶対また会うと予感しています。
建築家のおじちゃんが、その準備を着々としてくれています。
ピアノと将棋盤のある素敵な空間で、また会って楽しく過ごしているのがはっきり見えます。