「不寛容の時代」と言われていて、元日の西日本新聞でも、高橋源一郎氏と中村文則氏の対談で話されていました。
高橋 「複雑なものを複雑なままで理解しようとする試みが文学だ」
「今一番怖いのは単純化です。それは右と言われてる側だけではなく、どちらの側にとっても。」
この不寛容さは思想・立場の属性を問わず、私も感じています。
例えば、ヘイトでも排外主義でもなく、現実を言ったことに対して激しい批判が沸き起こり、炎上となります。
私には、この発言のどこがヘイトなのか、排外主義なのか全然わからなくて、その発言はただ現実を言っているだけなのに
一目散に、直線的にヘイトだとか排外主義だとか騒ぎ立てる。認知的不協和にすぐに陥る人達のことです。
議論に乗せることができなくて(関連:どんな意見も議論に乗せる)、反射的、短絡的に即判断するこの態度は、まさに
不寛容です。パンパン!というあの即行性は、一体どこからくるのか。どうしてそうできるのか。
また、期待していた追従の言葉以外の声に対して、自分に楯突いたとか歯向かったとかメンツを潰されたとか
捉えて、反射的報復としてその場かぎりの言い返しをしたり、揚げ足取りの言葉狩りをしたりするのも
まさに不寛容で、幼稚で、鬱陶しいです。 題目化すると思考が凝り固まる
tiny container
卓球をしているのではないのに、気に入らない言葉(認知的不協和にすぐ陥るゆえ)に対して反射的に打ち返す。
その打ち返しは、的外れで噛み合っていなくてすりかえでしかなくて、個人的感情をその場で処理しているに過ぎない。幼稚
※卓球の写真
お鍋にごぼうという具材を入れている人に対して、そのごぼうをはね返してくるような
ぐつぐつコトコトと煮て作る料理の鍋に酒を入れている人の手をひねりつぶしてくるような。
これが私の見た「不寛容さ」の一片です。
これと対照的なのが、「 間 がある」 とこのブログで表現してきた態度です。 認知的不協和 混同しない分別
器というと評価がましいけど、器というので意味は合ってる。忍耐強さというのも、なんだか演歌っぽくて。
即座に瞬間的に決めつけない態度 もちこたえる態度 醸成していく態度 反射的ではない態度
これを表す言葉を探しています。フランス語とかにありそうですが。英語で思いつくのは tolerance,broad-mindedness
「複雑なものを複雑なままで理解しようとする試み」(高橋源一郎)のことです。この態度は、知性の絶対条件だと思います。
この態度がなければ、知性があるとは言えない。
今の時代は、この「間」が失われている。昨今、右左イデオロギー問わず吹き荒れている現象を指した言葉、不寛容です。