不寛容の時代の続き。私の大学時代の友人で、政治的活動をしている男性がいて、その組織の
中堅的な存在である彼の言っていた言葉が、印象に残っています。
「うちの(組織の)若い人達でも、やっぱり新自由主義の影響をもろに受けていると感じる」って。
その政治的組織は新自由主義に反対していて、構成員たちもその立場です。でもそこの若い人達は
新自由主義の影響をもろに受けているって。
不寛容の時代で書いた、短絡的な即断 卓球みたいに反射的な反応 直線的な解釈 といった不寛容は、
新自由主義的だと感じます。コスパ 効率 能率 生産性 ミス ーーー定規で線を引いたような思考。
シンプルというのがもてはやされて、「シンプルに考えよう!」「世界はシンプルにできている!」などと断言的に謳った
本が出回っている時、違和感がありました。深遠なる自然界は、複雑で多様であり、シンプルとはかけ離れていて、単体で
独立して始まり終わるものなどなにもなく、すべて互いに関係、影響、作用し合っている。すべては絡まり合っている。
それは人間社会も同じ。その世界をカッターナイフみたいに直線的に切り刻むことは思慮浅く、高慢。
There are so many counterexamples in that Simple theory. .. 浅はかなプラグマティズム
深遠なる自然界には、直線や四角形は存在しない。
私は、この不寛容の社会現象には、ネットのSNSも大いに関与していると思います。私もブログ書いていてなんですが…
TwitterやFacebookなど。これらは新自由主義的なツールであり、その思考の伝播を大いに担うものだと思います。
狙っていたかは知らないですが。これらSNSのツールにおいては、短い字数制限の中で、真理っぽいこと、
本当のことっぽいことを書いていきます。そしてそれは、っぽいというか、本当のことであり、真理である。
(※嘘とかデマもあるけど) でも本当のことや真理はたくさんあって、その中の一部です。殆どの諺には反対の意味の
諺があります。 虎穴に入らずんば虎子を得ず ←→ 果報は寝て待て ←→ 善は急げ ←→ 急いては事をし損じる
例えばTwitterで短い文章でクリアに歯切れよく書かれた文章は、実に気持ちがよく、真実であるけれど、それは
断片であるというのが本当なのに、ああいったコミュニケーション文化では、そのことに触れずに、純度100%に澄み切った
言論が同じ仲間同士でなされ、洗練し合ってより研ぎ澄まされ先鋭化していく。それは、美しくて清らかだけど、
森のように複雑に絡み合った世界から、かけ離れていく… だから、正しいけど正しくない みたいなことになってしまう。
超賢いけど超ばか みたいになってしまう。
安心安全地帯での純粋培養で先鋭化している中では、それに反する(と早とちりした)発言に対して
認知的不協和に陥り、即ブロックするなど。おちょこの器。このような現象はネットのSNS上だけでなく
周囲(世の生活者)とかけ離れていることがカルチャーとなっているような運動体とも重なる。
その閉塞性と排他性により内部でクレンジング(浄化・粛清)が起きる。カルト化した状態。
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Twitterなどのコミュニケーションツールが新自由主義的であり、まさにその平面的な言論空間の中でいかにも
新自由主義的な不寛容が吹き荒れている。だから、ネットも程ほどにしないといけないねと友達と話しています。
コピーライティングの手法(詐術)は、真理っぽいこと(あるいは無数の真理のうちの1つ)を、短い文で快活に書くこと
です。(だいたい、そういうのはおかしいと思って正解なのです。映画のプロパガンダでも常套的な手法です)
聴いた人の印象に残り、脳内に植え付けることができます。無数の真理のうちの1つを。 調和
このブログをみなさまに見て欲しいのですが
ネットは要注意だと思います。