実家を改装するにあたり(親のお金で)、母と一緒に、婆ちゃんの遺品の整理をしています。たくさんのお風呂敷、布袋、ナイロン袋、手紙、葉書、写真、日記、帳簿、手縫いの服、手作りのレースなど…
婆ちゃんのは捨てちゃいけない気がして、
「捨てないで とっておいて」と言っています。だから整理が進まない。
私の物なら捨てていい物がたくさんありますが、昔の人の営みを知らせるものは、捨てちゃいけないように思えて。今の時代に失われた大事なものが感じられ、重みが違います。
親族からの心のこもった葉書とか手紙とか。絵が描かれている葉書もあります。何を食べたとか書いてる日記とか帳簿とか、どれも一生懸命書いた筆跡です。手作りの服も。
これを学者っぽく言うと、新自由主義に侵される前の、生活の丁寧な営み
というものだと思います。
流行には流されない方だと思っていたけれど、婆ちゃんの遺品を見ていたら、自分も時代の扇動する考え方やファッション感覚で、婆ちゃんのような生き方を蔑ろにし踏みつけにしてきたことに直面します。
婆ちゃんの遺品はどれも清らかで、捨てられない。捨ててはいけないように思います。
足止めをする私に家族はうっとうしげですが、その代わり、私の物はふんだんに捨てていいと思えるので、私の物を捨てようと思います。
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私のことをなぜか「ジョン」と呼んで可愛がってくれた滅多に会わない東京の叔父さん(婆ちゃんの弟)がいたんですが、彼から婆ちゃんへの手紙に「よかジョン達に囲まれて」とあるのを見つけました。母に訊くと、ジョンとは嬢のことを差す方言だと初めて知りました。そんな巡り合いがあるから、捨てられない。