婆ちゃんの遺品で思い出したのですが、私の実家は、叔母たちが過ごした実家でもあります。
お盆に親戚が集まって、宴が終わって思い思いに過ごしている頃に、私がピアノでベートーベンの「月光」1楽章を弾いていると、縁側の背もたれ椅子に座っていた叔母が涙していました。耳納連山を眺めながらその曲を聴いていたら涙が出てきたと言いました。
なんとなく弾いたピアノで思いがけず叔母が涙したことは、私に音楽の力を教える経験となりました。
今私は精神症状を抱えて生活しており、社会の歯車としての能力を発揮することができなくなりました。でも、こういう形での役割はできるかもしれないと思っています。おじいちゃんお婆ちゃんの為にピアノを弾いて、喜んでもらえると思います。私も昔の曲で好きなものがたくさんあります。
ただ、自分がいいと思う曲以外弾いてはいけないと思います。
年配者が喜ぶ曲(例えば愛燦燦とか川の流れのようにとか)は適当に弾くことができますが、好きでもないのに弾く場合、スナック菓子のように薄っぺらい演奏になってしまいます。いくら心を込めた風に弾いたとしても、自分がそれを好きでないことは自分にはごまかせないことです。それでもかれらは喜ぶかもしれないけど、そういう演奏は失礼だし、お互いにとって二流の経験だと思います。
だから、誰を相手にする時にも自分がいいと思う曲しか弾かないようにしようと思います。
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小学校の時全校朝会などで校歌を歌うのですが、ある日、新しく赴任して来た女の先生が校歌の伴奏を任されたらしく、はりきってしていました。その演奏に度肝を抜かれ今でも忘れられません。全部フォルテッシモで、即興で(多分)アレンジして、非常に勢いのあるものでした。そのアレンジは音楽的には全然カッコよくないし、繋ぎ部分でいちいちしゃしゃり出て合いの手を入れてくるのが面白いのですが、堂々と、疾走感たっぷりに弾かれている圧倒的な姿勢が印象に残りました。