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土俵に乗る罠②

2019-04-26 | 社会・政治のこと

凡庸なる悪 土俵に乗る罠の続きです。

その土俵に乗った上で最適化した人が「有能」「優秀」と言われたりします。

その土俵の中で最適化しない人がぼんくら扱いされたりいじめの対象となったりします。

でもその土俵自体が歪んでいたり、一方的な暴力をはらんでいる場合

その中で自分を最適化するということは、共犯者としてその土俵を強化することです。

それを拒むという選択をした人をバカ者扱いできるのは、その土俵の中でしかものを見れない人であり

安易に判断ができるのもそれゆえです。

私は、真に有能な人とはその土俵自体なにで成り立っているかを見る人だと思います。

構造的暴力をはらんでいるなら見抜いて、その中の弱者に対して思いやりのないことは言わないです。

その土俵自体を全く見ないで、その中で最適化している人は有能だとは思いません。ただ要領がいい人。自分さえよければそれでいい人。

外的規範がないところでは、何も自分の感性で考えられない damn fool(とんでもないバカ)になる人。


真に優能な人は、どんなに複雑に絡まった構造でも丁寧に紐解いていくことを惜しまない。

  


優れた哲学者には、数学者や科学者が多いことは腑に落ちる。

とても注意深く丁寧に紐解いていく。あちこちにしかけられたトラップ、トリック、ごまかしも通用しない。

 学はなくても感性で見抜く人もいる。



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