新自由主義的なコミュニケーション 不寛容の時代 の続き。
思想・立場の属性を問わず、不寛容の嵐が吹き荒れている件について。
誰かの発言をうけて、「排外主義だ」とか「ヘイトだ」とか反射的、短絡的に即判断する態度、パンパン!というあの
即行性のことです。私には、この発言のどこが排外主義でヘイトなのか全くわからなくて、事実を冷静に言っている、
共感できるものだったりします。AからBに急に飛ぶ ジャンプするのは、一体どこからくるのか。どうしてそうできるのか。
端から端に振り切れる解釈もです。例えば、猛々しい口調に対して意見が入ると、今度はやたらと
慇懃無礼な話し方をしたりあるいは「慇懃な言い方もできるけど」などと言って面目を保とうとしたり、
過激なやり方に対して意見が入ると、今度は急にサラリーマン的な感じを装ってみたり、
二元論ではないのに二元論にして、その誤った前提における片方の端に振り切れることを押しつけたり
極端なんです。激しい or 慇懃 の二択ではないのに。目覚めた人 or 目覚めてない世の人 ではないのに。
なんで、どっちかになるのか。 foolish
寛容と言うと、「まぁ許してやれよ」みたいなニュアンスがあって、「許す」というのは
違う気がして、ふさわしい言葉はないでしょうか。
即座に瞬間的に決めつけない態度 もちこたえる態度 醸成していく態度 反射的ではない態度
「複雑なものを複雑なままで理解しようとする試み」(高橋源一郎) のことです。
そういう思慮姿勢を面倒くさがって極端に走ることは、思想・立場の属性問わず、日本の社会を悪くしています。
違うものを、粗い思考で一緒にすることは分別がないし、 Kuso and miso are not the same.
いわば、新自由主義的なんです。そういう卓球してるみたいな態度は。
その立場や思想の大枠に賛同する人達が集っている組織でも、そういったfoolishな考えをするならば
せっかく仲間に入った人が、ほとほと嫌気がさして去って行くようなことになってしまいます。
そして、その不寛容な極端さこそが、大きな問題だと考えます。そのような人は、どんなに知識をひけらかしたところで
教養がないと思います。 Real intellectuals never lean on any ideology.