ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。

中和

2019-08-20 | 障がい者のこと

私は自閉症spと診断されたのですが、自閉症は先天性の発達障害とされています。

私は、後天的に発症した可能性を除外してはいません。

後天的に自閉症によく似た特性を呈することは、慎重で思慮深い臨床研究を行ってきた一部の精神科医から

言われていて、これは自閉症に限らずその他の発達障害においても言われています。

安易に発達障害と診断する誤診も横行しています。(関連:強迫性症状

 

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私は幸い、親や友人や仲間達に恵まれ、かれらは私の特性を否定したり見下したりしません。

だから、ブリヂストン勤務中に向けられた「雇ってもらっているという意識を持って欲しい」

という発言にはとても驚きました。こんな言葉を向けられたのは初めてでしたから。(関連:東京で出会ったADHDの青年

 

そんな恵まれた承認的環境だからこそ、私は自分の自閉症の特性を乗り超えたいと思うことができています。

自分の自閉症性、弱点、足りないところ、対峙すべき命題を 見ることが出来ます。

それは、私の特性を承認されているからこそできるという 逆説的な背景があります。

関連画像  「ステンドグラス 長崎」の画像検索結果 

関連画像  認めてもらえているからこそ、弱点に自ら対峙できる。


この現象に似ています。ある日、家族で外出して帰宅して家に入ろうとすると家の鍵が見当たらず、

探しても一向に出てきませんでした。「疲れているから早く家に入りたい!」と私は切望しました。

母が、普通そこから入らんやろみたいな所から泥棒的に家に侵入して、玄関を開け放ちました。

すると、私はさっきまでの切実な思いが吹き飛んで、心おきなく鍵を探し続け、車内の俄かには見つけるのが困難な場所に

挟まっているのを見つけることができました。いつでも部屋の中に入れるという状況になったら

落ち着いて、探すことができました。人の欲求は、状況的に余裕があるかないかでこんなにも左右されると実感しました。

 

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大好きなジャーナリストが書いた本を読んでいて、自分の自閉症は、後天的に「発症」した類ではないか

と再度思いました。わかりませんが… そしてその原因は、親の育て方とか家庭環境とかではなく

日本の社会  そんな仮説を持っています。

 

その本に、中和の哲学のことが書いてあって、これは道教(タオイズム)の考えです。

建築の本ですが、その分野はもちろん、他の様々な分野で、中和がない日本の惨状が書かれてあります。

そうさせたのは、巨大な利権やそれにおもねる政治力だと説明されています。

私が対峙すべき命題も、中和なような気がします。自閉症性は、いわば、これが苦手な特性。

そしてこれは途中からそうなったようにも思います。感覚でわかっていることを、「合理的思考」で否定する過程に馴らされてきたように思います。世の中を制覇している「合理的思考」は正しそうな佇まいをしていて声高で、そのやわらかで声のか細い感覚を、ぶった斬ってくるからです。

 

自閉症性は、日本あるいは世界を嫌なものにしている支配者層から、誇大によきものとして発信され利用されている節がある。

中和を欠いた極端な状態が礼讃される。歴史上の「偉人」伝におけるエピソードとか。

私が嫌いな生きづらい社会を構成するなにかと、私の自閉症性に親和性があることを感じます。私は自分の特性を、時々危険視しています。

 

建築家のおじちゃんはよく、「調和」とか「おさまりよく」という言葉を使われ、そこに大事なものが

隠されている気がして、彼の話を興味深く聴いています。

 

関連画像 やさしい人達から承認の眼差しを浴びているからこそ、自閉症性の弱点に向き合える。



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