※主題が下の方になってしまいました。
不寛容の時代 より以下、抜粋。
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これが私の見た「不寛容さ」の一片です。
これと対照的なのが、「 間 がある」 とこのブログで表現してきた態度です。 認知的不協和 混同しない分別
器というと評価がましいけど、器というので意味は合ってる。忍耐強さというのも、なんだか演歌っぽくて。
即座に瞬間的に決めつけない態度 もちこたえる態度 醸成していく態度 反射的ではない態度
これを表す言葉を探しています。フランス語とかにありそうですが。英語で思いつくのは tolerance,broad-mindedness
「複雑なものを複雑なままで理解しようとする試み」(高橋源一郎)のことです。この態度は、知性の絶対条件だと思います。
この態度がなければ、知性があるとは言えない。
今の時代は、この「間」が失われている。昨今、右左イデオロギー問わず吹き荒れている現象を指した言葉、不寛容です。
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辺見庸さんが相模原やまゆり園障害者殺傷事件のインタビューでこう書いていました。
「さとくん」は、暴力に突き進んだ時の論理を、「そうではないのかもしれない」と保留することができなかった。何かを保留すること、抑制するには骨組みのしっかりした知性が必要です。それは「世間」や「社会」に同調せずに「個」として生きようとする態度にも関わる。生き方における峻厳さが問われることです。
京都新聞.pdf(click)
宮台真司氏が対談で触れていた、西洋の古い思想における「自分の視点と神の視点を分けて考える態度」
にも通じると感じます。
人間が傲慢にならないためには、このような「 間 」が必要で
それがなくて狭い考えの中で最適化して突き進んでいくことは、自分では頭がいいつもりでも
とても愚かで不恰好な様だと思います。damn fool そのような人達が、限定的な「生産性」で人間を測って
生きる価値のあるなしを決めるのを見るとブーメランで返したい気持ちになります。
実際に生産性のないあなたからどうぞって。
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「ハートウォーミング」の擬装 さすが辺見庸さんです。「ハートウォーミング」な可愛げのある
障害者としての立ちふるまいを期待(実質の強要)されて、それに乗らなかったら、一歩はみ出たら
排除されることは、たくさんの障害者たちが言っていることです。そういった欺瞞を辺見さんはすぐに暴いてくれます。
私も「障害者」の立ち位置でいる場所で、同じことを思いました。可愛げのある障害者でなければならないのです。
その空っぽな予定調和の偽りの均衡の上で成り立たされる関係が、「怖い」って 障害者の集まりとかで共感しあって言っています。
(関連:障害者の「異議あり」)
そのハートウォーミングはわりとすぐに爆発する時限爆弾です。