パラリンピックの宣伝が嫌いです。
ブリヂストンをはじめとした、企業によるパラリンピックの持ち上げは
非常に押し付けがましく、うるさいです。この感想を同じくする人達は少なくないです。
障がい者がスポーツをやる分にはなんとも思いません。パラスポーツをやっている人達ではなく
その持ち上げられ方、宣伝のされ方に意図を感じ、違和感があります。
「障害があるにも関わらず」とか「障害をものともせず」とか「障害を乗り越えて」とか
「障害者でも障害に負けずにこんなに頑張ってるんだ」とか
そんな発想で、同じルールの下で競い、不可能を可能にする姿、限界に挑み、超える姿を賞賛します。
でも、そういう発想こそが、障害を障害たらしめている社会の考え方なんです。
前、ハートネットである男性障がい者も同じことを発言したらしいです。
パラリンピックは、障がい者にも健常者にも、生きにくい社会をより一層支えるものだと思います。
パラリンピックの賛美のされ方は、ある一方的な考えを押し付けてくるものです。
「弊社では、障害を社会モデルとして考えております」と主張するブリヂストンですが、
実態はそれと大きく乖離していましたし、パラリンピックを賛美し宣伝している時点で、その主張に中身がないことがわかります。
障害を社会モデルとして考えている人が、パラリンピックを奨励したりはしないんです。自己矛盾していますから。
またダイバーシティを本当に目指している人も同じく、パラリンピックを賞賛したりはしないです。
うまく言えないのですが…。また説明ができるようになったら、投稿いたします。
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私はオリンピック自体、全く興味がないですが…。
人を一律に競わせていい、人の能力を一律に比べて測ることができるという 誤ったメッセージを世界に広めていると思います。
体重とかでクラス分けしてるじゃないかという話じゃないんです。一律の罠については、今度投稿いたします。
すべての人に一律な消費税やたばこ税、酒税、人頭税(=定額税。所得の多寡にかかわらず人間単位で同じ税額を課す)
は逆進的(=所得が少ない人ほど税の負担率が高くなる)です。竹中平蔵氏は、人頭税を理想として導入に言及していました。
他にも色々、オリンピックに含まれるメッセージが好きではないです。
ブリヂストンがスポンサーとして声高に宣伝しているメッセージです。
あと、一律に比べて測るという土俵にとりあえず立ったとしても、オリンピックは適当です。
競泳で、プールの真ん中のコースを泳ぐ人と、端っこのコースを泳ぐ人が、同じ条件下にいるとはとても考えられないです。
オリンピックもそうですが、パラは輪をかけてです。
同じルールの下で、障害を乗り越えて、限界に挑み、超え、不可能を可能にする障害者の姿を賞賛することは、明らかにイデオロギー的です。そういう考えを自明のものと植え付けています。これはダイバーシティとは真逆の考えであり、一方向の生産性、優生思想に通じています。
ブログ主さんと同じ理由ではないかもしれません。
こういうこと言うと差別的なおかしい人と非難されそうでおおっぴらには言えませんが。
オリンピックもあまり好きではないけど、オリンピックはまだ最高峰の肉体の限界を見たいという気持ちはわかりますが、パラリンピックは障害というすでに損なわれた肉体で最高峰に届かないのにその上で観客を入れて競わせる、意味がわかりません。
障害者が健康や娯楽のために仲間内で運動することはいいと思います。それ以上の範囲に広げて、興味ないのに健常者に押し付ける、押し付けがましさが嫌です
どちらも同じオリンピアンなのに。