私の慕ってやまないジャーナリストがこう言っていました。
”人間は、情報の動物だ。インプットされた情報によって右にでも、左にでも、自由自在に動かせる。
つまり、人間を支配するには、情報を支配することが要諦だ。情報さえ支配すれば自由に大衆をコントロールできる。”
本当に、そうだと思います。 (関連:感覚のへし曲げは誰かの利益に繋がっている 台風の目)
そして彼らの書いた本や、真実を突いている素晴らしい言論に触れることで、感覚の逆流を戻すよう誘われます。
もともと、感覚でちゃんとわかっていることを、感じていないことにして、大きな圧力によって吹き込まれた
不自然な考えに塗り変えるーーこの、感覚が逆流している状態を、正常に戻すというものです。
それは、ただ、逆流をやめるというものです。
本来の感覚は、一瞬で、声が非常に小さいし、吹き込まれてくる考えは、声高で「我こそ正しい」然としています。
声の大きさは圧倒的に、後者の方が大きいのです。「説得力」もあります。
でも、本来の感覚は、賢明であり信頼すべきものと思います。
合理性、機能性、成果、能力 生産性…
これらの言葉は、ひどく限定的な意味で使われているのに、
そのひどく限定的な意味について言わないまま、正しい顔をして色んな所でのさばっています。
合理的 合理的… なんの合理的
機能性 …なんの機能
能力 …なんの能力 (参照:「コミュニケーション能力」)
成果 …なんの成果
生産性 …なんの生産性
協調性 …なんに対する協調性
素直 …なんに対して素直
反抗的 …なんに対して反抗的
心をこめて …誰の心
… それらを言わないで、これらの言葉は刃物のようにふりかざされる。
心をこめて歌いなさい 「その歌は歌えないことにこそ、心が宿ってる」 Bravo… You are authentic artist.
尊敬しなさい 尊敬の気持ちは 人に強要されるものではない
誇るべき我が国 誇る気持ちは人に強いられて持つのではなく 誇れるなら自然に黙って誇る
自発的に進んでやりなさい ? 忖度しなさいと言うべきでしょう。 「先生、自発的にやりました!!」「うむ その主体性こそが大切です」 ahoka
人にそれらを強要することが、情けなさみっともなさを露呈している
心は込めろと言われて込めるものではない。内発性から出てくることは言われるまでもなく心が宿ってる。
嘘をつく時 わざわざ強調して言う I do love him!! 一切ありません!! 絶対に!! 存在しません!!!←すべて嘘だった… ブリヂストン甘木工場の吉田品質保証課長の言葉 彼とのやりとりは苦痛でたまらず頭痛がしていた
私は、尊敬できるなら自然にするし
信頼できるなら自然にするし
賛同できる空気なら、喜んで協調するし 加担するし 加勢するし (自閉症spに協調性がないとは、当を得ていない)
そんな場所なら自然に笑顔になる。
内から出てくる行動は、誰に言われるでも見せるでもなく やる。
賛同できない空気に加担しなかったり おかしいことをおかしいと言ったりすることを
コミュニケーション不全というかれらがコミュニケーション不全。
かれらのいう「コミュニケーション」は、コミュニケーションではない。常に、一方的だもの。こうしろ ありきだもの。
それ以外認めない。そういうのはコミュニケーションではなく、ただの力関係、暴力構造。
それを「コミュニケーション」などと、詭弁も程ほどにされたい。寒いぼが立つ。
本当に、粗末な詭弁が「世界的大企業」で横行している日本は、低レベル過ぎだと思います…
私は、真の 合理性、機能性、成果、能力 生産性… について考えたいと思っています。
少なくとも、今 カッターナイフのように振りかざされているそれとは程遠いものです。