ここのところ趣味の話ばかり書いていますが、不調でうつが強くなっています。
フラッシュバックは毎日起きています。
::::::::::::::::::::::::::::::::::
政治の劣化、行政の劣化、日本人の劣化については、昨今絶望感をもって言われている通り、
私も同感です。そのことで、今日は朝から体調が悪い。
私が感じる日本の劣化を、文章に書いてみます。乱れた拙文ですみません。
それは、中身がない ということです。
hollow inside
時流に乗って「多様性の受容」「ダイバーシティ」「企業の社会的責任:CSR:Corporate Social Responsibility」「支援」「合理的配慮」などと、社会的に素晴らしそうな言葉を掲げて至る所で滑走させるけど、中身がない。
これはCSR推進企業としての自己宣伝高らかなブリヂストンもそうだったし、企業に限らず、行政や公的機関でも同じで、標語だけ尤もらしく言い、体裁だけ万全にとるが、中身が空洞で、その正体が露呈するのは時間の問題であるということです。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
の自己宣伝:
多様性の尊重 | 人権・労働慣行 | CSR | 株式会社ブリヂストン [PDF] 人権・労働慣行 - ブリヂストン CSR・コンプライアンス | ブリヂストン行動規範
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
あるのは、やってる感 やってるアピールに精を出す上辺の取り繕いだけで、その中身がありません。
専門家としての立場にいる人にも量産されています。
例えば、障害者や性的マイノリティなどに関する法律の専門家を自称している人にも、知識だけあるけど中身がない人のことです。その中身とは、これだという言葉が思いつかないけれど、志 とか 動機 とかそういったものです。例えばその人が障害者に関する法律の専門家で、知識を持ち日々事例を扱っているとしても、なにか 一番大切なもの がない というもので、今の日本にはそういう人々がかなり量産されています。
私の敬愛してやまない湯浅誠さんなどは、その真反対に位置する、中身がある人です。彼の兄は重度の脳性まひの障害者で、子どもの頃彼の自宅にはボランティアのお兄さんお姉さんたちが来ていて、彼とも遊んでもらっていたそうです。彼は兄のことで様々な経験をし、様々な思いをして生きて来られました。
他にも、私の知っているおじちゃんで、学校災害をなくす運動をしている人がいます。それは、彼の息子が小学校で掃除の時間、窓拭きをしている時に窓から転落して死に、その時の学校の対応が卑劣で、二重三重に辛い思いをしたからです。真面目なその子は、窓の汚れを拭くために身を乗り出して頑張ったと思われます。
他にも、いじめ自殺遺族がいじめ自殺をなくす運動をしていたり、性暴力被害当事者や身近な人が被害に遭った人が、性暴力をなくす運動をしていたりします。それは、志、動機に突き動かされてやっています。
でも、それがなくて、知識や事例の扱いで「専門家」だと臆面もなく自称する輩がいます。
「私はこの分野のプロなのですよ」という風に、マウントを張ってくる輩です。
私はそういう人を厚顔無恥、傲慢、しかも漏れなく無能だと思っています。
「専門家」「有識者」だと憚らず自称して相手にそう「わからせ」ようとアピールする人に、
実際に専門家として優秀な人を見たことがないし、傲慢な人が優秀であることはありえませんから。
両立しないことです。
本当の専門家、本当の有識者とは、志、動機に動かされてやっている人です。
当事者こそが専門家 当事者こそが専門家② 性暴力被害を相談する相手 私の相談員さん Japan's secret shame 支援者の方々への感謝
一番大切なものがないまま、いくら知識や事例経験を積み上げて百戦錬磨のプロをきどってみても、
その人は無能なままです。心がないとだめなんです。
( )×0=0
そういう、中身がないまま知識や事例の扱いの実務経験だけで専門家、有識者きどっている人が
今日の日本では量産されていて、そんな人が、大事な決定や判定をする立場についていて、
無能な判定が量産され、当事者たちが二次三次…と際限なく傷つけられています。
0どころか、悲惨なマイナスを社会に垂れ流しています。
劣化した人達が、大事な判断を下す立場にいるのです。
もし、知識ならあるけれど、心がないことを自覚していて、そこを弁えているならまだ随分と
マシです。例えば、私も性的マイノリティの生き辛さについては、共感としてはわからないです。
だから、そういう場に参加した時に、学ぼうとし知ろうとしても、どこか自信のなさはあります。
当事者にしかわからない。アイヌのこと、沖縄のこと、肢体不自由者のこと、モラハラ被害者のこと
セクハラ被害者のこと、当事者でないと、心からわかるのは難しい。それを、
中身がないのに知識や処理経験だけで「専門家」「有識者」だと自信満々なのが、極めて危険
だと言っています。そういう厚顔無恥で傲慢な人達が、大事な判断を下す立場にいたりします。
とても恐ろしいことです。志も動機も、熱意もない人が、専門家きどりで大事なことを
決めるポジションに就いています。
この、劣化した人間による劣化した判断は、日本中で、被害当事者や遺族たちの血しぶきを
上げています。傷に更に傷つけ、更なる被害を派生させています。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
この日本の劣化について、色んな言論人たちがずっと昔から指摘していて、それを言う様は
半ば絶望を漂わせています。どうして、こんな輩が量産されて、ポジションに就いているのか。
それは、教育のせいだと思います。
中身がないまま、学校で成績よくテストでいい点を取り、受験に成功してきた人達が
知識や実務経験だけで、一番大切なものを持ち合せていないことを弁えすらせずに、
浅ましく処理をしている。例えば障害者と、実際に生活の中で深く交わったり関係をもち、
考えたりする体験などすることなく、障害者関連の法律の「専門家」になったり、
行政機関などでの障害者対応員、「支援」員になったりしています。
行政の職員の異動が激しい状況下では、先月まで全く違う部署で違う業務をしていた人が
突如、障害者対応係になったりして、その人にはなんの素養も理解もなく、(俄か研修を
受講したくらい)ただオロオロしてキョロ目で対応している、という現象が起きます。
「粗相」に過剰に怯え体裁だけ丁重に取り繕いながら「障害者の方」を対応しています。
こういう惨状が生まれるかどうかは、自治体の方針によって変わります。
このような悲劇が起こらないよう、窓口には素養や理解の深い上質な職員を置き
そうでない人を置かないようになっている自治体もあります。首長が決める指針のまずさ
による被害は、場違いな役割を突如被らされる職員と、なによりも相談当事者にモロに来ます。