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ゴシックの本質

2020-10-01 | 社会・政治のこと

療養施設で、「ゴシックの本質」を読みながらメモ書きしていました。

県立図書館への返却期限が来たので、途中になってしまいました。

折角メモしたので、中途半端ですが載せました。


 



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ゴシックの本質   ジョン・ラスキン著   The Nature Of Gothic  by John Ruskin


P30 それゆえ、キリスト教がその礼拝に呼び出すあらゆる者に対しておこなう勧告はこうである。「あなたのできることをおこない、できないことは素直に告白しなさい、失敗を恐れて努力を怠ったりせず、恥を恐れて告白せずに押し黙ってしまわぬようにしなさい」と。そして建築のゴシックのもっとも称賛すべき点は、彼らが下級の人びとの労働の結果をそのように受け容れていることではあるまいか、そしてそのような欠点だらけの断片から、手を入れたすべてにおいてその欠点を隠さずにあらわしつつ、彼らは荘厳にして非難の余地のない全体を悠然と立ち上げるのである。

 

だが現代の英国人の考え方は、万事においてその性質に対応する最大限の完成度もしくは完璧さを強烈に欲する点でギリシア人のそれと共通するところが大きい。これは理屈のうえでは高貴な特徴だが、物にはその性質自体に相応の威厳が備わっていることをわれわれが忘れてしまい、より低い性質の完璧さのほうをより高い性質の不完全さよりも好むようになってしまうと下劣なものと化す。その際に考慮されていないのは次の点である。すなわち、そのような基準で判断してしまうなら、あらゆる野獣はその機能と種類においていっそう完全であるから人間より好ましいということになってしまうはずだが、それでもつねに人間より劣っているとみなされている。同様に人の作品においても、その種類においていっそう完全である作品は、その性質においてより多くの過失と欠点を犯しがちな作品と比べてつねに劣っている。というのも性質が繊細になればなるほど、その清澄さをとおしてますます多くの傷が目に入ってくるからだ。そして最善のものが最善のかたちで見えることはめったにない、というのがこの宇宙の法則なのである。野草は毎年たくましく丈夫に育つが、小麦はより高度な性質を備えているものだから、それに応じてひどい虫害にかかるきらいがある。それゆえ。われわれが見たりおこなったりする万事において完璧さを希求し、そのために努力すべきではあっても、狭い意味で完成された低級なものを堂々と発展しつつあるより高貴なものの上位に置くべきではない。取るに足らぬものを、それがなめらかだからといって傷のある荘厳さよりも高く見積もってはならない。下劣な勝利を名誉ある敗北よりも好むべきではない。成功の自己満足をより確実に楽しめるようにと自分が目標とする基準を下げてはならない。しかし、なかんずく他者の精神を扱う場合に気をつけるべきなのが、厳格な要求と些末な注意をおこなうあまり、それをしなければ高貴な結果に至ったかもしれない努力を抑制してしまいかねないということである。さて、

 

尻切れトンボ

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ところで、今日は中秋の名月ですね。   

 

 

 

 


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