このブログを経由して、ブリヂストンでいじめ、パワハラ、雇い止めに遭って精神疾患を発症した人達などから共感の声が
寄せられています。氷山の一角だと書かれています。その人達は、ブリヂストンを相手に闘っているのでしょうか。
それとも、ただこういうブログを読んで応援することで心を落ち着けているのでしょうか。
殆どの人は、泣き寝入りしているのだと人に言われました。
:::::「人間を幸福にしない日本というシステム」 カレル・ヴァン・ウォルフレンより抜粋::::::::
シカタガナイという言葉を知るずっと以前、日本人のおとなしさ(docility=御しやすさ)には面食らったものだった。
日本人は日常生活で必要以上の我慢を強いられているように見えた。ほかの先進国ではまず受け入れられるとは思えない
生活条件を押しつけられていたからだ。
よく通った中間階級向けの食堂で、いつも出される食事のまずさと量の少なさには驚きっぱなしだった。
喫茶店で、ソフトドリンクを1瓶注文したつもりなのに、瓶からはちょっぴり注いだだけで、ほとんどは氷で埋まった
グラスが出された時は、さすがに怒ったものだ。
当時の外国人仲間で、それぞれが目撃した、ひどい扱いをされても何も文句を言わない日本人の驚くべき実例を、
あれこれと話題にしたものである。私たちは、顔を合わせれば、日本人の「受け身で受け入れる」態度について語り合っていた。
後になって、この態度には自尊心がからんでいるとわかってきた。いちいち騒ぎ立てないのが大人の態度であり、
私たち外国人のように文句ばかり言っているのは、子供じみていて自分勝手で、やっかい者の最たるものだと考えられている
のが次第にわかってきた。成熟した大人の日本人なら、ひどい扱いもこれを許し、静かに耐えることによって、
互いを受け容れ合うというわけだ。
日本には昔から、仕方がないと言えるようになれば成熟した証拠だとみなす伝統がある。
(中略)
私たち外国人は、こんな詐欺まがいの商慣行を顧客として中止させる能力が自分たちにないなどと、どうしても
容認できなかった。食堂や喫茶店のほかの客も私たちの抗議に加わってくれれば、イカサマ商売はやめさせられる
というのが私たちの考え方だったのだ。
日本の市民の生活環境としては不幸なことに、徳川時代の全体主義的な政治体制が、今日もまだ幅を利かせているのである。
日本が市民の国となるためには障害になるに決まっている生き方が、いまだに正しいとされている。
(中略)
この言葉があるから日本人たちは、今日も政治的な檻(political cage)のなかで暮らしていると考えられる。
「シカタガナイ」のひとことの力が、その檻の格子をいよいよ堅牢にし、その扉をしっかりと閉ざし続けている。
「シカタガナイ」という言葉が、家庭や職場での、また大学や役所での日常的な政治的議論の結論になっているかぎり、
日本人がよりよい暮らしを手に入れる可能性はほとんどない。
自分の人生をより自由に生きたいと思う市民は、「シカタガナイ」という一句を自分の辞書から追放した方がいい。
しかし、そうするためには、まず勇気が必要だ。
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私の出会ったカナダ人青年も、上に出てくる外国人の一人で、同じことを言っていました。
日本人の、明らかに不当な扱い、理不尽に対する驚くべき受け身、なすがままのことを。
彼は、賃貸アパートの敷金のうち少ししか返却されずに、その明細内訳を求めても渡されなかったので
訴訟(少額訴訟になります)をして、返還されています。殆どの日本人は、泣き寝入りするところですが
彼には、訴えて明細を開示させ返金させることは当たり前の行為だと言います。
日本人でも敷居が高い訴訟をそのカナダ人は言語も違うアウェイの地でサクッとやりました。
訴状が来た大家さんはびっくりしたでしょう。「こんなこと今まで一度もなかったのに」って。
私も大学時代に2年間住んだマンションを退去した時、30万前払いした敷金が8万しか返ってこなくて
「あれ?少ない」と思ったことがあります。煙草もしないし、特に何も汚したり破損したりしてなくて
普通の感じで住んでいただけなのに。でもそれを追究することはせず、「そんなものか↷↷」とおさめました。
そのカナダ人の態度は新鮮で明快で、みずみずしく映り、見習おうと思いました。
他にも日本人でもそういう態度の人達に割と出会ってきて、その時には澄んだ気持ちになり勇気をもらいました。
「シカタガナイ」と理不尽を受け入れる多数派の日本人の態度ではなく、そういう人達の態度を吸収してきたと思います。
自閉症spの特性ともそっちの方が非常に親和性が高いでしょう。
今でも、真正面から向き合って闘っている人を知ると、勇気をもらい、応援しています。
そして今の私にとっては、明らかに不条理な扱いを「シカタガナイ」とおさめることの方が、難しいことになっています。
みなさまにも、そういう仲間になって欲しいと希望しています。市民がゆるさないことにより、不正ができない社会に
していきませんか。今は、市民が(市民とは言えないでしょう)なすがままに受け入れているからやりたい放題の社会に
なっています。そんなこと、あんたに言われなくても常日頃やってるよと言う読者の方には、失礼しました。