老後の暮らしは
いわば私的ホスピスです
死は近いうちに迫ってくる
その事実を日々の暮らしの
真正面に据えて
日々をしのいでいくのです
ホスピスは
まだ少し生きられる人たちが
その時間をどう生きるか
を
施設としてポジティブに
提供しようとするものなのでしょう
そして自分一人の
一人ホスピス、つまり一人暮らしの
老女の私は
他人に頼ってではなく
今は自分の家で
静かに「一人ホスピス」を経営?しています。
でも
これはなかなか
難しいことです。
残された時間に
「希望」や「意味」を
見出そうなんて
おこがましいと
思ってしまう
このネガティブさが
情けないけれど
いかにも「希望」があるかのように
振舞うのも欺瞞めいてます・・・
さてさて
今日という1日が少しでも
「生きた」意味のある日となるのかでしょぅか
・・・・
たとえ一本でも
庭の草を引いたらそれは
「意味」のあることなんでしょうか
それとも
「意味」があるかどうかは
自分で勝手に決めるものなんでしょうか
自分が自分の裁判官なんでしょうか
だれか教えて。