人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

小さな覚悟

2015年07月21日 | 日記
梅雨が

あけました。

ミンミン蝉も

鳴き始めました、

いつもなら

さっさと

涼しいところに住む

息子のところへ

逃げる

老婆の私

今年は

もう

覚悟を決めました、

逃げるのは

やめて

ーーま、息子が

悲しまない程度に

少しだけ行くけれどーー

ーー悲しむかどうかーー

この酷暑を

引き受けて

やろうじゃないか

熱中症ぎりぎり

になっても

なんとか

「一人」で

生きていこう。

「一人」が

にんげん

もともとの

姿では

なかったろうかと

そう思って

覚悟を

決めた

梅雨明け

でございました。

ちょっぴりうれしい

2015年07月20日 | 日記
ちょっぴりうれしい

ニュースを

見ました。

それはなんと

あの

石破氏が出ている

番組で

「日本から電柱を取り去る」

という話。

ああ、

やっと。

やっとですね。

ヨーロッパの

どんな田舎に行っても

電柱がないのを

老婆は羨ましく

思っていました、

明治の初めの

「近代化」の過程で

日本人は

「日本の自然」を

容赦なく破壊して

電柱は

自然より

美しいとでも

思ったに違いありません。

やっと

電柱の醜いことに

気がついたみたいで

老婆がまだ

生きている間に

実現はしない

だろうけれど

そこに目覚めた

ということだけでも

わかって

ちょっぴり

うれしいニュースでした。

「ちょっぴり」

というわけは・・・

まあ

これが実現するのに

また百年くらい

かかるんじゃないか

とか

莫大な予算が

地方の役人の

だれかが

また

私腹を肥やす

タネにする

のかな、なんて

邪推する

から

なんですよ・・・

ある夢想

2015年07月19日 | 日記
老婆が昔

過ごしたある内海の

ほとりの話です。

学校帰り

道端からすぐ

渚におりて

ちゃぷちゃぷと

波を踏みながら

歩いた思い出

自然は

子どもの心に

やさしく

語りかけていたものでした。

ところが今は

すべて湾沿いに

コンクリートで

固められていて

子どもたちが

渚におりることは

できません。

海は遠くなりました。

老婆は夢想に

ふけることが

あります・・・

日本じゅうから

コンクリートがなくなって

縄文時代みたいな

自然になったら

どんなだろうなあ

なんてね。

ほんとに

縄文、弥生時代

いや

江戸の終わり

までは

日本の自然は

身近にあって

どんなに

豊かだったろうなあと。

もちろん

災害を防ぐために

コンクリートは大事と

いうけれど

こんなコンクリート時代でも

災害は大きく

日本を襲い続ける

のだったら

同じじゃないのと

老婆はなお

明治維新以前の

日本の自然を

夢想する

のでした。

京都ばなし(その5)

2015年07月18日 | 日記
はるかかなたの

大昔

老婆がまだ

若かったころ

京都はやっぱり

夏は暑く

冬は底冷え

でありました。

そして夏

老婆のなかでは

32度という

数字がくっきりと

記憶されておりまする。

「ああっ、32度なんて!!」

というわけです。

ところが今は

32度はあたりまえ

になって、むしろ

夏では低いほうです・・・

それほどまでに

地球は人間の

「素晴らしい」

「発展」によって

変わり果てました。

いまに

「ふーっ、今日は48度だあ」

なんて

京都の若者が

古本屋ーーあ、もうないかーー

めぐりしながらーーもう、できないかーー

嘆くことがありませんように。


あるひきこもり

2015年07月17日 | 日記
老婆の知り合いで

20代から46歳の今日まで

ひきこもっている

男がいます。

彼の父親は

大学の教師で

息子が土地の

進学校に

入れず

専門学校に

行っているとき

「授業料はドブに捨てるようなもんだ」

と言うのを

息子は聞いてしまった

のです。

息子は

自分自身が

ドブに捨てられたと

感じても

不思議では

ないでしょう。

それ以来

彼は

暴力とひきこもりを

繰り返し

自分の人生に

立ち戻ることが

できないで

いるのです。

これは

一つの例だけれど

ひきこもりという

精神のありようへの

ある方程式

ではないでしようか。

つまり

親に存在そのものを

否定されたという・・・

子どもは

授かった

瞬間から

他者であり

そういう意味で

尊厳を

持って存在する

ものなのに・・・